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『科学者の時間』という理科授業のワークショップをやってみた その1

 8月16日に、Learn by Creationというイベントを芝国際中学校・高等学校で実施した。『AI時代、唯一無二の「人間らしさ」どう育む?』というテーマのもと、教育関係者や保護者、学生、クリエイター、起業家など、業種の垣根を飛び越えて集まり、「新しい学び」について考えるイベントだ。

 そのなかで私は『科学者の時間』のワークショップを担当した。『科学者の時間 ガチャドタ実験』というワークショップ名だ。(いつも授業づくりでお世話になっているダイアローグラーニングの井上さんの発案)
 普段は理科の授業で中学生とやっていることを、いろんな人に向けてやってみるというチャレンジだった。当日は午前午後で30名近い人たちが理科室にやってきて、大人も子どももスタッフも混ざり合い、誰もが立派な科学者となっていた。今回はその振り返りを中心に、考えたことを書きたい。

『科学者の時間』とは?

 今回のワークショップのために、『8分でわかる!科学者の時間』というフリーペーパーを作成した。おそらく読んでも8分では分からない…。簡単にいうと『科学者の時間』とは、身近な現象から不思議だなあとか面白いなあと思ったことから問いをつくり、自分で実験方法を考えて探究する時間だ。こう説明すると『教えない授業』なのかと言われることもあるのだが、そうではない。何を教えるかの転換だ。これまでの、理科の教科書に書いてある方法や結果、考察まで制御された実験や、教科書の太字を明示的な知識として教えるのではない。問いのつくり方、その問いから実験方法を考えるための科学的な手法、そしてそれを他者と共有して、より確からしい仮説を積み上げることで知識を得るための方法を教える。
・・・というのが表向きの説明だ。

8分でわかる!科学者の時間

今回のテーマは『光』

 普段の授業では、一つの単元を長い時間をかけて行うものを、今回は2時間のワークで問いづくりから実験、発見したことの発表まで体験してもらう。テーマを何にするか相当迷ったが、授業でも扱ったことのある『光』にした。
 授業のときの準備と同様、光源装置やレーザー光、凸レンズや曇りガラス、三角プリズムなどの教科書に出てきそうな実験器具に加えて、100円ショップで買ったビー玉や手鏡、老眼鏡、そして懐中電灯やLED、ブラックライトなど、光に関係がありそうなものを用意した。さらに、スライムやスーパーボール、キラキラしたリボン、色画用紙などに加えて、食塩やクエン酸、小麦粉やベーキングパウダーなど、何に使うのか分からないものも用意した。用意したものを誰もが手に取って遊んだり試したりできるように、理科室の真ん中の机に並べて準備した。

前日の準備

大人だって、とことん実験

 当日は午前と午後で1回ずつ、同じワークショップを2回行った。始める前は、私が「みなさんは科学者です!楽しんで実験しましょう!」と言ったところで、本当に楽しんでもらえるのか相当心配だった。でもやってみると、中学校での「科学者の時間」と同じようなガチャドタした理科室の光景が広がった。午前の回、参加者は大学生や教員の方々が中心。暗幕を閉めて明かりの少ない理科室で、手の届くものに触れながら少しずつ探究がはじまる。

午前の回。用意された道具に触れたり遊んだりしながら、自分がやってみたい問いを考える。
気になった物を手に取って、思い思いにやってみたいことを試す。
(写真中)水にいろいろな物質を溶かし、光の道筋を観察できないか実験してみる。
(写真右)レーザー光をいろいろなものに通してみる。意外なところに光が曲がることを発見。
(写真左)スタッフも思わず自分が気になったことをその場でやってみる。

モヤモヤをいったん言葉にする

 ワークが始まって残り時間半分くらいになったあたりで、今回一緒にワークショップをやるメンバーの一人である深谷さんから、「みんなが今自分がやっていることを、いったん言葉にする時間を取りましょうか?」という提案が私にあった。参加者の様子を見ると、たしかにそれぞれが夢中で手を動かして何かをやってはいるものの、なんだか進まないというか、堂々巡りを繰り返している様子。なので提案の通り作業を一旦中断してもらい、紙に今自分がやっていること、実験して気になっていることや不思議に思ったことを自由に書いてもらうことにした。
 その後実験を再開した。すると、実験の条件を変えたり、比較対象を明確にしたり、さらには紙に書いた物を見せ合って議論したりと、さっきの堂々巡りな感じが多少解消された感じがした。実際ワーク後の振り返りでも、「あのとき紙に書く時間がなかったら、自分が何をやっているのか分からないままモヤモヤして終わっていたかも」「紙に書くことで自分が何を確かめたいのか明確になった」と仰る参加者がいた。

言語化するという人間らしさ

 自分の身体的な経験をいったん言語化することで、自分がどんなことに不思議がっているのか、何をやりたいのかについて、はじめて自覚的になる。午前の参加者は大人だったのだが、大人でもいったん言葉にしてみることはすごく大事だと感じた。今回のイベント、Learn by Creationのテーマは「人間らしさ」だったが、言語化するというのは本来すごく人間らしい行為なんだと実感した。AIも、言葉を生み出すことに関しては相当進化しているが、目の前で起きた経験を言葉にするプロセスは人間らしさそのものではないだろうか。
 普段は中学生と一緒に授業をやっているのだが、授業での「言語化する」行為はそのほとんどが「言語化させられる」行為になってしまっている気がする。通常の理科の授業で言語化する機会といえば、全員がほぼ同じ実験の結果と考察を書かせたり話し合わせたりするとか、授業の振り返りを書かせるとか。教師が生徒のことを知りたい、評価したいときに生徒に言語化を迫ることばかりだ。だから生徒も必要性を感じていない。書いたり話し合ったりすることにウンザリしていて、面倒臭いと感じている。むしろ、そういうものなんだと思わせているのかもしれない。
 もちろん、今回は大人だから言語化することができて、その意義も感じ取ることができたとも考えられる。中学生に「いったん言葉にしてみよう」と言っても、たちまち「言語化させる」行為になってしまう。言語活動が大事だと言って、いくら言語活動っぽいことをやらせようとしても、それはやらされることに違いはない。
 『科学者の時間』でまず大事にしたいのは、思わず言語化してしまう、言語化したくなる様な、現象をおもしろがったり不思議に思う自らの好奇心を、思う存分解放できるような場にすることなんだと思う。最初は「わあ!」とか「え!?」でも、感情が動くこと自体が言語化の第一歩だ。そこから現象の面白さにのめり込むことで、科学者としての探究がはじまる。

午前の回終了。午後の回は・・・!

 午前の回の最後は、それぞれが探究したことを発表した。ビー玉の表面に映る光の正体を探ったグループ、いろいろな光の色の成分を分光器を作って調べたり、水溶液中でレーザー光を見ることができる条件を探ったり。「まだ全然やり足りないです!もっと時間が欲しい!」という人もいた。
 最初は大人を相手に『科学者の時間』が成り立つのか正直不安だったが、理科室で実験すること自体が久しぶりの参加者が多く、参加された理科の先生でも「自分で確かめたいことを理科室で思う存分やってみることなんてなかった」と仰っていて、楽しむことができたようで私もホッとした。

発表会の様子。発表で実験を披露してみんな興味津々。

 そして、午後の回。午前とは雰囲気が打って変わり、理科の先生に加えて親子で参加する方も多く、大人に加えて小学生と一緒に『科学者の時間』をやるという貴重な経験ができた。それは名前の通り『ガチャドタ実験室』だったのだが・・・!
長くなったので次回に書くことにする。






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