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本当の学びとビジネスとしての教育の矛盾は解決できるのか

25年陸上競技をやってきて、五輪の出場なども体験させてもらいました。引退した今もしもう一回人生をやり直して競技者として大成しようと思うなら、いったい何をやるかというと幼少期には目的なく外で遊ぶだろうなと思います。

できれば不整地などのバランスが崩れるところで走り回り、予測のつかない初めての状況で臨機応変に対応を迫られるような遊びをして、時には友達と小競り合いになったり、または協力したりと関係が目まぐるしく入れ替わるようなところに飛び込んでいく。何よりこの世界は面白く、体を動かすことは楽しく、まだ見ていない向こう側はいったいどうなっているか知りたいという好奇心を重要視すると思います。好奇心、対応力、動きの多様性。そういった能力が後天的に身につけがたく、かつ結局最も重要な要素になると考えているからです。

そういうことを子供達に学んで欲しいと考えているスクールは多いと思います。しかしながら、事業でサービスを提供すると価値をわかりやすく伝えなければなりません。例えば生きる力を育むといっても具体的にはなんなのかわからず、あまりに抽象的すぎます。それよりは足がすぐ速くなると言った方が何を買ったかよくわかります。サッカースクールであればサッカーが上手くなり、陸上スクールであれば足が速くなる方が、具体的でわかりやすいです。

大きな矛盾はスキルへの近道は最終的に到達点を低くしてしまうということです。回り道をして多様な体験をした方が高いところに登りやすいというのが私の経験からくる実感です。また登ろうという意欲も育ちます。小学生時代の子供の足を速くすることだけにフォーカスするなら、いろんな方法がありますが、それはその子の将来の到達点を低くすることになり、例えて言うならオリンピック選手を育てることやスポーツをやめた後のその子の成長とは矛盾するのです。

何事もそれを通じた奥に、もっと深淵な学びを内包しています。サッカーを通じ仲間と協力しあったり自分の能力を客観的に判断し自分に向いている役割を見出すことを学んでいます。走ることを通じ、自分の心と体を理解し、うまく扱うことを学んでいきます。

本当の学びは目に見えないと私は考えています。しかし、どうしてもそうなると価値がぼやけて、提供物がはっきりしない。提供物がはっきりしなければ、事業者からすると言い逃れしやすくなります。見えない成長がありますと、言えばいいわけですから。だからわかりやすい、大学に受かる、や、足が速くなる、が売れるようになります。でも、それに本当はどれだけの意味があるんだろうかと疑問に思っている人も多くいると思います。

本当は大事だと思っているものと、結局そう定義せざるを得ないものの矛盾は解決できるのでしょうか。事業を通じて日々悩みながらもそれを考える毎日です。

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