言い訳の弊害


競技者にとって言い訳は良くないと言われますが、なぜ良くないのでしょうか。言い訳の問題点を考える前に、まず分析と言い訳の違いは何かを整理してみましょう。分析は事実を明らかにするために考えることです。考えることが先で結論があとになります。一方、言い訳は自分は悪くないという結論が先に決まっていて、そこに辿り着くように考えることです。結論が先で考えることが後です。

分析の結果として自分のせいではなかったということはあり得ます。ところが、ここの境目は微妙なので、よくいかなる分析も言い訳だと捉えるコーチがいます。これは勝ってもおごらず負けても言い訳させず真摯に取り組ませるという点において、多くの選手をそれなりに育てる上では有効ですが、このシステムで育った選手はなぜ負けたのかやどうすればよかったのかを理解しないまま育つ恐れがあります。分析もまた技術なのでその能力がたかりません。分析ができない人間には戦略も学習もなく、同じ失敗を繰り返しがちになります。

そのコーチが分析と言い訳の境目がわかっているかどうかをチェックするには、質問を繰り返すといいと思います。コーチ自身が問題をどの程度詳細に理解しているかは質問によって明らかになります。日常的に考えていない人間は質問され続け答え続けることに耐えられません。敢えて細かいことを考えず本質をつきたいというコーチもいるので、一概に細部まで答えられないことが悪いとはいえませんが、言い訳するなと考えるなを一緒にするのはよくありません。

選手が言っていることが分析か言い訳かよくわからない場合、「では自分はどうすればよかったと思いますか。またこれから先何を変えればいいと思いますか」という質問をすると比較的わかりやすく違いが見えます。うまく答えられない人間は、自分にできることがあったとも、これから自分にできることがあるとも考えていません。分析を真摯に行えばほぼ間違えなく何をすべきだったかが見えてきます。

なぜ言い訳は良くないのでしょうか。言い訳は自分にはできることがなかったという気持ちを語るからです。外部に理由を求め、自らの当事者性を弱めているということです。言い訳は自分のせいではなかったと語ることですが、スポーツの場合全く何も自分にできることがない場合はとても少ないです。全ての人に役割がありその役割を通じて何かしら貢献できます。言い訳は自分にはできることがなかったから責任はないと説明することです。これは裏を返すと自分には勝敗に影響を与えられるほどの力はなかったという無力宣言でもあります。

競技者は成長が大事ですから、どのような分析も自分のこれからの行動に反映されなければ意味がありません。言い訳は、自分のものであったはずの学習機会を失うので成長が阻害されます。

言い訳癖がある人間は自信を失ってもいます。自覚的に責任を回避するために言い訳をしている人はまだいいですが、無自覚で言い訳をしている人間はもっと悪い状況にいます。仕方がなかった仕方がなかったと繰り返していくうちに、自分で自分に自分は無力な存在だとレッテルを貼っていくからです。

言い訳を繰り返す人間は自分の残されたプライドを傷つけないようにすることに向けて主に労力を割いています。自信を失い頑なになった人間は反省を受け入れる余裕をなくしています。謝れないし認められないし受け入れられません。言い訳は本人にとっては必死の防衛でもあります。言い訳をせず分析するということは、私には現状を変える力があると自分に宣言することでもあります。

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