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【癌闘病懐古録#2】


2022/2/2

あと一つでゾロ目のその日は父の誕生日。
だが、生憎僕の今までの人生経験上それほど意識する事もなく。今思えばみたいな所である。

ただ1つ思うのは、
自分の誕生日に息子が癌になる気持ちはどんな気持ちなんだろう。
最悪なプレゼントを渡してしまったな。

そんな、親不孝な自分を少し憎む。

さて、そんな2/2。

勿論自分からしたら変わらず美容師の日々が続く。
まさか癌だと告げられるとは思ってない僕は
お客様とお客様の予約の間に休憩を取りその時間で病院に向かった。

「1週間連絡無かったし、大事だったらすぐ連絡あるだろ、だから大した事ない筈だ。」

そんな事を考えながら病院に向かった。

診察室に入り先生とお話が始まる。

「1週間どうだった??」

おっ!てことは大した事ないんだ!

僕は少し安堵しながら、全然大丈夫ですよ、感を出しながら答える。

「1週間痛み止めで何とかなりました。痛みも少し納まった気がします。」
内心全く収まってる気はしない。

「そっかそっか。」

「それじゃあ担当直入に言うね。癌だね。」

「しかも、まぁほぼ確定で悪性の。」

っっっ!!!!!!!!

身体に電撃が走る。

それと同時に「なんでやねん!!!!」
「なんの、1週間どう?だよ!」
「その質問いるか?!!安堵しちまったじゃねぇか!」
と心でめちゃくちゃツッコんだ。

その後は以前のブログに書いた通り、
お客様の予約があった為、お店の人に代わりに話を聞きに行ってもらったりして、

帰りの電車で社長に癌になってしまいました。
と連絡したのを覚えている。

あまりにも突然日常は終わりを告げる。

この写真は2022.2/2の日病院の後に
担当したお客様のスタイル。

我ながら気に入っているスタイルの1つ。

これからどうなるのか、
美容師は続けられるのか、、
治療は1年って言ってたな。。。
当分お客様には会えないのか、
顔に出てないか?いつも通り接客できてるか?

そんな事をただ、考えながら噛み締めながら
担当したのを覚えてる。

最後のまた次回よろしくお願いします!の言葉が
あんなに心苦しいものになったのは、
きっと後にも先にもあの日だけだろう。


代わりに聴きに行ってくれたお店の仲間から
くわしい話を聞き、ボイスレコーダーを確認して、
社長と話す。

「今日はもうお店の事なんか考えず帰りな。」
「明日迎え行くから。何時に行けばいい?」

板橋の慈恵医大に精密検査をしに行くのだが、
思ったより朝が早い。

社長の忙しさも知っている中で
その言葉は何よりも温かかった。

帰宅後恐る恐る親に連絡した。
親からしたら父が誕生日の為祝いの電話かな?とか考えただろう。

そしたら、まさかまさかの癌の報告。
まぁ、まだ詳しい事は分からないから!

親は生憎出張で島根かなんかにいた為
僕は仕事を優先してもらった。
幸い、社長も付き添ってくれるし、、、

色んな人に癌になってしまった事を伝えていく中で
少しずつ自分が癌に罹患した事を理解する。

そして迎える精密検査。
その時はまだ、ここからハプニングが続いていく事を知る由もなかった。

今思えば幸先は最悪だった。
そんな2/3からを次回は振り返ろうと思います!

いいねやフォロー、コメント是非よろしくお願いします!

では、また次回!

篠原大也

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