わたしの先生 中学校以来25年以上の付き合いの先生。 お茶の水博士のようなもじゃもじゃ頭で大きな声で喋る理科の先生。 授業は全く教科書通りではなく、独断で内容を決めて壮大な宇宙の話や見たこともないオーロラの話を延々としてくれるので、みんな楽しみにしていた。 中学一年だけで定年退職した後も山登りに連れていってくれたりキャンプをしたりして交流が続き、僕が高校に入ってからもずっと手紙や山登りで繋がっている。 ここ10年思いもよらず夢のような京町家を自由に使わせてく
「宙の音」(そらのおと) 古い人形や仏像に何かのケハイを感じたり、誰かの想いが宿っているのではないかと思ったりすることがある。 現実的な世界に暮らしながら、無意識に人智の及ばない「何か」の存在を見出して畏怖の念を抱いていたりする。 たとえば誰かが夢に出てくる。現実の世界にその人はもう存在しない。朝目覚めたとき「なんだ夢か」と思うか「会えた」と思うか。「会えた」と思える人はとてもとても大きな世界に住んでいるのかもしれない。 現実と空想、なんとなく別々のもののよう
見上げるほど巨大な奈良東大寺の大仏、盧舎那仏像。その台座にはぐるりと蓮の花弁が並んでいる。 一枚の花弁には釈迦如来や菩薩をはじめ様々な図柄が細い線で彫られている。下方には中千世界、小千世界と呼ばれる幾多の世界の集合体が表現されていて、最下部にはまた世界の集合体を表す蓮の花弁が描かれる。 釈迦如来の足元にもまた花弁が描かれており、その一枚一枚にもまた世界の集合体が広がっていることになるという。 二十八枚の花弁それぞれに同様の図柄が彫刻され、その上に盧舎那仏が座し、蓮
数年前、古い骨董店の前を通りがかったときのこと。うず高く積まれた骨董品の山の上に小さな象の置物をみつけた。 黒い身体にくすんだ金属をまとい、小さな目がこちらを見ている。手にとってみると見た目より重く、貫禄がある。 得体の知れない物ながらも何故か気になって恐る恐る店主に値段を聞くと、意外にも手持で買える値段だったので持ち帰った。 くすんだ象を丁寧に拭くと細かな模様のついた金色の金具に様々な色の宝石が埋め込まれていることがわかって魅せられた。 それから長らく町家の床
阪急西山天王山駅から大山崎駅方面へ線路沿いの住宅街を抜けると広大な畑が広がる場所に出る。この地域は山伏と呼ばれ古くから農業が営まれてきた場所である。 広い畑の真ん中には「大日さん」と呼ばれるこんもりとした小さな森がある。森の中には三体の仏像が祀られており、賽銭箱と花、そして大量のどんぐりが供えてある。 この森の柿の木を切ったために災難に遭ったという話や、不治の病の村人が石仏に日参したところ病が治ったという話など「大日さん」には語り継がれたさまざまな言い伝えがある。
今から30年以上昔の幼少時代、母に連れられ祖父母の住む室町の家へよく遊びに行った。 室町の家は昔ながらの京町家でいわゆる「うなぎの寝床」と呼ばれる造り。奥に長く、商家であるためか間口が広くてとても大きな家であった。 広い庭や二階建ての蔵、いろいろな場所を探険して遊んだ。 庭に面した十畳程の和室は「奥の部屋」と呼ばれ普段は誰も居らず薄暗かった。 この「奥の部屋」には気を付けなければならないことがあった。 隣の小部屋の柱に掛けられた古びた面が欄間の隙間からいつ
「いはる」と言う 京都の「いはる」は「いらっしゃる」 「床の間にお人形さんがいはるやろ」 おとながこどもに語りかける 「置いてある」ではなく「いはる」 たんなるモノではなく そこになにか霊的なケハイを見出し 日常のなかに飾って敬う (「宙の音」より) 展覧会のご案内 「宙の音」(そらのおと) 2024/1/23(火)-1/28(日) 11:00-18:00 入場無料 京都写真美術館2階 ギャラリー・ジャパネスク (京都市営地下鉄東山駅下車徒歩5分)