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哲学メモ

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哲学っていうとなんですが、考え事をただ書いていきます。
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#コラム

ニヤリズム

ニヤリズム

ニヒリズム

にやける主義

いつでもどこでもニヤけること

罵倒されようが 暴力を受けようがニヤける

それがニヤリズム

果ては拷問を受けても

恋人を奪われても

ニヤける

それこそがこの世の勝者だと

ニヤリストは考える

エロいものを見ている時

ニヤリストは出来るだけ気持ち悪い顔でニヤける

ニヤリストの真骨頂はそこにある

一番のニヤけどころはエロいことを見

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うつすということ

「言葉は上手に使ったら 気持ちのそばまで近づけるけれど 同じものにはなれない」

BUMPのアリアという曲に出てくる歌詞だけど、言葉じゃなくてもなんでもそうだ。

表現というものはなんでもそうだ。

絵画にしても音楽にしても。

表現というのは何かを何かに写すこと。写す時に移してしまっている。

何かから何かを移してしまっている。

ずらしがある。ズレがある。

世界は鏡に鏡を合わせたようなものだ

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「存在と魂」

魂とはなにかああああああああああああああああああああああああ

存在とは何かああああああああああああああああああああああ

あると思った直後にそれはなくなる!!!!!!!

あると思わなくてもある存在でなくてはならない!!!!!

存在を意識する

ではない

無意識の方にこそ存在は潜んでいる

流れている時

存在は本来的になる

よどんでいる時

存在は非本来的になる

私たちの身体が 私た

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「心と魂」

心は意識の方面だ。志向性という言葉でよく表せられる。心は常に何かについての心だ。

魂は無意識の方面だ。心のように何かについてと、魂は限定的ではない。魂はこの世界に浸透している。

その魂を限定し形を与えるのが心だ。魂が闇だとするならば、心はそれに光を与える。闇に光を与えるのが限定的であるがゆえに、心は世界の全体を捉えきれない。

魂はクオリアのことである。クオリアは脳にはない。石のあの感じ。リン

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「形而上的命題」

 トートロジーは中身も形もない形而上的命題だ。前から思っていたけどやはり語り得ることはトートロジーの内側、論理の内側だ。

トートロジーは論理空間の内側に収斂されていって、最後には0になる。しかしまず論理空間という言葉はあまりよくないことに気をつけるべき。

空間というと限定された空間をイメージするが、形而上的命題は無限である。そして全ての事象にトートロジーは浸透している。0はどこにでもある。

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呼吸について

呼吸は生命である。呼吸は生命であり、その者の魂である。

呼吸の仕方が違う。呼吸のリズムが違う。

様々に言えるが呼吸の仕方が違うのは、どこで呼吸するか、要するに場所の問題となる。

呼吸のリズムは 呼吸の時間の問題である。呼吸には場所と時間がある。それぞれの呼吸がある。

何かを出すこと、機械のように言ってしまえばアウトプット。何かを入れること、インプット。

呼吸には機能を司る原理が込められて

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ゴリラという問い

私は

私はゴリラじゃない

私は誰だと思う?

君に私が分かるかな?

私はゴリラじゃない

繰り返す

私はゴリラじゃない

何が分何かるのか

何が分からないのか

問いの大切さとは

問いとは

常にメタ的である

問いはすでに何かを超越する力を持っている

何か壁にぶち当たっている時

何かしがらみがある時

問いはそれらを超越する力を持っているだろう

何かにぶつかった時

それに

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ブロッケン現象

ブロッケン現象というものがあるらしい。さっき知った。

ブロッケンはドイツ語で魔物という意味らしい。

前に霧があって、後光がさすと自分の影が大きく霧に映る。2人で登山している時に現れ、ブロッケンは自分のしか見えなくて、他人のは見えない。

自分の闇は自分にしか分からない。それを他者が見ることは出来ない。

何かネガティブなことを考えてる時、他者にそれを見られると ああ こんなことだったのかと、な

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