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試合後の選手たち

去る二〇二三年九月九日、私は四月の「全日本体操選手権」、五月の「NHK杯体操」、六月の「全日本種目別選手権」に続き、「第五十六回・全日本シニア体操競技選手権」を観戦しに、初めて立川立飛アリーナまで出かけた。

今回は競技大会のことではなく、試合終了後に短い時間だったが、幸運にも私が交流を持った選手たちの清々しい姿を書き記そうと思う。

私は五ヶ月前に初めてその演技を会場で観てから、長年に渡って独自の体操を追及し続けている田中体操クラブ所属の田中佑典選手に酷く感心して、それから出来得る限り田中選手の演技を間近で観ようと今回、シニア体操選手権大会を観戦したのである。

田中選手は、こういう人がオリンピックのメダリストになるのだという、そんな誠実さを纏っているような、とても穏やかな雰囲気の選手である。
「NHK杯体操」の時、試合後、偶然お目にかかる機会を得て、そこで私は田中選手の振る舞いに、その人柄を見たのだった。
今日も、お疲れのところ足を止めて頂いて、わずかな時間ではあったが、サインを頂戴した。また来シーズンも体操選手「田中佑典の哲学」を拝見出来ることを楽しみにしている。

セントラルスポーツ所属の北村郁弥(ふみや)選手は、ファンに囲まれながらも、まだ言葉を交わしていないファンがいないか、場の様子を伺いながら去って行ったところを私は見逃さなかった。こういった細かな気配りが出来るところがとても感じの良い選手である。

徳洲会体操クラブ所属の杉野正尭(たかあき)選手は、勿論、名前も顔も演技も存じ上げていたが、私の中では特にあん馬の演技がいつも印象的なのだが、気がつくと杉野選手は傍にいて、わずかな時間だったが他のファンの方々に混じり話をさせて頂いた。
杉野選手は、体操競技に目を向けて、会場まで足を運んでいる私たちファンに対して、
「とにかく、それだけでありがたい気持ちなのだ」
ということを、自分の優勝のことより熱っぽく話されたのが私は酷く印象に残り、素敵な選手だと思って感心しきりに頷いていた。すると、杉野選手から握手をして下さった。きっと話の流れでそうなったのだと思う。
私は体操選手の手のひらというものに、実際に触れたことは今までなかった。気安く触れてはいけないものと思っていたからである。そんな思いがあったから杉野選手が初めてだった。その手はやはり、長年、厳しい練習に何度となくまめを作り、潰れてはまた皮膚が再生して回復しを繰り返して出来上がった、過酷な競技に堪えられるこれがアスリートの手、演技を支える手、勝利を掴む手なのだと少々胸が熱くなったのだった。
とにもかくにも、朗らかな笑みとは対照的に、杉野選手は熱い選手であった。

同じ徳洲会体操クラブ所属の岡慎之助選手にお会い出来たことは、私には思わぬ幸運であった。
岡選手には済まないのだが、私は彼が「ツンツンしている」と思っていた。どことなく取っつきづらいというか「すかした」印象を持っていたのである。実を言うと、いささか怖いイメージを勝手に持っていたのである。その垢抜けた風貌のせいだろうか。

何となく雪崩式に岡選手と対面となった訳なのだが、岡選手は昨年、競技中、跳馬の演技で右膝前十字靭帯断裂という大怪我を負い、テレビで試合を観戦していた私は、岡選手のその後がずっと気掛かりで仕方がなかった。
地道なリハビリを続け、ほぼ問題ないくらいに回復したと自身のソーシャルメディアでの本人からの報告と、ニュース記事での報道もありホッとはしていたのだが、まずは、そのことを岡選手本人の口から私はどうしても聞きたかった。
岡選手は「もう大丈夫だ」と笑顔を浮かべて語ってくれた。私の「ツンツンしてたらどうしよう」という心配は、どうも取り越し苦労であったようで、岡選手は、気さくに私の取り留めのない話を、時に笑顔を浮かべて聞いて下さった。時折、岡選手の視線に目をやったが、今時の洒落た若者というカジュアルな中にも、体操への並々ならぬ闘志がそのつぶらな瞳の奥に見えたような気がした。

今回、私が感心したことは、徳洲会の選手の皆さんである。長い時間、勝手に待っていたファンに対して、優勝したせいもあるのかもしれないが、それなりの時間を設けてファンへの対応を出来る限りして下さったように感じた。選手の皆さんも楽しげにファンの方々と、短い時間ながらも交流、という聞こえはいいが、ファンの要望に答えて下さっていた。
こういうチームとしてのファンへの対応は、時間がなければ致し方ないことではあるが、それでもこうして時間を割くということは、やはりチームにとっても情けは人のためならずであると私は思った。
それを証明するように、この一件で私は徳洲会体操クラブが好きになったのである。

この日、私が最後に目撃した選手はコナミスポーツクラブ所属の加藤凌平選手だった。加藤選手は随分と遅くに建物から出て来たのだが、私のすぐ傍にいた長年の加藤選手の大ファンである女性が、加藤選手の目の前に近づいて行くと、その女性は花も恥じらう乙女のように動揺を隠せず、取り乱し半ばパニックになった。そんな彼女を横目に加藤選手はいつものようにクールな顔でクスクスと笑いを堪えながら、女性から渡された手製のプレートにサインを書き、その女性と写真に快く収まっていた。やはり何年も長い間、ずっと変わることなく応援をしてくれている女性だったからだろうか。加藤選手は短い時間をその女性に使い、嵐のように去っていった。
言葉こそ交わせなかったが、加藤選手のやさしさを垣間見た瞬間であった。

選手とお目にかかり、二言三言、言葉を交わした印象としては、どの選手も体操を離れると普通の年相応の青年である。

美味しいスイーツを食べ、髪にパーマをかけたり、自分の好きな服を着てみたり、ネックレスを首からぶら下げたり、仲間とバーベキューをしたり、サウナで整えたり、そしてまた、演技とは違う体操に対しての熱い思いというものを、いつもずっと心の奥底に持っている。そういう青年たちなのである。

どの選手も、それぞれ得意種目もあり苦手種目もある。そこを少しずつ克服していき、更にはそこを伸ばし、やがては益々素晴らしい選手になっていくのだろうと思う。
こちらはそれを見ているだけで申し訳ないような気もするのだが、それを観ている私たちの視線があるから、選手たちも素晴らしいパフォーマンスを観客に披露しようと鍛練し、その反応から手応えを得て、様々な試合で実践していこうと思うのだろう。
体操についての細かいことは私はよく分からないで 人任せだが、この日、私が目にした選手たちの姿は私の目から見て、間違いなく素晴らしい選手たちであった。

杉野選手、徳洲会の皆さん優勝おめでとう。
選手の皆さん、お疲れのところ楽しい貴重な時間をありがとう。

選手たちに愛を込めて。

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