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走れなければ歩けばいい

体調が悪くっても走ればよくなる、と走っていた母。母の影響ではじめたマラソンだけど、父はわたしが走ることに反対してました。

マラソンは我慢をするから

おかあさんは、マラソンで我慢を覚えてしまい、癌になり痛くっても我慢をして気がついたときは手遅れだったと。

若かったわたしは、女は我慢するもんだよ。おかあさんは誰のため、何のため我慢していたんだ。夫のため、姑のため、と父に反発してましたが、わたしたち子どものためでもあったとずっとあとになって気がつきました。

父も3つの癌を経験し、我慢をしていたんだと父の死の直前にわかりました。

痛み止めを拒否していた父は、顔をしかめて痛みを我慢していて、痛い、苦しいという言葉はとうとう聞きませんでした。

痛み止めを入れたら父の意識はなくなってしまいました。母を看取った父は知っていたのかもしれません。できるだけ我慢しょうと。


わたしはシリアスランナーではなく、エリートでもなく、プロでもありません。マラソンランナーでもありません。

トライアスリート(トライアスロンの選手)です。

父が言っていたように、マラソンは我慢することもあります。

だけどトライアスロンは我慢することと、我慢しなくっていいことを教えてくれるスポーツでもあります。

水泳、自転車、マラソン といった3種目を連続して行うのでどこで我慢すればいいか、ここは我慢しなくってもいいか自分のペースで決めることができます。

わたしはマラソン大会では、歩いたことがないのですがトライアスロンのレースだと歩くこともあります。

歩くと景色が違います。

周りの風景や人も。

違った気持ちになれるし、身体も休まります。

あそこまで歩こう。

あそこから走ろう。

長い時間泳いで漕いで走って。

トライアスロンは生きることと似ています。

苦しかったり、楽しかったり、我慢したり、しなかったり。しあわせだったり、そうでなかったり。

それは、仕事だったり、人間関係だったり、恋愛だったり、今自分自身が抱えている問題であったり、病気であったり。

父にトライアスロンの話、したことがなかったな。

父が嫌いだと思ってたから。

我慢だけじゃないんだよ。

楽しむものなんだよ。

我慢しなくってもいいんだよ。

走れなかったら歩いてもいいんだよ。

我慢をし続けた父と母。

誰かのための我慢と自分のための我慢。

わたしもそのときまでは、走ったり歩いたりしていきたい。

おとうさん、おかあさん ありがとう。

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