Al Kooper / I Stand Alone
2004年4月30日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================
1960年代半ばから、アル・クーパーは、ボブ・ディランやローリング・ストーンズのアルバムでオルガンを弾いたり、ブルース・プロジェクトに参加したり、ブラス・ロックの雄、ブラッド・スウェット&ティアーズを結成したり、サンフランシスコのフィルモア・オーディトリウムでのジャム・セッションを企画したり、はたまたCBSレコードの重役に収まったり、色々なシーンで活躍していた。
そんなマルチ才能溢れるアル・クーパーの最初のソロ・アルバムが『I Stand Alone / アイ・スタンド・アローン』。アルが結成に苦心するも、ファースト・アルバム制作直後に離脱したブラス・ロックバンド、ブラッド・スウェット&ティアーズの『Child Is Father to the Man / 子供は人類の父である』の延長線上にある作品だ。
グループ表現という窮屈な枠組みから離れ、アル・クーパーは自分の吸収したブルースやソウル、ジャズ、ポップスからクラシックまで、多種多様な音楽エキスを異種交合させ、一定のスタイルに拘らない変幻自在な音楽世界を作り出す。それはまるで色々なスタイルの音楽を玩具にして、それらと戯れているようだ。子供が色々な玩具を使って、色々な遊びの世界を自由に創り出すように。
だから少しばかりシニカルなニューヨーカー風を気取ってみても、アル・クーパーの創りだす音楽の底には、まるで子供が悪戯を仕掛けて喜んでいるような無邪気さがあり、その辺りに反応する人はアルの音楽が好きになる。
アルは優れた曲を書き、抑制の効いた声で自身の心境を淡々と歌い、テクニックに走らないスマートなキーボード奏者だが、どのアルバムでもコンポーザー・プレイヤーとしてよりも、プランナー・プロデューサーとしての才能が全面に出ているような気がする。それがアルの長所であり、短所でもあるのだが...
ちょっとインテリ・ヤクザ風のアル・クーパーが一番輝いていた時代は60年代後半ぐらいまで。それはブルース・ロックやスーパー・セッション風の音作りが盛んだった時期でもある。それはアルの指向と時代の嗜好が交差していた頃だ。
その後アルは『Easy Does It / イージー・ダズ・イット 』、『New York City (You're a Woman) / 紐育市 (お前は女さ)』、『Naked Songs / 赤心の歌』など、優れたソロ・アルバムをリリースするが、徐々にシーンからフェイド・アウトしてしまう。
そんなアルがシーンに復活するのは “サウンド・オブ・サウス・レコード” を興し、レナード・スキナードを売り出した頃。しかしそれはミュージシャンとしてではなく、あくまでも裏方のプロデューサー的な仕事だった。
And More...
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