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2022から2023

【2022】

毎年ノートにその年の総括と翌年の抱負をしたためる癖があるわたし。昨年の私はというと、①中小企業診断士の一次試験突破②MBAの下準備③創作活動へ着手 テーマは「健康」「体力」「時間」でした。

①中小企業診断士の一次試験は惨敗でした。全7科目中、すでに1科目クリアしていたので、計6科目中合格したのはたったの2科目。丸一年費やしてその体たらくでした。理由は明らかで、勉強量が普通に不足していました。これはなぜかというと、仕事に追われ過ぎたことと、プライベートでもいろんな案件を受け過ぎたこと。自分で友達が多いとは思わないですが、何も考えず人の誘いを受けていると、気がつけば空き時間はすぐに埋まってしまう。計画性と自立心の弱さの結晶です。

②MBAの下準備
元はと言えば、2024年にはシンガポールあたりにMBA留学に行きたいという展望がありました。中小企業診断士を経て、ビジネスのベーシックな知識を日本語でさらった後、グローバルスケールで知恵を補強していくイメージでした。具体的な費用も調べて、貯金計画も立てていました。ところが今の私はというと、MBAのmの字もありません。目の前の仕事に忙殺され、長期的なビジョンが見えなくなりつつあるのが実情です。

③創作活動
本当はnoteの場で何か執筆をしてみたかったものですが、繰り返し述べているように、仕事に忙殺されそんないとまが全く持てませんでした。最悪です。でもまた、友人の結婚式にて漫才の機会は頂けました。かれこれ、2019年から、毎年誰かの結婚式で余興を仰せつかっていることになります。これは大変ありがたいことですね。芸人のネタは引用しないをモットーにゼロからネタを作る気持ちの入れようですので、狙った笑いがゲストにハマった瞬間のあの快感は変え難いものがあります。でも、人の結婚式をネタのテストの場にしてるのは、ほんま正直申し訳ない気持ちでいっぱいです(思ってない)

私の中で2022年はすごくダメな一年でした。仕事もそれなりに奔走した割に、大きな成果や収穫はなく、プライベートでも資格試験は惨敗、将来への投資になる何かもできず、果てには交通事故を起こして旅行をパーにしたり、小さな失くしものもたくさんしましたし、意味のない人付き合いで浪費したり、運動不足とストレスで体調も崩し、太り、泥酔して大事な服を捨てることなんかもありました。時間の使い方もうまくいかず、定期的に会っている人に会えず、無沙汰をしてしまっています。昨年のnoteを振り返れば、2021年までの自分がいかに好調だったかが伺えます。なにかこう、星周りが一気に変わったかのような、例えるなら、監督がタイカワイティティからサムライミに変わったかのような雰囲気の転換があったと強く感じます。
羅列し続ければまだまだありますが、この辺りにして、ただ大事なのは、きちんと棚卸しして、認めて、原因の解析と対策を講じることですよね。

なぜ昨年の私は不調だったのか。答えは意外にシンプルで、普通に心身ともにキャパをオーバーしていたから。主に仕事で。平日21時22時は当たり前。無償の休日出勤もなんのその、という行動様式でした。昨年後半はリアルな勤務時間をレコードしてみたら、残業時間70〜80時間/月が常態化していた。ただ、これは表面的な因果論に過ぎない。問題は、なぜそんなキャパオーバーな状態から抜け出せなかったのか。それは正確に「抜け出さなかった」のだと思います。他人や環境から強制された過重労働ではなく、過重労働に身を置いておかねば、というマインドがそこにあったと思います。
 私は人より仕事ができるようになりたいし、山ほどお金を稼ぎたい。起業したり、投資をしたり、別にサラリーマンじゃないベクトルで資産を気づく方にリソースを割くという選択肢もあると思いますが、そっちじゃなくてあくまでビジネスマンとしての地肩をつけたい、という気持ちがあるのだと思います。「思います」と自分で言ってるくらいなので、まだ確信はないです。目の前に大金が転がってきたらすぐサラリーマンやめると思いますし。もとい、そんな思想の人間が、それなりに大学を出て、大手企業に就職し、そのまま行けば70点くらいの人生になったであろうルートを自ら反れて、関西のしがないローカル企業に転籍。その時は、「これからの時代は所属企業の名前ではなく、個々の力が見られる時代だ」「具体的な技術と経験をなるべく早く積んでおくべきだ」「買ってでも苦労しておかなければならない」などと息巻いていました。現実は、資本主義の社会システムでは、やはり所属企業は大きいに越したことはありません。20代中盤の若者の頭で判断できるほど、単純なものではなかったのです。たしかに個々の業務レベル、裁量で言えば大手企業で働く人間は歯車的にはなりますが、やはり巨大な資本からくる強烈に優位な人材投資の余力は魅力的です。日本人は平均的には怠惰なので、自ら研鑽する人間には喜んで企業はリソースを割く文化があります。(私も退職前にこの有り難みを痛感していれば、身の振り方は変わっていたでしょう。)やはり、企業の規模がショボくなるほど、人的投資の比率は下がります。これが、私が転職を失敗したと感じる最大の理由です。すなわち、教育レベルを同じくする同世代たちと比較した時に、劣後しないようには、実務で補っていくしかない。それが、過重労働を自らに強いることになった根源的な理由です。

未来でこれを読み返す自分のためにもう少し補足しておきます。実務で得るものと、机の上で学ぶものは毛色が違いますので、実務をどれだけこなしても追いつけない世界があることに気づきました。

例えるなら、帰国子女が英語のグラマーやボキャブラリーに弱く、受験生が文法と単語力に強烈に秀でているのに似ています。あるいは、戦場と訓練で必要から身についた軍人の筋肉と、ボディービルダーがジムで鍛え上げた筋肉の違いに似ています。実地経験で身につくものは、「必要」に沿って身体に染み込むように技術になりますが、逆に言えば触れる範囲でしか身につきません。
 要は、大手企業で当たり前のように知識、常識として体系化されているコトは、先人が幾年もかけて言語化してきたベストプラクティスです。これを、一個人が実務経験のレベルで到達するには、流石に無理があります。彼らは、泳ぎ方を教えてもらってから海に落とされます。なんなら最初はビート板さえ持たせてくれるかもしれません。もっと言えばどちらに向かって泳げばジパングがあるかもわかりますし、潮の読み方も教えてくれる先人が身近にいます。こちらは、泳ぎ方も知らずに海に落とされます。もがくうちに効率的な手足の動き方を覚え、うまくいけば、結果として彼らと似たような効率的な泳ぎ方になるでしょう。でもそこからさらに、どこに向かって泳ぐか検討せねばなりません。方向が定まっても、潮の流れに左右され時間を要することになるでしょう。潮を読めるようになるのも会得するのに幾らかの時間を要します。なんなら初めは、潮の流れに邪魔されていると気付くにも時間がかかるかもしれません。そういう発想がそもそもないからです。何を知らないのかさえ知らない状態です。私はとにかくあっちへこっちへ泳ぐことで、なんとか地肩の醸成に努めたかったのです。そして、2022年の終盤、そうしてたどり着いた場所が結局は人と変わらず、いやむしろ少し劣後し、さらにいえば、私が仕事で潰した余暇を自己研鑽に再投資していた人たちとは大きな差がつきはじめていることを目の当たりにしたのでした。

【2023】

ロビンソンクルーソーは、両親の反対を押し切って航海に出ました。しかし、嵐にあって難破し、無人島に打ち上げられてしまいます。絶望に暮れるロビンソンは次のように日記に記します。

「私には食物も家も衣類も武器も逃げ場もなく、救われる望みもなく、前途にはただ死があるだけであった。猛獣に喰われて死ぬか、蛮人に殺されるか、喰べるものがなくて餓死するかのいずれかであろう。夜になってから猛獣をおそれて樹にのぼって一夜をあかした」

まさに絶望に淵。しかし、ロビンソンはその後28年間を生き抜き生還します。ロビンソンはある日、考え方を変え、「貸借対照表」を作成します。

は?

もちろん財務諸表を拵えたわけではありません。身の回りのポジティブとネガティブを整理して、書き出したということです。そうして、自らの手元に「資産」があることに気づきます。まず、水辺に近くにいたこと。岸には浜辺には小舟が打ちあげられていたし、沖合には、座礁した船が使える状態で残っている。調査すれば食糧や衣類や武器類が出てくるではないか。加えて、なにかの袋を振ってみたら、穀物が見つかり、それが数ヶ月後には穂を実らせた。というお話。

なるほど、ロビンソンクルーソーを見習って2022年の「資産」を書き出してみよう。

・知らない海に突き落とされることへの耐性
 上述の通り、教科書もない世界に突き落とされる、ライオンキングみたいな環境にいる私ですが、おかげさまで、教科書も無いことをある程度までこなす力は身についた。もっと言えば、未知の領域に踏み出すことへの躊躇もほとんどなくなりました。このマインドを20代で身につけたというタイミング的な優位性もあります。異文化、異業種、異業界どんとこい、なのです。

・精神的な持久力
 無償の長時間残業は絶対あってはなりません。絶対にです。それを一年続けたので、無理矢理肯定することを許されるのであれば、やはりタフさが身についたことでしょう。大人になると、身体的なタフさはもとより、精神的なタフさが何より重要というのはいうまでもないでしょう。公私ともに、判断に迫られ、責任を負う立場となっていく。若い頃の自由な暮らしにノスタルジーと後悔を抱きながら、這うように人生を推し進めるのが大人になる上で共通の感覚だと、個人的には思っています。人は遅かれ早かれどこかで折れて、現状に安住することを覚えます。それを非難する気は皆目ありません。むしろ、動物としては精神衛生と生存を確保するためのあるべき姿とさえ思います。
 しかし、残念なことに、資本主義は動物性を全く無視して機能しますから、機械のような安定的なパフォーマンスをユビキタスに発揮できる生き物であればあるほど、資本が集まるという機構になってしまいます。そいう環境においては、精神的な持久力というのは一つの武器と認めても良いでしょう。ちなみに、過酷な残業などしなくても、身体的な持久力を高めれば精神的な持久力はついてきますから、本来はそうやって培うべきと思います。

・30代マインドへの転換
 これが最大の収穫と思うのが、マインドの転換です。前段で述べた泳ぎ方のうんぬんというのは、ともすれば、絶対的な正義に聞こえますが、実はそうではありません。というのは、これはあくまで20代に限定した話であるという点、そしてものすごく日本的であるという点です。ほとんどの場合、対価をもらいながら労働を提供する時に求められるのは知的生産ですから、「発見」か「変革」か「拡大」のどれかを使用者ないし客に提供せねばなりません。その点で言えば、誰かから教科書と試験問題を与えられるというのは、既存のノウハウをより効率的になぞる力のみが養われます。つまり、知的生産というより、作業としての色合いが強くならざるを得ません。しかし、資本主義下でゴーイングコンサーンを前提とする社会では、皮肉にも最終的にサラリーマンに求められるのは、この知的生産の方なのです。
 サラリーマンの酷な部分は、そう言ったことは暗黙の了解とされ明文化されないままに、雇用者に要求するようになっていくという点です。簡単に言えば、20代から30代になるにつれてじわじわ、なんとなく要求案件の毛色が変わっていく感じです。20代なら上手く行った自らのベストプラクティスが次第に通用しなくなっていく。
 この点にのみ言えば、不幸中の幸い、私は座標のない海に落とされて、既成概念のないまま泳ぎ方を習得する日々でしたから、人の地図に載っていない島に到達する可能性もあれば、そもそもボート買った方が早くね?という、ゼロベースの発想に至ることも習慣になっています。業務の中にむしろ作業がなく、知的生産がほとんどであったのです。生み出す額は小さいのが問題なのですが。
 もう一つは、企業が人間を立派な企業戦士に育てるというのは、極めて日本的だということです。これは詳細を説明するまでもないですが、海外では、自分で自分を企業戦士に訓練していかねばなりません。そこに、教科書はなく、自らで情報を集めて航海図を書いて進みながら修正を繰り返します。日本のように、中流階級へののしあがり方がフォーマット化されている方がむしろ世界的に見て稀有なのです。そう言った意味では、企業は着実に西洋風へシフトしていますから、これは資本主義が西洋から出発したから避けられないトレンドなのですが、自ら航海図を書き、航海術を習得していくという技術は、将来的には基礎能力要件となっていくと推測できます。その時代では、この感覚を一足先に身につけた自分に優位性が生まれると信じていたいものです。

では、具体的な目標へと話を集約させたいのですが、今の私はどこへ向かいたいのか。
2022年は、繰り返し述べているように陰鬱な気持ちで生きてきて、本当にどうしようかという気持ちでしたが、幸い、年末に滑り込みで海外に行くチャンスを得ました。台湾、ベトナムへ仕事で、アメリカへ友達に会いに行きました。実に3年ぶりの海外です。コロナで分断されている間に、日本はどれだけ後退しているかを思い知りました。アジアのモノの値段は上がり、円の価値は下がり、世界は氷河期の訪れに備えている中どこか平成の頃のマインドでふわふわしている日本。別に政治的、歴史的偏りは元からない方でしたが、そんな私でも日本の没落を感じずにはおれませんでした。もともと、グローバルスケールで考えれば、島国で極東にいて自国が裕福な日本は環境的に国際社会への参加が不利なのですが、それがいよいよ露呈してきたのだと感じます。具体的な学びの話は割愛して、やはりこの「焦燥感」を体感できたのが一つ財産になったと思います。そして幸い、そういう大学を出ているので、平均的な日本人よりはその辺りの抵抗感が薄く免疫のある自分なので、今年はまたケツを叩き直してグローバリズムの空気を入れ直すことに邁進したいと思います。具体的には、HSKの3級くらいから着手したいモノです。

また、すでに述べたとおり、現職への区切りへの準備を具体化していきたいとも思います。最終的には、べらぼうにお金持ちになって、ビバリーヒルズに住みたい私ですから、年収アップを狙ったキャリアチェンジを推し進めます。具体的には、①企業経営理論の強化②専門性獲得へ着手です。
 ①は中小企業診断士の一次試験突破です。挑戦三年目になります。そろそろ取らねば、いつまでやってんねんとなりますからね。あと、台湾で知り合った事業展開のコンサルタントに、中小企業診断士は意味ないと言われがちだが、持っておくと思った以上に世界が開けるのでそのまま続けるといいよというアドバイスもらいました。結局日本には専門家はたくさんいるが、分野横断的な知識を持って、専門家をアッセンブルできる人がいなさすぎるので、中小企業診断士の課程で学ぶことを知識で終わらせないで仕事に落とし込むことまでできれば、たくさん経営者が寄ってくるよ、とのことでした。彼は、飲食業界とホテル業界の名だたる企業の台湾進出をサポートしてきたと言います。いわく、「でも自分にも一つ以上強烈な武器がないといけない」とのこと。これが私のいう②につながるのですが、彼の場合は母国語レベルの中国語、ではなく、そんなには基本中の基本で、台湾の商習慣、文化理解、現地の圧倒的な人脈であるとのこと。台湾の狭さもあるかもしれないが、経済界から政治界から、もちろんビジネス界隈まで圧倒的な台湾での人脈を持っていました。多くの人は、言語が堪能になって、商習慣を理解かいして、まあまあ普通に現地で暮らしながら仕事ができる程度になったらそこで満足してしまうが、もっと深部まで入り込まないと、と言っていた。まあ、そういう生き方もあると思うが、個人的には一国に長じるよりも、中くらいで2、3カ国に精通する方がいいと思うが、この辺は好みの問題だろうと思う。
 ②について、今の時点では具体的にはデータサイエンスの分野を目指そうと思っている。理由は、どう考えたって伸びる分野であることと、世界的にプロフェッショナルが不足していることと、個人的に数字を見ているのが好きだからだ。自分の中ではカッコをつけて「大人の理転」と呼んでいる。高校生くらいしか使わない単語ではなかろうか、「文転」とか「理転」というのは。文系の人が理系にいく、あるいはその逆を指す言葉だ。脳みその芯まで染み切った文系感覚を、20年くらいかけて理転していきたい。なぜなら、その方が儲かるからだ。なんの根拠もないが、お金を稼ぐなら、芸能かアートか理系職であるほうが確率が高いと思っている。
ちなみに、芸能とアートについては、「そんなことないやろ」と言われそうだが、精神的負荷を含めたかかるコストに対するリターンの割合でいえば割りの良い仕事だと思っているし、日本で帰結しようとするから食っていけないだけで、中国かアメリカを客にすれば普通に食っていけるようになると思う。例えば、卑近な例としてYouTuberになったとして、日本人の0.1%に見られたところで12000人ちょっとにしかならないが、、(中国でYouTube見られへんけど例として)中国人ネイティブに向ければ、0.1%に見られれば単純計算で140000人くらいが来てくれる。それぞれ一回ずつ動画を再生したとして、YouTubeの単価が再生回数あたり0.3円らしいので、日本では3000円ちょっとくらいにしかならないが、中国人に向ければ5万くらいになる。月に2〜3本も投稿すれば生きていけるだろう、みたいなことが推測できる。
 話がそれましたが、文系職は稼ぎにくいという話で、理由は単純明快で上述の「発見」「変革」「拡大」を生みにくいからだ。たしかに、文章力や会話技術や交渉術や語学スキルはむしろ年々重要度が上がっているが、それのみで知的生産をするというのがまず難しい。翻訳家や通訳やセールスマンが結局大金稼げないことから明らかだろう。弁護士などは例外だが、、、
たしかに文系でも会社経営者になって大金稼ぐという筋もあるが、それとて文系知識のみでやるより、理系的なモノづくりの知見や、数学的センス、ITノウハウがあった方が格段に稼げることに疑いの余地はないだろう。

では、明日から急にデータサイエンティスト目指します!というわけにもいかない。社会は30歳にもなれば未経験の人間を登用して成長を見守る余裕など与えてはくれない。とくれば、今やっている仕事に近いところからスタートしてジリジリ寄っていくという戦略を取ろうと思う。それが私にとっては、調達かマーケティングだ。どちらも、結局は市場を読む仕事だ。それをセルサイドかバイサイドかの違いだけだと考えている。華やかで響きがいいのはマーケティングだろう。それだけにプレイヤーが多い。労働市場の観点で言えば、希少性から調達に長じることは戦略として悪くないと思っている。調達はそもそも競争力の源泉だからだ。マーケティングは、調達したモノを最適に配分する仕事なので、やはり調達するものが上流で鍵を握ると私は思う。
 もう一つ、調達の仕事をやっておけば、いやでも財務会計と密接するし、いやでも情報システムと密接する。つまりは、近接職種としてキャリアスイッチを起こしやすいと思うのだ。残念ながら、所得の観点では出世しやすいお金の稼げる職種ではないだろう。ということで、差し当たり調達の資格でも取得して、キャリアチェンジを目指し、「大人の理転」を目指すことに勤しもうと思っている。

もう一点大事なことは、右脳の強化だ。個人的に好きな山口周氏がかねてより主張しているように、ロジカルシンキング、左脳的なスキルはいずれ陳腐化してしまうだろう。なぜなら、全員が等しくそれを持つようになるからだ。むしろ左脳が発達していなければお話にならない、という世界がすぐそこまで来ている。アメリカではすでにそうなっている。そして、ロジカルシンキングとは、要は数式を解く力のようなもので、ロジックの積み上げのいく末は、皆が同じ答え持つということになる。すなわち、同じ情報をインプットすれば皆が同じアウトプットを持つということで、ここで差別化して優位性を持つためには、アート、右脳的な感性でもって問いを立てたり、ストーリーを立てたり、デザインを磨くことに帰結するだろうというのが同氏の主張の大筋だ。わかりやすいのがアップルの目下の躍進だろう。機能以上に、人の情緒に訴えることに成功している。Amazonがかの強烈な投資を繰り返し、PLの見栄えを無視した経営が続けられているのも、投資家がベゾスが描く未来図に期待し、語るストーリーに心躍るから、という情緒面の関与は否定できないだろう。今でこそメガカンパニーだが、財務諸表だけ見ていれば、なかなか自らの資産をベットするには勇気のいる企業と言えるだろう。
 少し風呂敷を広げすぎた感は否めないが、要するに右脳的な感性は継続して磨いていかなくてはなりませんね、と私は信じている。そのためには今年も創作活動を継続したいところだ。ありがたいことに、すでに2件、お漫才させていただく機会をもらっている。一般人としては意味わからない頻度で、人前で漫才をしている自負がある。漫才は計算では答えが出ない点が魅力だと思う。人の貴重なお時間と集中力を割いていただくだけの笑を返したいものだ。頑張ります。

最後に、健康。健康・体力は、上記につらつら述べたいろいろなことの源泉だ。今年は脱長時間残業の代わりに、自己投資に追われて心身削ることになるだろうから尚更である。「腕立て伏せ200回」「体重マイナス5kg」「減酒」これを合言葉にしていく。

【まとめ】
①中小企業診断士 一次試験突破
②調達の資格保持 (CPP-A)
③お漫才で大爆笑とってくる
④「腕立て伏せ200回」「体重マイナス5kg」

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