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人生一生負け組でいいの?

 私は現在地方公立大学の経済学部に通う大学2年生である。

企業インターンを早いうちから始めようとしている昨今であるが、その話題を友達に振った時に帰ってきた言葉がこうだ。

「俺には提供できる価値がないし、その業界のこと全く知らないし、上には上がいるから

俺はインターンは無理」

私は疑問に思った。

もちろんその進む業界について詳しいから、その業界に進むと考えている人もいるだろう。しかし、たとえ自分がその業界について知らなくても、後から勉強すれば元々知識がある人に十分追いつくことができるのではないだろうか?

 そのような回答を返したところ、

「やらなくてもできる天才もいるし、その天才がさらに努力したら追いつけっこないよ」

私には全く理解ができなかった。

彼は企業で務めるにはそこで一番にならないと勤めてはいけないとでも思っているのだろうか?

彼はまたこのように述べた。

「自分が所属する学校でも真ん中ぐらいの人で、もっと優秀な人がいるのに、その上の人もやってないようなインターンを今の俺が始めるなんておかしい」

と。

ここで、注目すべきは「上の人だからインターンをやる。上の人がやっていないのに、したのひとがそんなことをするなんて」と考えていることだ。

まず、ここでいけない考え方がある。

それが他人との比較だ。

「あいつには勝てないから、自分はだめだ」

そう自身に言い聞かせている。しかも、越えようとする努力さえ無駄だと感じている。

ここで言っておこう、

「他人との比較は、終わりない負けの人生を作る」

と。

残念ながら、世界を見渡せば自分より優れている人間など山ほどいる。

もし、目の前の一人を上回ったとしても、いくらでも世界には上がいる。

だから、他人との比較で自己肯定感を保とうとする、他人との優劣で満足する、なんてことが本人にとっていいわけない。

常に負ける可能性というものがあるのだ。

一つの分野でも他人との比較で一番になれる人はほんの一握りだ。

そこで、ここからは代わりにしてほしい思考法がある。

それが、

「昨日の自分と比較する」

ということだ。

すなわち「他人との勝ち負けよりも、自身の成長に重きをおく」

ことである。

この考えを持っていれば、自分のコントロールできる範囲の思考できる。

他人という自身ではコントロールできない要因を日々の思考に入れることはよろしくない。

成長に重きをおくことで、常に

「人生で最高の自分」

を更新し続けることができる。


もしあるテストに向けて勉強していたが、そのテストでいい点が取れなかったとしよう。

「最悪だ」

「自分はやってもできない」

そう感じることもできる。

しかし、こう捉えることもできる。

「テスト勉強を始める前の自分より成長している」

と。

テストでいい点を取れなかったという事実は1つである。

しかし、上記のように本人の解釈は無限にある。

「事実は一つ、解釈は無限」

という言葉はぜひ覚えていてほしい。


このように、成功やある出来事の結果にフォーカスするのではなく、

1年前や1ヶ月前の自分からどれだけ成長したか、今の自分は昨日の自分を超えているか、

ここに思考の中心をおいてほしい。


「他人との比較」

「今の俺は負けているから一生負けたまま」


そんな馬鹿げたこと、考え方はやめよう。


「ライバルは常に昨日の自分」

「事実は一つ、解釈は無限」


私はこれを人生の教訓としている。


ぜひ参考にしてほしい。


FIN

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