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【書評】 片方への感情移入ではなく、カップルとして愛でること──『ノベライズ 花束みたいな恋をした』(原作・脚本 坂元裕二、著 黒住光)

 弱冠二三歳でトレンディドラマの金字塔『東京ラブストーリー』の脚本家を務めた、坂元裕二。『花束みたいな恋をした』は連続ドラマ休止宣言中に手がけた、一四年ぶりとなる映画脚本だ。東京に暮らす大学三年生の山根麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が、明大前駅で終電を逃したことをきっかけに出会い恋をする。「ただそれだけ」のことを丹念に描き出す、王道ど真ん中のラブストーリーだ。本書は、そのノベライズとなる。
「ただそれだけ」の丹念さの中に、サブカル要素が目一杯盛り込まれている。麦と絹がフォローするサブカルの範囲は、今時の若者たちのようにアニメや漫画やゲームに留まらない。映画も演劇も写真もアートもミイラも……そして何より、小説も。絹が初めて麦の部屋に入り、本棚を見た瞬間のセリフは「ほぼうちの本棚じゃん」。自分の「好き」なものが相手も「好き」だったから、その人そのものも「好き」になる。若さゆえの、完全無欠のロジックだ。中でも特権的に言及される存在は、小説家の今村夏子だ。デビュー作『こちらあみ子』に収録された短編「ピクニック」、数年の沈黙を経て新文芸誌の創刊号に発表された新作(「あひる」)、まさかの芥川賞受賞。今村夏子の作品歴には、作品が発表された当時の自分(たち)の関係も色濃く記録されている。小説はきっと、これまでもそんなふうに読まれてきたし、これからもそう読まれていくのだろう。
 麦と絹が喧嘩をするシーンの前後で、自分が口に出した言葉は本当に伝えたいことではなくて、伝えたいことは他にある、それがかつては相手に言わずとも伝わっていたのに今はもうダメだ……と二人がうなだれるシーンは、坂元裕二らしさが全開だった。そのシーンの裏ではお互いこうだった的な驚きは、小説版の手柄だ。とはいえ、もともと脚本自体、男女のモノローグが交錯するデュエット形式で記されているため、台詞だけでなく心理描写も基本は脚本に忠実だ。忠実であるがゆえに地の文はト書きに近く、一般的な小説を読むよりも、登場人物への感情移入はしづらいのかもしれない。その書き方が、この物語には合っていたのだと思う。ラブストーリーの楽しみ方は、カップルのどちらかになりきって読むこと、だけじゃない。カップルそのものを愛でる楽しみ方には、これくらいドライで距離がある方が良かった。
 これからの人生で何度となく、麦と絹のことを思い出すだろう。生身の人間に出会うことと、フィクションの登場人物に出会うことの間には、大きな差はない。坂元裕二が紡ぐ物語はいつも、そのことを教えてくれる。

※「小説現代」2021年4月号掲載

※http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=1038

※映画と小説(&シナリオ)を読み比べてみる、というのも『花恋』の楽しみ方の一つでした。例えば、映画って意外と自分の姿を役者に投影できてしまう。スクリーンに映っているのは菅田将暉さんと有村架純さんという美男美女なので、脚本や小説より他者性(固有名)が強く、観客とは絶対的な距離があるはずなんです。でも、初めてキスをする押しボタン式信号機前のシーンで、映画では、二人が後ろを向いてる姿を映している。顔を観客に見せず、二人が「背中と後頭部だけ」の存在になる。その瞬間、なんとなく彼の(彼女の)一部がどこか自分と似ている、と感じる人は多いと思うんです。そうやって要所要所で固有名が消える瞬間があり、そこから感情移入が始まる。映画の大ヒット御礼トークイベントで菅田さんが、「(『花恋』にハマった男性たちからのリアクションとして)よく聞くのは、麦くんに感情移入しすぎて(中略)いつのまにか“有村架純と付き合ってた過去”ができあがってて。“俺、付き合ってたんだ!”みたいなのはすっごい聞きましたね」という発言は、だからものすごく納得できます。小説や脚本で読むと、もっとそのものズバリな他者性が維持され続けているんです。むしろ逆じゃないのかな、と思っていたので驚きで……。7月14日発売のBlu-ray / DVDを観て、またいろいろと考えてみたいです。豪華版には、「劇場版ガスタンク~特別編集版~」の特典映像が収録されるそうです。予約済みです。

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