【内容紹介】 『少女漫画家「家」の履歴書』(文春新書)
2月18日刊『少女漫画家「家」の履歴書』(文春新書)は、週刊文春の老舗連載「新・家の履歴書」(暮らしてきた家の記憶と共に半生を伺うロングインタビュー)に掲載された記事の中から、レジェンド少女漫画家ばかり12人を集めた1冊です。取材・ライティングを担当した7人の記事についてレコメンしたツイートを、以下にまとめます。
①青池保子さん。
山口県下関市長府の生家は、父の経営する土木建設会社の作業所が隣接。日本庭園の雅な空気と、マッチョな男たちが荒々しく働く作業所の風景のコントラストには、子供心に興味をそそられたそう。
『エロイカより愛を込めて』が人気急上昇中の1977年、29歳で都内のマンションを購入。「同世代の少女漫画家の友人たちが、三〇歳を前にして『結婚せずに、仕事を頑張っていこう』と一斉にマンションを買っているのを見て、考える事は同じだなと思いましたね」。物件に一目惚れしたエピソードも素敵です。
②美内すずえさん。
両親は共に理髪師で、子供時代に住んでいた大阪市西区の家は1階が店舗。高2で漫画家デビューし上京後は、東久留米のアパートを借りるものの、神保町にあったカンヅメ旅館にほぼ入りっぱなし。
アシスタントたちと寝食を共にしながら漫画を描いた日々は、のちの傑作『ガラスの仮面』に繋がる「ある種の『劇団』体験だったんじゃないかと思います」。20代の終わり、吉祥寺に一軒家を新築。現在はその土地で、旦那さんがレストラン「カフェ・デュ・クレプスキュール」を経営しているとのことです。
③庄司陽子さん。
幼少期は父の仕事の都合で千葉、栃木、東京へと引っ越し続き。大田区上池台のアパート時代は生活に困窮。「それが、のちの私の浪費癖を生みました。『パーティーで同じ服は着ない!』とか(笑)」。
一人暮らしを始め漫画の作風も「スポ根の庄司」から「コメディの庄司」へと転換。30歳で「『生徒諸君!』御殿」と呼ばれる一軒家を横浜に建てる。人生でクソッと思うことは山ほどあった。でも、漫画が救ってくれた。「ヒロインたちの笑顔を描くたびに、私自身も前向きになっていく感覚があったんです」
④山岸凉子さん。
『日出処の天子』『アラベスク』『テレプシコーラ/舞姫』など長編を発表する一方、シャープで怪しい描線を駆使して描き継いできた短編ホラーの数々は、暮らしてきた家の思い出に紐づくものでした。
中学2年から21歳まで暮らした北海道・札幌の社宅は、不可思議な現象のオンパレード。国分寺に建てた一軒家でも妙な出来事が連発、「表玄関が鬼門」という縁起の悪い設計であることが判明。大幅にリフォームした途端、漫画賞を受賞! 「そういうことが起こると、迷信深くなっちゃいますよね(笑)」。
⑤有吉京子さん。
生家は熊本市の金峰山の中腹にある築二百年の古民家。絵画教室に通うも親との取り決めでバレエ教室には通えず。「実際に自分でやれなかった代わりに、漫画でバレエを描くようになったんです」。
上京後は西武新宿線の都立家政駅近くにアパートを借り漫画家生活を開始。『SWAN─白鳥─』の大ヒットを経て、小平市に自ら設計デザインしたアトリエを建てる。ロンドン留学を機にアトリエを手放し、帰国後は神奈川県三浦郡葉山町とハワイのマウイ島の2拠点生活へ。マウイ島と葉山は似ているそうです。
⑥くらもちふさこさん。
東京生まれ東京育ち。幼少期を代官山で過ごした後、豊島区駒込へ。この街と『いろはにこんぺいと』の舞台のモデルとなったアパートは、「目から耳から、五感をフルに使う」豊かな環境だった。
デビュー後は都内を転々とするも、最も思い入れのある街は、手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作『駅から5分』でも舞台とした駒込。「駒込のしだれ桜が咲く頃の六義園に行くと、いまだに幼馴染と会えるんです」「出会う、ということの不思議さについて考えたい気持ちは、常に私の中にあるようなんです」
⑦池野恋さん。
出身は岩手県稗貫郡石鳥谷町(現・花巻市)。「生まれた時から住んでいる土地で、今も暮らしています。(中略)住み慣れた家で、一人でマンガを描くことが、私にとって自然な選択だったんです」
多世代同居の生家でずっと暮らし続け、デビュー後は仕事部屋を新たに得たうえ、家族がアシスタントとして漫画をサポート。代表作『ときめきトゥナイト』に描かれたあたたかな家族の感触は、実体験からもたらされたものでした。現在は生家のあった土地に新居を建て、お孫さんも含めた四世代同居中です。
※本書には他に、水野英子さん、一条ゆかりさん、木原敏江さん、魔夜峰央さん、いくえみ綾さんの記事も収録されています(全12人)。詳しい書誌情報は出版社ホームページにて。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166613526