#4 タイトルをつけられないほど無関心?

今、タイトルを何しようかと思って今日を振り返ってみたけど、何も出てこなかったから素直にそういうことかと受け止めた。

いやね、実際はね、たぶんそんなことないんですよね。
刹那的に印象に残ってることとか、そういうのっていっぱいあるはずなの。ただ、意識がそっちに向いてないというか、心が「覚えておこう♪」みたいなシグナルを出さないだけというか。
だから、たぶん明日からは印象的で感動的なタイトルがつくんだ。。たぶん。。。。タブンネ

無関心って言葉がなんか昔から怖くて、「愛の反対は無関心だ!!!」っていう言葉が印象的だからだと思う。そう、マザー・テレサ氏の言葉である。もっと正確に言えば、「愛の反対は憎しみではなく無関心である」でしたっけ?無視したりすることは愛と対極にある、という言葉。

まぁここには哲学者の皆さまも何か物申したい時もあるとは思いますが、とりあえずは1意見として受け入れようという話ですわ。
ただ、キャパが足りなくて人間は無関心になりがちな気がする。1億総SNS時代の今なら、キャパオーバーを起こしやすいという考え方。
周りのみならず海を越えて山を越えて、ワールドワイドに関心を持たないといけない世界が来ることを誰が想像しただろうか。無関心にならないように、精一杯の愛情=関心を振りまいても、自分が枯渇してしまうかもしれない。

そんなあなたに言いたい。
無理しなくてもいいんじゃない????

キャパは少しずつ大きくなるから、少しずつでいいから周りを愛そう。そうすることで、自分の中の愛情も大きくなっていくに違いないよ。愛を育む、関心を持つって、現代で言うとこんなところじゃないかなぁ。

…と、最初に無関心な自分を披露した後に現代版マザー・テレサさんみたいなことを言ってしまって恐縮だけども、まあ、自戒も込めてってことで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?