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見舞い

 先日、年の離れた友人を見舞いに行った。

 見舞いと言っても、こんな時代だから入院していた病院へ行ったのではなく、退院してから自宅へ行ったのである。

 久し振りに目にした友人は、たった一月ちょっと会っていなかっただけなのに、めっきり年を取ってしまっていた。

 何となく体調が優れないと自分でも分かっていたのに、何故だか病院へ行こうとしなかった。
 見るに見かねた奥さんが、いくら自分が言っても言うことを聞かないからと、友人の学生時代からの親友に頼み込んで病院へ行くように、きつく言ってくれと頼んだそうである。
 その甲斐あって、重い腰をやっと上げ遅蒔きながら軽い気持ちで病院へ行ったのだが、本人も想定外だったのだろう。即日、入院となってしまった。

 その報せを受けたところで、私が病院へ駆けつけることも出来ず、時折、容体を聞きながら成す術もなく一月以上が過ぎた。

 その間、私は病気封じで有名な神社へ出向いて、友人へ渡すお守りを購入して来たり、退院後の療養のための介護ベッドの搬入に備えて、部屋の片付けを手伝ったりした。

 退院前日、術後間もないこともあり、体力の衰弱や免疫力低下の心配もあるから、短時間であっても直接対面での見舞いは厳しい、ご遠慮願いたいというのがご家族の要望だった。

 こんな時代だから何かあっては大変だと、私もそれには素直に頷いたのだが、その日の夕方、私が買物で表へ出た時、友人の奥さんと庭先でばったり会った。

 いろいろと面倒くさい私の家族の前ではそう言ったが「少しの時間だったら大丈夫だから寄って行く?」とおっしゃったので、不意を突かれた形ではあったが、私はマスクをして友人の寝ている寝室へと、恐る恐る入って行った。

 病気をしているということ以前に、私は友人と会うのが実に久し振りだったから、何となく決まりが悪かった。

「久し振り、元気?」とまで言い掛けたが、すぐに声を落として「んな筈ないね···」と言って、我ながら病人にバカなことを訊いたなと思った。

 何か気の利いたことの一つや二つ、思いついたら励ますつもりで言おうと思っていたが、多少の不具合はあっても、ひとまず入院とは無縁な状態である自分に、手術をした人間の痛みなど理解出来る筈もない。

 私はその動揺を悟られまいと、あれやこれやと話そうと思っていたが、友人が大儀な体を半身に起こして、私の顔を見て開口一番「お守りありがとう」
と礼を言った。
 一月前に聴いた時には、誰よりも馬鹿でかい張り艶のあった声が、今では薄い膜に幾重にも覆われたかのように、弱々しく内に籠った痩せた声に変わっていた。  
 ある程度、想像していた痩せこけた顔を見るよりも、予期していなかったこの声の衰えが、私の身には想像以上に酷く堪えた。

 それなのに、その身で経験したことを知りたいという、物書きとしてのやらしい好奇心が、こんな時でさえ働き、そんな自分に厭気が差した。
 昔から、ついつい人を観察してしまう悪い癖があったが、何だかそんな冷静な自分が、心配している風を装っているだけの、涼しい顔をした偽善者のように思えた。

 まだまだ回復とは程遠い友人だが、元気だった時には年中酒を呑み、大酔っぱらいするのが酒を呑まない私にはこの上もなく鬱陶しく、いつも愛想なく邪険な態度を取ってしまったことが、今はただ、辛いのである。

 あの元気だった時の、鬱陶しかった友人の姿が、どんなにかけがえのないものだったか。
 しばらくすると疲れたのか、力無げに横を向いた時に見えた、友人のその細くなった首筋を見て、私は泣き出す前に帰ろうと、席を立ったのだった。


 





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