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【麦酒夜話】第四夜 駆け出し

 15年近く前、一度だけ訪れた中目黒のダイニングバーがある。おしゃれで、味もよく、今でも行きたい店なのだけれど、苦い思い出が蘇り、結局足が向かない。春の終わり、梅雨前の、心地いい日の出来事。新聞広告を見て愕然とした。自分のアイデアがパクられていたのだ。

 パクられたのは3回目だった。よくもこう悪行が横行しているものだ。駆け出しの青年コピーライターにはショックが大きかった。1回目はパクった本人からパクらせてもらったよと、申告があった。有名クリエイターで、パクったといっても、着想を得たレベル。むしろ光栄だった。2回目は、企画のフォーマットそのものをクライアントが流用したというものだった。こちらも本人から申告があったのだけれど、特に気にならなかった。

 しかし3回目は酷かった。こちらから提案したコピーを却下したクライアントが、それをリライトした内容で他社に発注したのだ。上司に抗議してくれるよう頼んだが、さすがに言いづらかったのだろう。あいまいな返事しか返ってこない。自信作だっただけに怒りの感情が強く、その悪質さに、愕然とした。コピーを見るたびに、ムカついて仕方なかった。

 初めて知ったその日の夜、会社からの帰り道、一人で中目黒のダイニングバーに行った。カジュアルで、でも落ち着いた雰囲気。1階のカウンターに座り、ビールを頼む。当時、1年に1回は記憶をなくすような飲み方をしていたのだけれど、この日は最初からそういう兆候があった。しかし、一つだけ予防策を講じた。ビール以外を頼まない。こうすることで、飲み過ぎる前に、お腹いっぱいになる。数々の失敗を経験して辿り着いた安全策に気を許し、決して安くないビールをガブ飲み。店員にパクられたことを愚痴る。今までで一番味のしないビールだ。閉店まで粘り、歩いて帰った。

 今でも思い出すと腹立たしい。他人のコピーをリライトして使えてしまう広告マンの根性にも、それを発注した担当者にも。その後、その広告代理店は切られ、クライアントの発注担当者も去った。

 しかしあの日、初めてヤケ酒を飲んで分かったことがある。酒とは感情増幅装置なのだと。うれしい気持ち、楽しい気持ち。こうしたポジティブな気持ちを、アルコールがよりうれしく、楽しい気持ちにしてくれる。その逆もまたしかり。怒りの感情も増幅させる。決して負の感情を正の感情に転換してくれることはない。まして忘れさせてくれるなんてことは絶対にない。今でもネチネチと覚えているのが何よりの証拠だ。

 これまでの短い人生で、何度も失敗をしてきたし、それは今でも変わらない。後悔することも多々ある。でも、正々堂々と、オリジナルのクリエイティブを提示したことは、たとえそのクオリティが低かったとしても、実現可能性やその段取りを考え切れていなかったとしても、恥じるところは何もない。パクる側か、パクられる側か。この2択であれば、常に後者でいたい。自身に嘘をついて生きていけるほど、強くはないし、後ろめたい気持ちは人生を台無しにすると思っている。

 あなたのクリエイターとしての原点は何かと問われたら、きっとこのエピソードを思い出す。味のしないビールの苦さとともに。

Connecting the Booksは、これまで培ってきたクリエイティブディレクター、コピーライター、編集者としてのノウハウを公開するとともに、そのバックグラウンドである「本」のレビューを同時に行うという新たな試みです。