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子育て戦略

今、家庭内で子育て戦略を立てている。とは言っても本人がどうなりたいかが結局全てなので、さほどこちらでできることはないが、議論をしていくうちに自分の中に二つの軸があることがわかってきた。一つは自分の深掘りで、もう一つは広い知見を手に入れることだ。没頭とメタと言ってもいいかもしれない。

今、社会は激動の時代を迎えている。教育は常に時代を先読みして将来必要だと思われるスキルを子供たちに教えてきた。私たちの頃はパソコンが授業で導入された。今は英語やプログラミング。しかし、誰も未来のことが予測できない時代に入り、この手法が効かなくなったように見える。

自分で未来がわからないのでこういうときはむしろ当たり前すぎるぐらいの本質を追いかける方が安心だと思っている。普遍の法則は普遍であるが故にいつの時代にも応用可能だ。私が考える時代に影響されない本質は、自分を知り環境に応じて自分を変えられる能力だ。自分を知ることで強みがわかり、変われることで時代に適応できる。

まず自分を知るために大事なことは限界を知ることだ。ただの限界ではなくそれなりにやり切った先に得られる等身大の自分のことだ。限界を知るためには自分を考えざるを得ない状況に置かれることだ。私の分析では、強い孤独か、現実からの脱線、激しい競争だと思っている。マイノリティ経験のある人間は自分をよく知っているし、鬱経験がある人間もよく把握している。一番若者で効率がいいのは競争とその先にある敗北だ。

しかし、人間は自分が本当に欲しいと思って努力した結果の敗北でなければ挫折と感じない。言われてやっても意味がない。子供に無理にやらせるわけにもいかず、故にこのような挫折体験を教育に組み込むのはとても難しい。

アスリートは深掘りは問題ないが、引退してから苦しむことがある。それは自分を変えられないからで、変えられない大きな理由はメタ認知と社会を知り相対的に今の状況を観察することができないからだ。

自分を変えることは環境を見てポジションを取ることと同じ意味だが、これだけがうまくなると飄々と生きていっているが、軸がない人間になる。また、新しいジャンルを飛び回るだけだと軽やかだが突き抜けない。よく競走はやめようという発想があるが、それは最後には戦略として正しいけれどあまりに早い段階でやれば、ただニッチ領域に逃げ込んでいくだけだったり、昔からあるものを言い換えて新しいかのように見せる迷路にはまり込んでいく。

要するに生存戦略としては変えられない自分を軸に戦い方を決め、環境に変えられる自分を合わせていく。前者は自己との対話で決まり、後者は多様な体験で決まる。前者だけでは視野が狭く、後者だけでは軸がない。この二つの質を高めバランスをとることが重要だという結論に至っている。

自分が前に進むから傷がつくことと、向こうからやってくるもので傷がつくことでは、質が全く違う。結局主体性が大事になるが、教えることが極めて難しいのはこうしたいという欲求だ。全てはそこから始まるので、結局こういった分析も全く意味をなさないかもしれないと思っている。

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