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"意志"を育む。

これから僕は、PdMとして、いちサラリーマンとして、働く原動力であり、笑顔のもとになっている"意志"について書く。
「働くにあたって意志を持つべきだ!」という話ではなく、僕にとって"意志"が作用しているいい側面(とときに悪い側面もあるが)を。

もう35歳になったけど、僕にはこの記事でこれから語るようなことを偉そうに言えるほど何かを成し遂げたわけでもないし、輝かしい経歴があるわけでもない。
書き綴ってすぐに改めて見返すとたぶん猛烈に恥ずかしくなると思うから、すぐに見返すことはないと思う。

それでも今このタイミングでこれを書き記そうと思ったのは、キャリアのちょうど折り返しになるであろう10年後ぐらいにこの記事を肯定できるようなキャリアを歩みたいという自分に対してのコミットメントとして残しておこうと思ったからだ。

僕にとっての"意志"は人生におけるコミットメント

意志とは、人生におけるコミットメントだと考えている。
生き方の定義 とも言えるかもしれない。
僕の"意志"は、自分の子供や孫たちが100年先、150年先に今よりも少しでも豊かな暮らしを送れるように尽力したい。(豊かな というのは経済的な話ではない)
そう考えるようになった背景を備忘として綴っておく。

[12歳]wantを自分に問いかける

時を遡ること25年。
小学3年生の僕はクラスの友人に誘われて香川県の外れの弱小サッカー少年団に入団することになる。

ちょうどJリーグ開幕やドーハの悲劇が話題に上がり、NHKではW杯アメリカ大会が放送されていて、サッカーが何たるかは知っていた。

サッカーをはじめてからは、学校から帰ってきてから暗くなってボールが見えなくなるまで(家中のライトを付けて暗くなってからも)狭い庭でひとりボールを蹴り続けた。
チームとしては勝てなかったけど、個人としては小学5年時にはなぜか地区代表として大阪遠征メンバーに入るなど、楽しくてしょうがなかった。
ただ同時に、学区内の中学校にはサッカー部がないこともわかっていたので、超弱小野球部(当時)か全国大会優勝常連のソフトテニス部(当時)のどちらかかなと思っていた。

そんな僕に対して、父がひとつの選択肢を持ってきた。「隣の隣町にある公立中学校に編入することもできるぞ?」と。
父いわく、「自分の気持ちに素直に。やりたいこと(want)を大事にしなさい」とのこと。

そりゃサッカーやりたいわけで、やりたい!と二つ返事。

やりたいことをやるには常にやらなければいけないこと(must)もついてくる」と、中学まで7kmの通学路を自転車で通うことと、試験で学年上位10%以内をキープすることが条件になったものの、おかげで中学でもサッカー部で無事しごかれ、高校では全国大会に三度出場(一度はヘルニアでメンバー外)し、プレイヤーとして未練を残すことなく引退できた。

思い返せば、「自分は何がしたいのか」の問いを重要な場面で軸に持つようになったのはこのときからかもしれない。

[24歳]自然の大きさと人の強さに触れた日

2011年3月11日 14:46は五反田のオフィスにいた。
大きな揺れに抗ってサーバールームのラックを数人で支えていたけど、尋常ならざる強くて長い揺れで屋外退去を余儀なくされる。

5時間ぐらいかけて家に帰って深夜に見たテレビでは津波のことを延々と放送していたが、一度も訪れたことのなかった東北の地が津波によって平らになる光景を見て血の気が引いたけど、どこか他人事のようにも感じていた。

ところがその1ヶ月後、ひょんなことからテレビ越しに見ていた石巻市に足を運ぶことになる。
復興支援活動の一環で東京から有志20人ほどで週末だけの弾丸である。

ちょうど11年前の2011年4月8日金曜日に東京を出発し、4月9日土曜日の早朝には石巻市に入ったが、五感で感じるあの感覚は今でも忘れられない。

当時、現地の知り合いが所有する大型トラックで物資を配布する役割だった。
トラックを止めていくつかの場所で物資を配布するなどしたが、そのたびに避難所に入らず1階部分が半壊した建物の2階で暮らす住民の方々が出てきて深いお辞儀と御礼を述べながら笑顔で受け取っていく。
僕はこの状況でも未来から目をそらすことなく、(無理にでも)笑っていられる人の強さに感銘を受けたことを覚えている。

僕にとっては、あの日ほど小さな人間として地球に生きているんだと思わされた日はない。
そして多くの人の眼がそうであったように、未来から目をそらすことなく、自分の人生の時間を人の未来を明るく照らすことに費やしたいと強く思うようになる。

[32歳]子が親を成長させる日々

幸運なことに、2019年2月10日に第一子が、2021年7月31日に第二子と第三子(双子)が生まれ、日々仕事と家族との間で時間と思考が行き来する毎日を送っている。

親としてのロールは子供の存在によって初めて与えられ、それによって新たな角度から世界を見ることができると感じる。
とくに自分ごととして捉えるのは、家族の未来についてだ。

独身時代の僕は「いつ死んでも悔いのない生き方をする!」ぐらいのエキセントリック(?)な考え方を持っていたが、家族、特に子供がいる今はそんなことは言っていられない。
最も手触り感のある距離で家族と子供の未来に必然的に向き合わなければならなくなる。
必然的に「子供の未来をより良くしたい。そのために自分の時間を使いたい」と考えるようになった。

僕にとって幸運だったこと

①自分のやりたいことに耳を傾けること
②世界や自分をマクロ視点で捉えること
③自分というミクロな視点でのWANTをマクロ視点に昇華すること

時間はかかったけど、僕にとってこの順番で気づけたことはとてもよかったと思う。
もともと周りの顔色を伺いながら行動する性格だったこともあり、①がなかったら自分の意志を仕事に関連付けることはなかったと思うし、②と③が逆だったら自分よがりな考えを押し通していたかも知れない。

「働く」にどう活きているか

人によっては、コミットメントがない場合もあれば、年齢等によって変わる場合もあるだろう。
僕にとって、この意志 = コミットメントの有無によって好転したことが多い。

「働く」を人生における手段のひとつであると割り切れるようになったことと、意志のベクトルに沿った会社やプロダクトに対するコミットメントが格段に上がることだ。

前者は、薄情者に聞こえるかもしれないが、生き方を決めれば自ずと働き方も決まってくる ということを言いたいだけだ。
もちろん、働き方は多様であり、生き方を決めなければ決まらないものではない。
ただ僕にとってはこの考え方が今のところハマっている。

後者は、一旦ベクトルさえ決まってしまえば会社やプロダクトに人生をかけることと同義である ということだ。
生き方の表現を仕事を通して行うのだから、コミットメントは上がって当然だろう。

そんな考え方になってからは、辛いときでも不思議と充実しているし、笑顔になれる瞬間が増えたように思う。
表層的な事象、たとえばお客様から嬉しい声があったなどはもちろん嬉しい。
ただ、深層の部分で笑顔になれる瞬間は僕にとっては意志の力が強い。

Voicy は生き方にコミットしている集団とも言える

Voicyに入社したのは、まさに「声が豊かに普及する未来を子供に残したい」と思えたからだ。
そして入社してから、会社やプロダクトに対するコミットメントが強い人が多いなと感じていたが、その背景には個々人の意志に会社やプロダクトが合致している人が多いのだろうと今は思い至っている。

そんなVoicyでは、今も様々なスペシャリストを募集している。
魅力的な仲間が待っているので、ぜひ気軽に話を聞きに来てほしいし、このエキサイティングな船に乗り込んでほしい。


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