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我慢しない

私は日本社会が良くなるためには
・我慢しない
・リスクを取る
・好奇心を伸ばす
の三つが重要だと考えています。逆に言えば今の日本の生きづらさの背景には、我慢しすぎて、リスクを取れなくて、好奇心がない、からだと考えています。

我慢しすぎがなぜ良くないのでしょうか。幼少期「将来困るから」「人の迷惑になるから」という理由で我慢を強いられることが多くあります。このようなモデルで育てられそれを自分に取り込むと、我慢していない人を見て「将来困る」「人の迷惑になる」と考えるようになりますし、そのように指摘するようにもなります。過去には誰かが自分を抑圧したのかもしれませんが、いつしか自分の内側に取り込み、自らを自らで抑圧するようになり、他者を抑圧するようにもなっています。我慢してきた人は「本当はこう生きたかったのに生きられなかった」という抑圧感を抱えています。

ただ我慢しなければいいという話ではありません。※我慢には2種類ある 我慢ができないとマシュマロテストに失敗するように、短期的な欲に負けて将来的な成長ができないなど、我慢が必要なこともあると思います。我慢せず振る舞った結果、社会と軋轢を起こしたり、自分の人生に不利になることもあるかもしれません。人に我慢をさせることは決して意地悪からではありません。未然にトラブルを防ごうという心配から来ていることも多いです。けれども、もし我慢をさせることでトラブルを避けていけば、それは「その人の人生の責任をもって生きる機会」を奪っていることでもあります。

厳しい環境により本当に個人ではどうしようもなく我慢せざるを得ない例もありますが、途中で我慢をやめ自分の生きたいように生きるという選択ができることは実はよくあります。ただ、我慢しない人生は、今の日本社会においては多くの人とは違う人生を生きるということでもありますから、リスクを取り不安な人生を生きることでもあります。その不安を受け入れて、自分なりになんとかしてようやく軌道に乗った頃、我慢している人の前に我慢しない人生を選んだ人が現れます。

「きちんと親や学校で教わった通り生きてきたのになんで途中で言うことを聞かなかった人の方が楽しそうに生きているのだ。ずるいじゃないか」というのが日本の嫉妬の根底にある感情だと思います。それから解き放たれるには自分も我慢しないで好きに生きるしかありません。好きに生きることに関しては遅すぎるなんてないと思います。

我慢や抑圧をすでに習慣的に体に刷り込んでいる人には我慢しないという状態がどんなものか自体がわかりません。我慢なんてしてないよと思っている人も多いです。実際にそうかどうかは他人を見てどの程度羨ましいと感じるかで判断できます。自分が我慢しているものに気がつくには常識を客観的に捉える必要があり、そのために必要なのが違うものとの接触です。その接触をしたいという意欲を生むのが好奇心です。

整理すると、
好奇心を元に違う世界に接触する→自分が何を抑圧していて何に抑圧されているかがわかる→抑圧から放たれ思い切って違うことをやってみる→抑圧感がなくなり他人を抑圧しようという気分ではなくなる→社会全体が豊かになるかはわからないけれど個人の幸福感は高まる、です。

人生は一度しかなく、いつ終わるかわからず、いつかは終わります。最後までお互いを抑圧し合って本当にやりたいことを遠慮して我慢して生きるより、ちょっとぐらい周囲に白い目で見られても生きたい人生を生きる方が幸せではないでしょうか。我慢を止めることは同時多発であるほど良いです。まるでクールビズでみんな一斉にネクタイを外したように。そういう生き方をする人が増えればこの国は変わると思います。

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