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【昭和のサラリーマン】 〜其の拾弐〜  名古屋営業部時代平成元年(1989年)〜 平成2年(1990年) 役職 T社専任次長


1、赴任日 4月3日
専用車 憧れのクラウンが用意されていた。

2、本屋で、T社に関する本を3冊購入。
いずれも1/3位に、T社が資金面で苦労していた時に、S銀行に協力依頼に行った際、当時の支店長が、
「鉄屋に金は貸せない」
と冷たい対応をされた。
以来、M銀行が主力なったとの記載あり。

この歴史を切り崩すには、
「人脈の拡大」
しかないと考え、毎日T社に通うことを決心。

同じ人に毎日では相手に迷惑がかかるので、それぞれの同期入社の方々を紹介してもらうことにした。
駐車場の係の人が受付簿の記載を省略してくれるようになった。

3、名古屋I会に入会
サロン・ド・Yのメンバーになる。
サッカー部だったY先輩と気が合い理髪時にあれこれアドバイスをもらえた。

愛知T社のI取締役と知り合い、諸相談にのってもらえた。

競争部時代一緒に練習した、M先輩もおられ、あるスナックを紹介される。

かつてT社の社員も多く来ていたということで、自分の持ち店とした。

T社に加入以外成果はなしなので、新しい人脈と5分以上話ができた日は
「成果あり」
と自己採点し割り切ることにした。

4、1年目には気づかなかった会社の前の交差点脇にあったレッド・ロビンがきれいに紅葉していたのに気が付いた。

5、9月30日 東京自宅 地鎮祭

6、11月8日 T社グループ感謝祭実施


2年目

1、 外出しようとしたら、部長より
「今日は、同席してほしい」
との依頼あり。

異動内示の発表の日であった。

関係ないと思っていたら、最後に
「新設の営業2課の課長兼務で近藤次長」
との発表。

言われた通りでは本来の「T社開拓」ができないと思い、S君に印鑑を渡し、課長業務をすべて移管。
当然責任は自分が取るということにした。

S君は立派に業務を果たしてくれた。

部長に好かれていなかったようで人事考課もあとひとつであったよう。
挽回してあげたいと考え、考課表は100点を付けた。
訂正は自分で訂正しない限りできないように提出した。

S君は感激して奥さんにコピーをみせたとのこと。

2、9月14日 T社剣道部と当社神田道場にて、懇親合同稽古実施。

3、11月14日 義父の米寿の祝い
義理兄夫妻と娘でカラオケボックスへ

4、京都にて「T社感謝祭」実施

5、名古屋シティマラソン4キロ参加。

6、1月5日 大介来名。
「例のスナック」でアルコールを飲ませてしまい、帰りの車中であげてしまう
かわいそうなことをした。

7、1月29日 福岡自営部 内示  設立準備委員長として。


〜続〜
著:近藤正輝 写真:近藤大介

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