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マグロと僕の物語 #4 〜バンコクにて耐える鍛える日々〜

僕は2018年からバンコクに駐在になった。
結局,それまでにも通いまくったが、大きなマグロは釣れなかった。
19年夏、バンコクで僕は少し変な人と出会う。某コンサルの筋トレマニア、Kさんだ。

K:だいすけさん、なんかやりたいことあるんすか?

100kgのマグロ釣りたいんすよね。でも昔かけた時には腰が痛くて,次はもちろん頑張るんですけど。K:あー背中ですね、デッドリフトですね。

はぁ。あと波風ある中で投げなきゃ行けないんですけど、どうしても緊張して明後日の方向に投げちゃうんすよね
K:スクワットで足腰安定させて、肩しっかり作った方がいいですね、ネチネチショルダープレスから始めましょう。

魚かかった後には、長時間になるんすけど、竿を握る手が..
K:握力はねぇ,難しいんすよ、小さいから。昔ね,アイアンマンって雑誌に握力王って特集があって、でもそれはもう手に入らないんでなんやかんや...

そんなこんなで筋トレをすることになった。

Kザップという謎のライングループに入れられた。
そこでの鉄の掟はこう。
1.Kさんには筋トレについてなんでも聞くべし
2.日々の報告は不要、ただしKさんから進捗を聞かれたら必ず答えるべし。2回目答えなかったら強制退会。

実際のところ,僕は全くの運動音痴だ。もちろん筋トレもしたことはない。
小4のスポーツテストの50m走で思いっきり転けたのに、だいすけはあんまり変わらんから走り直さんでええやろ、と体育の先生は14秒を記録に残した。数が多ければ多いほど有利なはずのドッチボールのチーム決めで、最後まで残った僕はじゃんけん勝った側にだいすけはええわ。といわれたこともある。

けど、大人になった僕は、自分の強みがなんとなくわかるようになってきていた。
粘りとしつこさ。僕は諦めが悪い。そんな僕にはコツコツを続ける筋トレはうってつけのように思えた。

19年末は時化で九州には行けなかったが、気にせず筋トレを続け、年が明けた20年の頭には、運動音痴の僕にも筋肉的なものがつきはじめた。

マグロ釣りから離れないように,手段である筋トレを目的化しないように、マグロ釣りにかかるあらゆる動画や記事を読んでイメトレも続けた。

だが、コロナが来た。
20年は帰国すらできなかった。

家の外に出れない日々では、ダンベルでトレーニングを続けたが、有酸素のために家の中を毎日1万歩歩いた。0の字に歩くと目が回るので、8の字に歩けばいいということも覚えた。1月も続けると、文庫本を読みながらでも家の中を歩き続けられるようになった。たまに子どもとぶつかった。

そして、21年夏,満を持して準備をした、身体も、道具も。もちろん船の手配も。

さぁ、21年8月30日、31日、いざ舞台へ。
、、、登るはずだった。

帰国後14日間の隔離を済ませ,準備も終わった僕に届いた知らせが、これ。


21年からクロマグロの漁獲規制が始まり、僕は見事に引っかかった。
その時に記した記録がある。
↓↓↓

連日めちゃくちゃ考えた。
めちゃくちゃ釣りに行きたい。
その為に帰ってきた。
色んな人が色んなことを言っている。
リリースすればokという人もいれば、今までと変わらない、と言う人もいる。
規制に抜け目はあるかもしれない。多分ありそう。
(*追記、当時の自分の逡巡です。ご放念下さい)

自分はどうだ?何のために月末月初に3日間も休みを取ったのか。
心身、道具どれだけ準備をしたか。
全部自分の都合だ。

僕は世界の中で自分の都合で生きている。
その中でも最も重要な都合がある。

僕は、堂々と胸を張って両手広げて最大限の感謝をしながら100kgのクロマグロを抱っこして泣きたい。そして、船長に報告をしたい。「遂にやりましたよ」と。

どうやらそれは叶いそうにない。




函館チャレンジ、船キャンセルしました。

真正面から海と対峙する。これが僕のシーマンシップです。


今回はこれができないから。

よかったな、青森の巨大マグロ、来年まで待ってろよ。

↑↑↑
舞台にこそ立てなかったが、キャンセルに全く後悔はなかった。だからと言って悔しさがないわけではない。

しかし、もう2年待った。また、1年か、、、
鍛錬あるのみ。僕は歯を食いしばりながら,日々を過ごした。

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