見出し画像

なぜ社会は好きなことをやる人を支援するのか

「リスクを取って好きなことをしても構わないが、自己負担で行うべきだし、自己責任で行うべきだ」という考え方があります。主にアスリートやアーティスト、また自営業者、起業家など、組織に属さない人に言われる事が多い印象です。確かに好きなことをやるのは自分の負担でというのは納得しやすいですが、一方で本当にそれは社会にとって良い形なのでしょうか。

ゴッホ美術館がオランダにあります。ゴッホにはテオという兄弟がいました。二人とも画家を目指していたのですが、生活は困窮していてどちらも画家になることはできないと、テオは画家を諦め仕事を始めます。経済的にゴッホを支えゴッホは絵を描く事を続ける事ができました。生前には大きく評価されることはありませんでしたが、現在では世界的に有名な画家となり、作品は美術館に飾られ観光客を呼んでいます。またゴッホが生まれた国ということでオランダのプレゼンス向上に少なからず寄与しています。

日本には世界に冠たるsonyという会社があります。創業理念に「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達にして愉快なる理想工場の建設」と書かれています。この言葉から作る事が好きなエンジニア集団の能力を最大限に発揮するシステムとしてsonyが誕生したのだと受け取る事ができます。

このようにリスクを取った人たちや、好きなことをやった人たちが「結果として」社会全体に恩恵をもたらす例はたくさん出てきます。トヨタもソニーもパナソニックも皆リスクを取った創業者がいます。いや、日本には十分に大きな会社もあるし歴史もあるから新しいものは生み出さなくてもいいと言われる方もいるかもしれませんが、企業にも寿命がありビジネスモデルも変えずに世界のトップに何十年も居続ける企業はほとんどありません。組織内も社会も新陳代謝し続けなければ維持さえできないのです。

人間の細胞一つ一つは日々入れ替わっています。数年経てば前と同じ細胞は一つとしてありません。まるで車を買ってきて一つ一つパーツを入れ替えていき最後には一つも以前と同じパーツは無くなってしまったように。それでもその人を車を私たちは同じものだと認識しています。これを国という単位で見ても同じことが言えます。200年経てば誰一人同じ人間はいませんが、日本という国は変わらず存在しています。

歴史を振り返ると、新しいものが生まれてこない集団は例外なく滅びていきます。好きなことをやる人とリスクを取る人を支援し、有限責任にする仕組みが我が国にもありますが、これはその本人のためというより社会のために存在する側面の方が強いでしょう。やはり環境を整えるとリスクを取る人が増えます。新陳代謝とは自己破壊と自己再生のプロセスです。

好きなことをやってリスクを取っている人たちへの反感は、主に「好きなことをやっている」に向かっているのではないかと思います。社会で生きるとは自分らしさをなくすことであり、仕事とは我慢であり、真面目に生きるとは欲望を抑制することである、と考えて生きてきた場合、「好きなことをやる」というのは受け入れ難い考えです。けれども「好きなことをやる」というのはわがままではなく、最善の成功戦略だから推奨されていると私は考えています。

人間が最も能力を発揮するときは、楽しいときであり好きなことをやっているときです。オリンピアンが「楽しみたい」というのはその為です。数万人の観客に見られ、一瞬で人生を二分する状況はどう考えても楽しめない状況ですが、それでも楽しめる選手はいてやはり強いのです。勝負の現場では、真面目な人は楽しむ人に勝てないというのが切ないですが勝負の法則です。ですからいかに好きなことをやり、楽しむかが勝負の鍵になります。

さらに良い点は、好きなことをやっている人は少なくとも人を羨む事が少なくなります。好きなことをやる人が増えても、成功する人が多く増えるわけではないかもしれませんが、少なくとも好きなことをやろうとする人を羨んで足を引っ張る気分になる人は減ると思います。結果としてリスクを取る人好きなことをやる人が増えます。

整理します。社会が活性化し発展すれば、余剰分で配分もできる。活性化するには新しいことを始める人が増えるといい。好きなことをやる方が成功の確率が高い。好きなことを始める人を増やすには、失敗してもカバーする仕組みがあるべき。だから社会で好きなことをやる人を支える必要がある。好きな事ができる仕組みには当然社会保証も含まれます。土台がなければ挑戦もできません。

我が国は資源がなく人しかいません。人自体も少子高齢化で先細っていき、製造業の拠点はアジアに移りまたアフリカに行くかもしれず、米中という大国に挟まれたままこれから2,30年は生きる状況で発展していくためには、一人ひとりの才能が開花しきるしかないと思います。その為には「皆がそれぞれ好きなことを好奇心を持ってやり、それを社会全体が応援する」これしかありません。そこに「公」のエッセンスが加わわるとなお最高ですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?