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プラス思考と、言い訳思考と、その弊害

プラス思考は実は言い訳なのではないかという指摘をいただいた。これはとても鋭い指摘だと思う。考える前にプラス思考というものが何を指すか私も厳密にはわかっていないので、あくまで物事をプラスに捉える、考え方の枠組みのことだという定義で話をしていきたい。

プラス思考も言い訳思考も、共通点は解釈の枠組みを先に決めてしまっているということだだろう。全ては前向きな出来事だと捉える枠組み、全ては自分のせいではないと捉える枠組みが事前に自分にインストールされている。見方の一元化とも言える。見方が固定されると、人間の心は確かに楽になるが、柔軟ではなくなる。

これらの思考の問題点は、結果にコミットできないということだ。人間が必死で結果を出そうとする時は、結果によって人生が左右される前提が必要になる。究極の自分事であり、結果責任を受け止めることでもある。どのような結果も良いことで、学びがあり、自分のせいでないなら、必死になる理由がない。

ポジティブな人間が、徐々に信用を失うことがある。前向きさはどんな結果からも得るものがあるという思考でもあるから、本当にうまくいくのかという検証が甘い。だからうまくいきますという言葉をうまくいけばいいやぐらいで軽く使い、うまくいかなかったら大変なことになるという必死さがないので徐々に信用されなくなる。プラス思考の人間は詰めが甘い。老成したスポーツ指導者にやや皮肉屋の印象を持つのは、そう言った人間の方が物事を深く考え抜くからだ。

マイナス思考は、本人の幸福感は低いかもしれないが、常に頭の中で問題が起きたらとシュミュレーションをしているので精度は高い。事前の準備も、分析も必死でやるから、粒度も細かく学ぶ。プラスとマイナスで特性が違い、その特性が生きる場所も違う。一番いいのは両者を適時出し入れすることだ。

結局のところ、思想の枠組みはフロントミラーとバックミラーの両方で必要になる。前を向いている時は疑い徹底的に厳密に詰めておく。結果が出て分析が終わった後は、全てに意味はあり学びがあるのだという前提で自分を癒す。プラス思考は試合中と自信をつける際に良く、マイナス思考は準備と分析に良い。

つまり、事前に考え方の枠組みを決めているのか、複数の枠組みを使い現実を見つめているかの違いではないだろうか。言い訳もプラス思考も、どちらもその考え方しかできなくなると弊害が大きくなる。決めないし、そう考えることもできるし、そう考えないこともできる状態を私は自由だと感じる。

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