遠慮はご遠慮下さい
先日、都内まで出掛ける用事があり、駅の中にあるお菓子屋を覗いていた。
今日、世話になる人に何か土産物を持って行こうと、どれにしようか選んでいたのである。
焼き菓子にも様々な種類があり、悩んだ末にしっとりした焼き菓子を手に取り、会計をしている時だった。
私のすぐ隣で、私が手にしたお菓子の詰め合わせに手を伸ばし、ぶつぶつと何か独り言を大きな声で、まるで私に聞こえるように言っているおばあさんがいた。
チラッと目をやったが、クレジットカードの暗証番号を入力しなければならなかったから、すぐ視線を機械に戻したが、私はそのおばあさんの独り言に気を取られ、うっかり暗証番号を打ち間違えてしまった。
やれやれと店の人に愛想笑いをして詫びを言った。気を取り直して暗証番号を入力していると、またおばあさんが私に聞こえるように、話し掛けてほしいような口振りで、独り言をぶつぶつと言い出した。
「私、急いで家を出て来たものだから、マスクを持って出かけるのを忘れちゃって。改札出てすぐそこの店で買えばいいわねぇ」
これもまた、私の隣で私に聞こえるように言うのである。
するとまた、何か言い出したと思ったら今度は独り言ではなく、私に質問をして来た。
「このお菓子は固いんですか?それとも柔らかいんですか?」
「こちらの箱だと固いお菓子、こちらの箱だと柔らかいお菓子。そして、こちらの大きい箱だとどちらも半分ずつ入っています」
私は店員でもないのだが、店の中が混雑しているようだったので、おばあさんに説明して聞かせた。
すると、おばあさんは私が勧めたのを手に取り、レジの人に渡そうとしたので、またまた私はさっきレジの人に言われた「袋は有料ですから」とおばあさんに付け加えた。
おばあさんの手土産はこの固いのと柔らかいのが半分ずつ入っているお菓子の箱に決まったのだが、その後、またマスクのことを言い出した。
私はちょうど、袋に入っているマスクを一枚余分に持っていたので、カバンから取り出しておばあさんに渡した。
すると、おばあさんは、
「改札出てそこの店で買うからいいわぁ」
というセリフを何回か繰り返した。
私はわざわざ改札を出て、マスク一枚だけ買うのも面倒くさいだろうと思い、
「余分に持っているものですから、 どうぞお使い下さい」
そう言っておばあさんに渡すと、おばあさんは、
「私、マスク頂いても顔が小さいから合わないと思うからいいです」
「二度とお会いすることもないあなたに、お返し出来ないから受け取れないわぁ」
と、私に言った。
それならばどうして私のすぐ隣でこれ見よがしな独り言を言ったのだろうか。マスクが必要だと言っておきながら、差し出されたマスクを受け取らないのが私は不思議でならなかったが、おばあさんは頑なに私の差し出したマスクを受け取ろうとしない。
言われなくとも、このおばあさんと二度と会わないのは私は百も承知である。
埒の開かないやり取りに私は辟易し、おばあさんの目の前のスペースにマスクをサッと差し出した。
「いいからお使い下さい。それではごきげんよう」
普段の私が言うのとは違う、いささかきつい口調でそう言って、私はおばあさんと別れたのだった。
私はこの時、これは電車の優先席を譲った時の、座ってもらえなかった人のあの感覚と似ていると思った。
席を譲られる方は甚だ迷惑なのかもしれないし、私がマスクを差し出したこともおばさんにとっては、もしかしたら迷惑だったのかもしれない。
しかし、席を譲ろうと思って立ち上がった方もマスクを差し出した私も、一度出したものを引っ込める訳にはいかないのである。
結局、最後の最後で人の善意を受け取るのであるのなら、一回断っても二回目には遠慮せず素直に礼を言って、さっさと人の善意は受け取る方が互いのためである。
時に人は、妙な自尊心が邪魔をして人の善意を気持ちよく受け取ろうとしない時がある。それはその時、一時の問題ではないのである。
世の中の「善意」に影響してしまうことなのである。
「せっかく座席を譲っても、どうせ遠慮して座らないんだから譲ることもないよな」
そう思って、この間うちは席を譲っていた者が、もう高齢者に、そして体の不自由な人間に席を譲ることをしなくなってしまうかもしれない。
結局、そのおばあさんは押し問答の末、マスクを受け取ったが、最後までおばあさんは、
「そんなつもりで言ったんじゃないのに、私困っちゃうわぁ」
と、まるで被害者のような物言いで私の背中を見送った。
そんなことを聞かされて、困っちゃうのはこちらの方である。世の中には、他人が言った一言を黙って見過ごせない人間も居るのである。
そんなに遠慮するぐらいなら、最初から人に聞こえるような困り事は言わないのがいちばんである。
そこまで言っておきながら遠慮はご遠慮いただきたい。
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