見出し画像

「死」について考えてみる。

こんばんは。


最近は読書をしています。

もちろんフットサル選手ですから、

フットサルの練習をして、そのほかにも自主練やケアの時間をとったうえで、

空いた時間はイタリア語の勉強と読書。


なので、

プロフットサル選手として生活しているとはいえ時間は足りません。


色んな事を知りたい。

この欲がすごくあって、暇さえあればAmazonのkindleを使って、

読書をしています。


「死とはなにか」という本と宗教の本を読んで、

「死」について考えました。

現在、人間の致死率は100%です。

しかし、

日常生活で「死」は「あってはならないもの」になっています。

人は年を取ると急に自分が死んだときどうする。

と考え始めます。

死は人間にはどうしようもない自然現象。

宗教はよく死ぬための予習

と池上さんは本で言っています。

死を考えるということは結局どう生きるかということを考えることと一緒です。

目的地は人間みんな同じ。

では全員が必ず行きつく死をどのように受け入れるのか。

ここに行きつくと宗教が出てくるわけです。

人間は宗教の力を借りて死を考えて死の準備をします。


だからよく死ぬための予習なのだと。

僕を含めて若い世代は宗教についてほとんどの人が無知だし、

日本の葬式の慣習も理解している人はほぼいない。

「死んだら極楽浄土にいける」

これが本当でみんなが信じているのであれば、

病院で延命治療することもなければ医療にそれほどお金をかける意味もわかりません。

キリスト教やイスラム教では死んだら「最後の審判」があり天国に行くか地獄に行くか分けられる。

仏教は多神教でイスラムやキリストは一神教。

それぞれの宗教でもちろん様々です。


僕たちは結局死の本質について考えても答えは出せない。

から宗教に頼る。


「死とはなにか」という本は、

「死」というものを哲学的に考えています。

少し内容的には難しくて読みにくいかもしれない。

ですが、とても僕にとっては興味深いものでした。

僕は「自殺」という分野を注意深く読みました。

「自殺」を哲学的に考察するのです。

この世には

自殺が合理的になる瞬間というのはあるのです。

しかし

間違った自殺が起こってしまう。

なぜならその当人が冷静に考えることができずに今の人生に価値がないと判断してしまうから。

それをグラフを使って、

どのタイミングなら合理的な自殺はありえるのかを考えています。


僕は自殺には反対です。

そこには合理的かどうかとは別に道徳的思考が加わるから。

この本でも語られていますが、

「素晴らしい命に感謝しよう」

命とはすばらしいもので、僕たちはそれを与えてもらった。

与えられた贈り物を大切にして、

それに恩返しをしなければいけない。

それは

僕たちは生き続ける義務があるということ。



しかし

このことについてもしっかりと考察するのがこの本。

そもそも命は誰からの贈り物で、感謝すべきものかどうか。

例えば誰かがパイをくれて「食べろ」と。

それは美味しいパイでもなくヘドロのようなもの。

それを与えられて恩義を感じますか。と。

いじめっ子が

「このパイを食べろ。でないと叩きのめしてやる」

といったら食べるほうがマシかもしれないが、

そこに感謝もなければ恩義も義務もない。

神がいじめっ子の役をすると、

「人生がどんなに悲惨なことになろうと死んだ方がマシであろうと生き続けよ。でないと地獄に落とすぞ」とすると、

自殺はしないほうが良いが、そこに道徳的な必要性はない。


こういったように色んな観点から「死」というものを考える。

哲学的に考察している本。


僕もまだまだ理解しきれてないためもっと読み解く必要があるし、

もっと自分なりの考察ができるように知識を増やしたい。


といったフットサル選手なのにブログにフットサルのことが一切記載されないという記事ですが、

僕は世の中の色んなことを知りたいし、

あらゆるものの本質は一緒だと思っているから、

まわりまわってフットサルにも影響があるというのは確信しています。


そしてこの記事を読んでくださっている方たちが知らなかった内容で、

少しでも世界を広げることができたらなと思っています。


毎月「月刊だいとくん」というナンセンスなタイトルで、

有料ブログをしています。

たまにこういう無料記事を出しています。


もちろんフットサルについての記事も多々出しているので、

「月刊だいとくん」を宜しくお願いします。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

次ページにてサポート金額を選択できます。 僕はフットサル選手の価値をあげていきたいと思っています。これはただのお金稼ぎではない。フットサルには可能性があります。フットサル界の明るい未来のために。これから世界へ飛び立つフットサル選手の道となり、僕自身が導いていきたいと思っています。