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突っ込んでこそ

「あそこのじいさんは、まだらしい」
「いい年して、恥ずかしい」
「こういうのは、早く終わらせるに越したことはない」
こういった声があるのが、この地域の年寄りにはだいぶ恥ずかしいらしく、終わらせないまま公民館のレクリエーションや、グラウンドゴルフに参加するのは、生き恥と言っても生ぬるい。

吉田留吉さんもその1人で、自分の年齢を鑑みて、
「そろそろだ、そろそろだ」と思っているが、なかなか踏み出せずにいる。
問題は金銭的なものだ。
自身の車を一台潰すことになる。
相手への弁償、慰謝料、治療代その他諸々、かなりの額になる。
おいそれと用意できるものではない。
度胸は十分すぎるほどあり、
「その村の同世代の中ではいち早く筆下ろしをした」
ことを今までの大きな自負としてきた。
それだけに、これに遅れをとっていることは忸怩たる思いがある。
これを済ませた同世代たちの晴れやかなる顔を見るにつけ、歯噛みをするしかない。
何度も、トレードマークにもなっている、薄汚れた近鉄バファローズの野球帽を地面に叩きつけて見たものの、それで現実が変わるわけではない。
これを済まさずしてこの村で生を終えるわけにはいかない。
かといってこれのない隣村に今更引っ越すわけにはいかない。
さて、どうしようか……



村唯一のコンビニエンスストア「タザワマート」には、今日も警察関係者と、暇な野次馬とが集まっていた。
タザワマートには、高齢者に人気のシルバーのハイブリットカーが、頭から突っ込んでいた。
運転していたのは、無職・中尾茂(78)。
中尾茂は、警官の現場検証に晴れやかな顔で付き合っていた。
「ここでアクセルとブレーキを踏み間違えたわけですね?」
「はい!」
「本当は最初からアクセルを踏み込んだんでしょ?」
「はい!」
「どっち!」
「はい!」
警官の一問一問に答える中尾茂さんの顔は、初めて性交を経験した十代のそれであり、
「これでこの村でいっぱしの老人づらできる」
とでも言わんばかりだ。

一方、被害者であるタザワマートのオーナー・田澤明久は、自分の店を滅茶苦茶にされた悔しさがその顔に滲んでいる。
……のかと思いきや、諦念の無表情であった。
「現場検証は、どうせいつもと一緒でしょ? 早く店を元に戻させてくださいよ」
「まあ、そういうわけにはいかないから」
警察も「前回と同じ」という報告書を書くわけにはいかない。
この村で毎度の事件ではあっても、ここは丁寧に現場検証をするしかない。

「親父、もう、どうにかするしかないよ」
 田澤明久の息子で、次期オーナーでもある田澤晃が話しかける。
「いったい、何回店を壊されればいいんだよ」
「でも、これもこの村の風習だから」
「だからと言って、うちばかり被害に遭って」
「どうせ、たんまり慰謝料もらうんだろ!」
 というのは、野次馬の誰かから発せられた一言。
「誰だ!」
田澤晃が野次馬を睨みつけても、誰も名乗り出るものなし。
ただ一人、野次馬からコソコソ逃げるように離れていく人物が。
その人物、薄汚れた近鉄バファローズの野球帽をかぶっていたような……



老人がコンビニエンスストアに車で突っ込む事件は、日本全国的に珍しいニュースでは無くなっていたが、この村でもそれが平成の初期から勃発していた。
それがいつしか、
「車でコンビニに突っ込まないと、一人前の老人ではない」
となり、意図的に車でコンビニに突っ込むのが、この村の風習になりつつあった。
それは、バヌアツ共和国はペンテコスト島における「ナゴール」つまり、バンジージャンプのように、この村では認知されつつあった。
村で唯一のコンビニエンスストア「タザワマート」としては、たまったもんじゃない。
老人の数だけ、店が破壊される。
その都度修復せざるを得ない。
オーナー・田澤明久もその都度憤怒の表情であったのが、いつしか諦念の無表情となったのである。



「これは手を打たないといかない」
その夜、村の青年団の定例会の開始早々、田澤晃はこう、切り出した。
「どうせ、たんまり慰謝料もらうんだろ!」
副団長の山﨑が冗談混じりに言う。
「お前か、あの野次馬は!」
田澤晃は山﨑に掴みかからん勢い。
「何のことか知らんが、俺じゃないよ!」
「みんな、思ってることだから、しょうがないじゃないか」
会計の高田が山﨑に助け舟を出す。
「タザワマートは慰謝料で食ってるってな」
団長の佐山も続く。
「おい、佐山、お前が言うか。お前のガラス屋だって、その都度儲かってんじゃないか!」
「それを言うなら、板金屋の山﨑だって車の修理で儲かってるし、保険屋の高田だって」
「そうだ、ここにいるほとんどが、この奇妙な風習で飯を食ってるんだからな」
「だから、この風習を無くしたら、みんなが困るんだ」
「ふざけんな、その都度破壊される俺らの身にもなってみろ」
「じゃ、どうしたいんだ?」
「老人会へ行ってだな、『もうこれからはしないでくれ』と説得する」
「そう簡単にいくかね?」
「説得するには、代替案を出さないとな」
「儀式化するんだ。例えば、祭壇らしきセットを組んで、そこに自転車なり、リアカーなりで突っ込むと言うのは?」
「いやぁ、それはちょっと」
「何でだよ。昔の牛や馬で農作業をやっていた名残を残して踊り化した郷土芸能とかあるだろ。そう言う形に持っていけばいい」
「なるほど。しかし」
「しかし?」
「我々の儲けが減る」
「儲けはこの際、考えるな」
「ふざけんな! 我々に餓死をしろと言うのか!」
「今までで一番怒ってるじゃないかよ」
「生活ランクを下げろと言うのか、生活ランクを!」
「別にそこまで言ってないよ」
「もう、豚肉のカレーには戻れないよぉ」
「それは好き好きじゃないか。俺は豚肉が好きだし」
「我々のビーフカレーのためにも、このままがいいんじゃぁ!」
「では、こうしたらどうだろう」
今まで沈黙を保ってきた、書記の木戸が口を開く。
「どうするんだ、木戸?」
「その祭壇を組むのに、それぞれのお店から品物を揃えないといけない」
「と言うと?」
「祭壇は、タザワマートのミニチュア版みたいにして、原型は山﨑板金屋が作る。ガラスは佐山ガラス店から。何かあった時のために、高田んちの保険に入るのは、マスト」
「なるほど。それなら幾らかの儲けにはなる」
「うちはどうすんだよ?」
田澤晃が聞く。
「お前んちは、慰謝料でだいぶ儲けただろうが!」
山﨑が答える。
「そういう問題じゃないだろうが!」
「田澤んちはそうだな、場所の提供はどうだ? 広い駐車場の片隅でやるのには申し分ないだろう」
「うちの利益が」
「もう被害がないことで、よしとしようじゃないか」
「釈然とせんが、仕方がない」
「よし、これを青年団の意見とするか」
佐山のまとめで、書記の山﨑が老人会への意見書を書くことになった。



「却下」
「早いな」
青年団は老人クラブに代替案を出したが、にべもなく断られた。
「その理由をお聞きしたい」
青年団団長・佐山が老人会会長に聞く。
「そもそも、この風習の意味を、若い方々はご存知ない」
「意味?」
「老人になると、気が弱くなる。体力もなくなる。世間では邪魔者扱いだ。それらに対する自分達の存在感のアピール。そして、矜持」
「ふざけるな、その矜持のために、うちはどれだけ店を壊されたと思ったんだ!」
田澤晃が激昂する。
「うるせえ、たんまり慰謝料貰ってるくせに!」
またもやどこからか声が。
「誰だ!」
老人会のメンバーは、会長以外、みな下を俯いて視線を合わそうとしない。
ただ、薄汚れた近鉄バッファローズの野球帽の主が、細かく震えている。
その空気を打ち払うように、会長が口を開く。
「確かに、そのために我々は慰謝料や修理費も払う。器物破損の前科もつく。リスクは大きい。そのリスクを負ってでも、我々はやらねばならんのだ」
「やるな、とは言ってません。擬似体験で済ませていただきたい、と言うお願いです」
「そんな根性なしにはなれん」
「そんなくだらない根性のために、うちの店は」
「うるせえ、たんまり慰謝料貰ってるだろうが!」
また野次が。
田澤晃は、声がしたであろう近鉄バファローズの野球帽の辺りを睨んだが、その野次の主をはっきりさせる云々よりも、心の声が漏れ出す。
「慰謝料云々じゃないんだよ! もう、平和な村にしたいんだよ!」
「と言うと?」
「会長は、この村でいろんな企画が持ち込まれては消えていっているのを、ご存知ですか? ブラなんとか、ナントカの家族に乾杯、ナントカ途中下車の旅、ナントカポツンと一軒家、みんなこの村に企画が持ち込まれましたが、実現には至っていない。なぜか。この老人がコンビニに突っ込む風習が野蛮で危険だからですよ。われわれ青年団としては、村の未来を考え、村にもっと全国から注目を集めるために、この悪しき風習をなくしたい」
「悪しき風習だと!」
「故意に物を壊して、何が風習ですか。もっと誇れるものを残しましょうよ」
「この代替案が誇れるものとは思えんがね」
「この代替案で、老人の力強さ、そして、ものを大切にする考えを後世に伝えましょうよ」
「あの、会長」
一人の老婆が立つ。
「わしらはそれでいいと思っておりますです」
「何だと?」
「考えてみれば、店に突っ込むのは怖いし、罪悪感はあるし、色々お金はかかるし、いい加減に辞めにしたいと考えておりましたです。この提案は、そのいい機会になると思っておりますです」
「みなも同じ意見か?」
「思えば、今まで死亡事故が起きてないだけでも奇跡ですますです。この先、悲惨な事故が起きる前に、安心安全な形に変えたいと思っておりますですますです」
「ぐむう、皆がそこまで言うのなら」
青年団は、老人会の説得に成功した。



「しかし、よくあそこでスラスラとセリフが出てきたな」
タザワマートの裏側の、田澤家に青年団の面々が集まり、今日の老人クラブでの振り返りと、次の一手について、酒を片手に話し合いが持たれていた。
「ものは言いようよ」
田澤晃は誇らしげだ。
「しかし、お前があそこまで村のことについて考えていたとはな」
その時、表の店舗から破壊される音が。
「また、やりやがったな!」
駆けつけてみると、ホワイトのハイブリットカーが、店舗に突っ込むどころか、貫通しそうな勢いで、その全身を店舗に滑り込ませていた。
「派手にやりやがったのは、どこのどいつだ!」
運転席からまろび出たのは、老人会長。
「やった、やってやったぞ!」
「会長、あんた、前にも一回済ませてるだろ! なぜまた」
「これで、この悪しき風習は最後にするため。わし以降は何人たりともやってはならん」
「会長、自分が犠牲になって」
「いや、犠牲になるのは毎回、うちの店だけどな」
「村の未来はお前たちに託した」
ガクリとうなだれた会長は、そのまま息絶えた。
……わけではなく、警察に連行され、これまでよりも重い罰を受けることになる。



それが最後にコンビニに誰も突っ込まなくなったのかと言うとそうでもない。
その代替儀式のお披露目が来月1日に決まり、
「もう誰もコンビニに突っ込んでは行けない」
という村の条例の施行もその日からとなった。
村の老人たちは、
「その日が来たら、もうタザワマートに突っ込めない」
と言わんばかりに、駆け込み需要の要領で、連日連夜、次々とコンビニに突っ込んできた。
彼らの言い分は揃ってこうだ。
「会長だけ、ずるい」
中には、一度済ませているのに、会長のように2回目をする者もいた。
「会長だけ2回、ずるい」
と言うのが、理由らしい。
田澤父子は、
「あと数日の辛抱」
と黙って耐えた。

それらを忸怩たる思いで見つめる老人が一人。
前述の吉田留吉さんである。
踏ん切りのつかない自分を慰めるように、これまでことあるごとに
「たんまり慰謝料もらってるだろうが!」
とタザワマートに対して野次を飛ばしてきた。
が、それで気が収まるどころか、ますます自分が哀しくなってくる。
かといって、この「駆け込み需要突っ込み」の波に乗って、自分も突っ込めばいいのだが、それも出来ない。
なぜなら、自分は「その村の同世代の中ではいち早く筆下ろしをした」男である。
そんな自分が、その他大勢の中に紛れてはならないのである。
そんなプライドと、焦りと、哀しさが、吉田留吉さんにある行動を決意させる。



いよいよ、月が替わって1日。
「えー、どうも、この度は皆さん、お集まりいただきまして、ありがとうございます」
タザワマートの駐車場の片隅に、簡易な祭壇が組まれている。
田澤晃が、この「コンビニに突っ込むしきたり」の儀式化における挨拶を担っていた。
その場には村長から自治会長から、老人から青年団まで、 村の主要人物は集まっていた。
マスコミも駆けつけていた。
第一号は、タザワマートの前オーナー・田澤明久だった。
彼は自分がコンビニのオーナーなもんだから、このコンビニに突っ込む儀式に参加していない。
被害者なのにこの村ではいつも肩身の狭い思いをしてきた。
だからこそ、この儀式化の際には、一番最初の体験者に指名された。
村役場、老人会、青年団、みんなの総意だった。

コンビニに模された祭壇には、村の各店舗から揃えられたガラスなどが陳列されている。
これに、村の自動車屋からレンタルという形で提供されたシルバーのハイブリッドカーに乗った田澤明久は、いよいよアクセルを吹かせた。
その時、一同の背後でガラスの割れる音がけたたましく鳴り響く。
背後を振り返ると、もう破壊されることのないと思っていたタザワマートに、別のハイブリッドカーが突っ込んでいた。
田澤明久も、その息子の晃も、蒼白な面持ちで店に駆け寄る。
車から出てきたのは、吉田留吉さんだった。
吉田留吉は興奮覚めやらぬ顔に笑みを浮かべて言う。
「やった! やってやった! わしは『この村で最後にコンビニに車で突っ込んだ男』になったぞ!」
吉田留吉さんは、器物破損の現行犯で連行された。

さて、それからタザワマートが平和に営業できたのかと言うと、そうではない。
もちろん、儀式化された祭壇に突っ込む老人もいた。
しかしそれは、全体の約7割くらいで、あとの3割は相変わらずタザワマートに車で突っ込んだ。
彼らの言い分はこうだ。
「吉田留吉さんだけ、ずるい」
吉田留吉さんは「この村で最後にコンビニに車で突っ込んだ男」にはなれなかった。

【糸冬】

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