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自己啓発本ばっかりだと疲れる。ハウツー本ばっかりだと感情が死ぬ。

本好きなのに読書に疲れ、ゲームも面白みを感じなかった地獄の時間が2週間ほど経ちました。note書くのも謎の義務感で書いていたのですが、内容はまったく形なく、もはや消化試合です。

この謎の時間はなんだ?

反面、本業はすこぶる順調。21年度も後半戦に入り、下期のキックオフも各所実施が予定され、ギラギラとした熱いものを感じます。私もそのエネルギーを感じながらセキュリティの専門家(を装って…)としてあっちに、こっちにと忙しい日々を送っています。

どんなに充実した日々を送っていても、読書が面白くない。これは恐ろしく事態であり、それは本当に恐ろしい事態です(?)。

原因が分からないまま、少し嫌でも本は読みたいという義務感に似た思いから数冊読みましたが、まともなアウトプットができない地獄絵図。何読んだかも一瞬で飛んでいく始末です。

あー、もうnote書くの止めよう。読書もやめよう!
疲れた、あー疲れたよ。

そんな闇落ちした私が偶然出会った本がこれ。阿佐ヶ谷姉妹の著書『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』(幻冬舎文庫)。内容は超ゆる~ぃ日常を描いたエッセイです。

これも読むのも躊躇ちゅうちょし、2週間くらいじっくりコトコト寝かせに寝かせた積読本だったんですが、疲れ切った脳はこの表紙の絵を異世界転生お嬢様モノと間違えたのか、開いてしまったんです。

その「はじめに」を読んだら、始まってしまったんです

「人生中盤にさしかかる独身女性2人が、6畳1間のアパートで同居している」という事が、様々な形で不思議がられ、とうとうそれを書いてみませんか、というお話にまでなりました。自分たちとしては変わった事をしているつもりでなかったのですが、世間さまからはどうも謎らしいです

そりゃ謎だよ!っと心の中でツッコミを入れたが最後。6畳1間の阿佐ヶ谷姉妹ワールドにアッという間に引き込まれ、同じ空間を見た、住んだようななんとも不思議な感覚に取り込まれました。

そして、なんともホッコリ気分で晩ごはんの餃子を口にしたのです。


さて、あの妙な疲れは何だったのか?

振り返ると、note書き始めて読んでいる本の傾向が結構変わっていました。noteにアウトプットするから教養無いとダメじゃないか?という身の丈に合わない事していたんじゃないかなと思います。

無理しちゃってる感じの代表がこれじゃないかな。

いや、確かに生き方としての指針、方法論的なものを見つけるのは必要だと思うんです。理系脳ってのもあるんですが、型が決まらない、納得しないと動けないというか、そういう面倒な性格ではあるんですね。

ただ、自己啓発本ばっかりだと疲れます。あるべき論ばっかりで自分らしさは何か箱のなかに押し込めてフタをしたような状態。

そして、好きな時に喜んで、怒って、泣いて、笑う、そんな読書をしたい!と思っていてもハウツー本で学ぶ理想の型が邪魔をし、感情表現も死んでいきます。

ハウツー本は自己啓発よりもより実践的な型を提示してくれるので、すぐに役立てたい、即効性を!と希望される場合は良いのですが、無理に実践すると自分らしさも感情表現も抑制さえる感がすごくあります。

こんな感じで自分が自分じゃなくなってきたのかな?と反省。noteで自分らしさを書いているつもりが、他人からどう見られたいかを一生懸命書いていたのかな…。

面白いことに、好きな読書を好きなだけやって、適当に自分の思いをグダグダ書きまくった記事がこちら。

ふむ。

元来、私という生き物は読みたいものを読んで好きなように書くのが合っているらしい。学ぼう!アウトプットしよう!こうあるべきだ!は全く反りが合わないんだろうね。

それを教えてくれるのも「阿佐ヶ谷姉妹」だった訳です。別に2人で住むことに違和感なく、むしろ不思議と思われる日常はどこかに忘れてきた自分らしさを重ねる普通の毎日。それを切り取った普通の悩みや小さな変化が、すごく新鮮で新しかった。

これだ。
やっぱり、自分らしく行こう。

身の丈に合った、自分らしい服を着て、お気に入りの曲を聴いて、好きな道を歩く。それで楽しめるなら良いじゃない。

それが、成功ってやつなんじゃない?


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