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【昭和のサラリーマン】 〜其の拾〜 本店自動車営業部時代 (昭和60年~62年)(1985年〜1986年) 役職:第1課長  2年目 次長

課のメインの得意先は「Z東京」であった。

Z系ディーラーで、当社シェアーが80%を超えている会社は全国で3社しかなかったが、そのうちの1社である。

シェアーは車の販売協力台数のみで決めるということで、有名な会社であった。

4月の初めに赴任したが、シェアーの更改は5月の連休後が恒例になっているとのこと。

課のメンバーに様子を聞いたところ

「大丈夫」

とのこと。

しかし、連休が終わっても何の変化もない。

「確認しよう」

ということで訪問して聞いた。

「担当が変わられたので、良いチャンスですので変更させていただきます」

とのこと。

理由を聞いたら、

「Sオートリースの購入分を当社の紹介分としてカウントしていたが、当社自体の紹介ではないので、いずれ本来の形にしなければと考えていたところだった。」

とのこと。

50%ダウンだったと思うが正確には思い出せない。

いずれにせよ課に占める挙績の割合は80%近かったので、このままでは予算の達成は難しい。

紹介車両の台数を増やすしかない。

しかし、部長席も課のメンバーも緊迫感は全く感じられない。

前任者が自分一人でやっていたようである。

本社を離れて14年なので、社内の知り合いもほとんどいない。

会社に行っても相談できる人がいない。

しばらくは軽いうつ状態になってしまった。

社宅で一緒のM先輩が毎朝喫茶店に付き合ってくれ、話を聴いてくれた。

本店勤務時代の諸先輩、大森営業所時代の得意先、小学校以来の同級生、他から話の出来る人をリストアップし、片っ端から訪ねて歩いた。

久々に再会していきなり車両購入の依頼はできない。

現状を教えてもらうことから始めた。

そう簡単に成果は出ない、しかし、行動報告は同社の保険部長に報告していた。

入社時の係長が八王子に勤務されておられた。

訪ねて窮状を訴えた。

「自分は運転しないので、妻に聞いてみる」

とのお話をいただいた。

初めてひっかかりのある反応であった。

しかし、翌日、奥様は

「長年のX車フアンで、Z車は反応悪い。」

とのことだった。

しかし、理解者が増え、嬉しかった。

その後、

「女房がZ車に乗ると言っている」

と有難い連絡をいただいた。

札幌時代、隣の課であったが、当課の若手とスキー仲間だったY君が

「父が東京で会社をやっているが、1台位、なんとかできるそうです。」

と声をかけてくれた。

課が違っても、お互い雪の中で仕事に励んだ仲間の友情に感謝した。

すぐ訪問したところ、

「1台増車予定があるので、M車は初めてだが、息子が札幌で世話になっていたようなので検討しよう」

とのお話をいただいた。

ついに、ホット情報の成約である。

その後、数件ホット情報があったと記憶しているが、条件が合わず成約とはならなかった。

しかし、当社の独自情報ということで誠意は理解してもらえた。

シェアーの見直しは翌年の5月と聞いていたが、これらの行動が理解され、半年早い、10月に元の50%に戻してもらえた。

あっという間に2年が終わった。

長女と長男がそろそろ受験期をとなるので、次回の内示からは「単身だね」と妻と話していたが、北九州支店(小倉)への内示が出された。


〜続〜

著:近藤正輝 写真:近藤大介


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