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「自分のため/誰かのため」ではなく、「今、楽しめているか」が大切な問いだと思う

生きていると、モチベーションの源泉を問われる機会があります。

「それ、本当にあなたがやりたいことなの?」
「あなたのわがままじゃない?」
「やらされ感、持ってない?」

こういう時に問われているのは大抵、

「あなたはそれを自分のためにやっているの?それとも誰かのためにやっているの?」

ということ。

モチベーションの源泉が、自分にあるか他人にあるかという二項対立が前提になっているように思います。

でも、自分のためか誰かのためかって、そんなに綺麗にすっぱり切れるものではないんじゃないか、と感じています。

「学生時代からボランティアするなんて、偉いね」への違和感

ぼくは大学時代を通して、いくつかの教育系のNPOに長く関わってきました。

形式はボランティアの時もあれば、有給インターンの時もありましたが、いずれにしろ純粋に稼ごうと思ったらもっと良い方法がたくさんある中で、NPOに関わる道を選択したことはたしかに事実。

そんな風にNPOに関わっていると、周りの人に褒めていただく機会がたくさんあって。

「ボランティアするなんてすごいね」
「若いのに偉いね」

褒めていただくのはとても嬉しいしありがたいです。でも、「自己犠牲」「社会貢献」「誰かのため」みたいなニュアンスが強調されて褒めていただくとき、どうしても違和感を持ってしまいいました。

「いや、俺は自分のためにやってるんだけどなあ」

NPOに関わっていたのは、そのとき自分がやりたいことを実現する手段として、それが最適だったり都合が良かったりしただけ。

そんなぼくのモチベーションの源泉が、過剰に「誰かのため」に結び付けられてしまうことに、抵抗を感じていました。

「誰かのため」が求められることもある

いろいろな場面で、誰かのために行動することが求められます。

例えば、「社会のため」。

所謂意識が高い感じの、ソーシャルグッドな感じの集まりに行くと、「あなたはどんな社会を作りたいの?」みたいなことを聞かれることがあります。

ぼく自身は「こんな社会になったらいいなあ」的な気持ちは割と持っている方です。(これはおそらく個人差があるし、それでいいと思っているけど)

でも同時に、「社会のためとか言われても、ぶっちゃけ自分が楽しくハッピーに暮らすのでいっぱいいっぱいだよ」みたいな気持ちになることもあります。

また、集団の中にいると、暗黙の中で、他人のための言動が求められることも多いです。

「空気を読む」とか「気を使う」とかはまさにそう。「自分のため」、自分の意思を抑えて、周りの「誰かのため」を想像し、それを優先させましょう、みたいな。

そんな風に求められる「誰かのため」に従い続けていることで、「自分のため」がわからなくなってしまうことって、あるのではないでしょうか。

「自分のため」が問われることもある

同時に、今は「自分のため」が問われる時代でもあると感じています。

例えば就活のとき、問われるのは「あなたは何がしたいの?」ということ。

「他でもないあなたの、内から湧き出てくるモチベーションはなんですか」
「どうしてあなたが、それをやりたいんですか」
「それは本当に、本当にあなたがやりたいことですか」

それが大切なのはわかる。あなたがやりたいことができた方がいいし、エゴイスティックなくらいの「自分のため」があった方がいいこともある。

社会から何となく押し付けられている「◯◯すべき」みたいな枷をひっぺがした先に、純粋な「自分のため」の意思が生まれることもある。

でも、誰かに求められること、認められることって、純粋にめちゃくちゃ嬉しいし、もっとがんばろうって思う源にもなります。

それを他者からの賞賛を求めているとか、承認欲求が強いとかっていう風に単純化されてしまうのは、違う気がしていて。

認めてくれる人がいなくても自分がやりたいことを貫けることはかっこいいけれど、それを全ての人に問い続けることは難しいのではと感じています。

「自分のため」「誰かのため」は二項対立ではない。「楽しめているかどうか」が結局大事。

結局、「自分のため」「誰かのため」は二項対立ではないということに尽きるんだろうと。

自分のためにやることが、誰かのためにつながることもある。

誰かが喜んでくれることが、自分の喜びになることもある。

それはニワトリが先か卵が先かみたいな話ですし、境目なく溶け合って、自分のためにも誰かのためにもなっている状態が理想なはずです。

一方を否定して切り捨てて、もう一方を求め続けることは、ナンセンスだなと思います。そんなことはできないから、結局苦しくなるだけ。

とはいえ、「誰かのため」を優先し続けて苦しくなることもありますし、「自分のため」だけで何かを続けることは難しいです。

そんな時に大切な観点は、結局「楽しめているかどうか」というシンプルな問いなのではないでしょうか。

自分のためと誰かのためがうまく溶け合っているときに生まれる感情は、純粋に「楽しい!」という気持ちです。

「それは自分のため?」「それは誰かのため?」を問うのではなく、「今楽しめているかな?」を考えてみることで、両者のバランスが取れているかが検証できるのだと思います。

note書くときも、誰かのきっかけになればいいなという気持ちと、ぼくの表現したい、伝えたい気持ちが溶け合っているので、いつもめっちゃ楽しく書いています。

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