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マネジメント層が仕事を楽しむ意味


「仕事を楽しむ」というキーワードを見たときに、多くの人は嫌悪感を示すだろう。

仕事はお金のためにやっているから我慢の連続であるというように「仕事はお金稼ぎの手段」だという考え方の人もいれば、仕事は成長するためにやっているから、自分の不足と向き合い続ければならないということに対して、辛さを感じる人もいる。みんなそれぞれの憂鬱を抱えながら、仕事に向き合っているし、そこに良し悪しなどはないはずである。

僕自身はとある目的のために事業をもっと成長させたいし、求める事業や組織成長に対して自分自身の不足を感じ続ける毎日であり、自分の不足と向き合うこと、及びその不足を埋めるためにアクションを起こし続けることは、決して楽ではない。「辛い」という言葉で表現してしまえば、その言葉一つで片付けることもできる。

だけど、先週公開した「ここ1年の事業責任者としての失敗を綴る」という記事の中でも書いたように、「仕事は楽しむ」というスタンスは、特にマネジメント層においては、あらゆる面で大きな意味を持つのだと気づいた。今まではそんなことに気づかず、上に行けばいくほど辛い思いをして仕事に向き合うべきだ、とすら考えていた。今日はその学びについて、言語化したこと及びその周辺の感覚について、簡単にまとめてみる。


楽しむ姿勢が成果に影響する

まず一つは「成果」への影響という観点である。仕事で対価をいただいてる以上、プロフェッショナルとして求められるのは成果だ。ましてやマネジメント層においては、常に今の延長戦上にはない成果を追い求め、違いを生み出していかなくてはいけない。

これは偏見だが、成果を出してる人間で四六時中辛そうな人間はあまり見たことがない。真剣なんだけど、どこか楽しんでいる、もしくは楽しむ努力をしている。そして、本当にふとした、とある瞬間にとても楽しそうな顔を見せる。これが成果を出す人間に共通しているものだ。(これぞ偏見)

だけどこれは楽しむというスタンスによって、仕事で成果を残すために必要なエッセンスが生み出されてるとも考えられる。深刻に考えても、クリティカルな仮説を立てることはできないし、日々の施策アイディアもおそらく単調なものになってしまう。深刻にデータにだけ向き合って生み出すアウトプットはAIには勝てないし、合理だけで導かれる帰結だけでうまくいくのであれば、世の中の一定の合理性を兼ね備えている人の多くは、"うまくいく"はずである。

この楽しむという姿勢は、個人やチームに遊び心をもたらし、その遊び心が人の期待値を超える行動を起こしたり、合理だけで思考していては生み出せないイシューを生み出したり、困難な課題を解決に導くアクションを誘発したりするのだと思う。だからこそ、一生懸命頑張ることだけじゃなくて、ふと肩の力を抜いて遊び心を持つ必要がある。


苦しみは顧客(ユーザー)に伝わる

苦しみは不思議と、顧客(ユーザー)に伝わる。また逆も然り、楽しさや遊び心も顧客(ユーザー)に伝わる。仕事とは価値提供の連続であり、価値とは、顧客やユーザー、そして従業員含めてステークホルダーの課題を解決することで、顧客をハッピーにするものである。顧客や従業員をハッピーにするはずのサービス提供者やマネジメント層自身が、辛そうでは本末転倒である。

このスタンスや提供者の精神状況はなぜか顧客や従業員にはしっかりと伝わる。サービス提供者が楽しんでいるチームの商品やサービスは利用する側も本当に気持ちよく利用できる。(この体験は日々さまざまなサービスを利用する中で、このサービス使っていて気持ち良いな、楽しそうだなと伝わってきた経験をしたことある人も多いと思う)

だからこそ、サービス提供者はその仕事を思いっきり楽しむ責任があるとすら言えると思う。つまりマネジメントレイヤーには、不足を埋めるために課題と向き合う際ににじみ出てくる苦を、楽しみに変えるための仕事の取り組み方やチーム設計に工夫をしなければいけない。そんな簡単じゃないよ、大変なことばかりだよ、と思うかもしれないが、それでも顧客に伝わってしまうのだから、楽しむための試行錯誤にも時間を注ぐべきである。ここのアプローチに対して怠慢になってはいけなかったと大きな反省をしている。人それぞれ違う楽しいポイントに、個々人が向き合う必要がある。


困難や苦労は無限だから

三つ目は、困難や苦労は尽きないからである。信じたくもない真実だけど、みんな本気で高い目標や良いものを作ることに真剣であればあるほど、悩みは増える。また、それぞれ価値観もバックグラウンドも違う人たちと共存して何かを作り上げるという意味でも、悩みはつきものである。どれだけ自分自身の能力やレイヤーが上がっても、そのレベルやレイヤーなりの苦労や悩みは尽きない。

あなたが最も憧れる、あの人と中身を入れ替わりたい、と思っている人にも、あなたと同じくらい、いやそれ以上の地獄を抱えて生きている。これは真理だと思う。そんな感じで誰にでも辛い事象や悩みは尽きないという前提に立てば、どんな事象でも楽しめた方が、いや楽しむスタンスでいた方が絶対にお得だ。これは精神論の話に聞こえるかもしれないが、損得の話でもある。幸いにも楽しいという感情は、主観であり、その人が楽しいと思えば、それは誰がなんと言おうと楽しいものである。今後も自分自身に向き合ったり、誰かのために何かを提供したいとがんばったり、誰かの喜ぶ顔が見たかったり、自分が今すぐにはできないことにチャレンジしている限りは、困難は尽きない。だからこそ、困難に対峙してそれでいて楽しめるだけのその人なりのスタイルを見つけ出す必要があるんだと思う。

だから僕自身も完全に楽しめる方法、つまり自分なりのスタイルはまだ完全に見つかってはないが、少しずつ兆しが見えつつある。価値あることを成し遂げるために、自分らしく生きていくために、楽しむというスタンスに向き合って、それなりに苦しんでいこうと思う(笑)

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