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オードリー・ヘップバーンが自叙伝を書かなかった知られざる理由

オードリー・ヘップバーンは言わずと知れた銀幕の大スタアである。

1993年1月20日、63歳でこの世を去ってから来年で早や30年になろうとしているが、今年は5月に彼女初のドキュメンタリー映画も公開された。

その彼女の、スタイルブックや写真集は幾度となく出版され、今も性別問わず世界中でボーダレスな人気を獲得、維持し続けている。

そんな彼女がある年齢に差し掛かった時に、自叙伝の執筆をしてみないかと、出版社から声をかけられていたことは、彼女のファンでも彼女の評伝等を読んだことがない人々には、余り知られていないことかもしれない。

彼女は、考えに考え抜いた末に自叙伝執筆の依頼を、丁重に断っている。

世界中の彼女のファンからしたら、彼女自身の言葉で、彼女自身が書いた、彼女自身の人生というものを彼女自身の手によって出版されるのを、どれ程熱望したか知れない。ファンにとってこんなにスペシャルなことはない。

けれども、彼女は公私共に平和主義者であった。

自分が自叙伝を執筆するにあたって、過去の戦争体験を思い出したりすることが、辛い作業であることも、勿論その理由としてあっただろうと推察される。

けれども、たとえそこを超えられたとしても、自分が何か書いたことによって、思いもよらぬ事態が発生したり、それによって、誰かを傷つけたりすることになりはしないかと考えると、彼女はとてもじゃないが、自叙伝を書く気持ちにはなれないという理由で、執筆依頼を断ったと彼女の息子、ショーン・ヘップバーン・ファーラーは自らの著書で記していたと記憶している。

自分が書いた物を公に世に出すということは、そういう危険も孕んでいるということをよく理解した上で、物を書く人間は発信しなければならない。

一度、世に出たらもう取り返しがつかないのである。たとえそれが真実であろうとそうでなかろうとである。

自分自身のことを書くのでさえ、これだけ神経を使わなければいけないということを、書く者は理解しなければいけないし、読む側もそこに書かれた人の『声なき思い』に耳を傾け、決して同意した訳でもない、何の抗いも出来ないその人の存在を、尊重しなければいけないと思う。

ある本が出版されることを知り、ふと、このオードリー・ヘップバーンの人としての『真のやさしさ』というものを、私はしみじみと思い出したのだった。

これだけ長く語り継がれるスタアとなったオードリーは、自身の手で自叙伝を書く必要もなかったのだと、もしかしたら彼女自身がいちばん良く分かっていたのかもしれない。

そう思うと、私は妙に納得出来たのだった。

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