長崎バスジャック事件 日本赤軍に影響される

1977年10月15日、長崎県大村市で西肥自動車バスが2人の男にバスジャックされる。

犯人2人は「阿蘇連合赤軍」を名乗り政治テロ思想テロを思わせる。

犯人2人はバス車内にワイヤーを張り、ワイヤーに接触すると爆発すると脅す。

しかしワイヤーはただの針金であることを長崎県警に見抜かれる。

事件発生から18時間後、午前4時25分に長崎県警の捜査一課、機動捜査隊がバス車内に突入し犯人に発砲、同時にバス車外からも発砲する。

犯人の川崎久之は死亡、川下孝一は負傷、逮捕された。

川下孝一は取り調べで、1977年9月28日に発生した日本赤軍のハイジャックからヒントを得て身代金目的で犯行に及んだと自供した。

川崎久之と川下孝一は知り合ったばかりで、「阿蘇連合赤軍」という組織も実在せず、日本赤軍から着想したものだった。

日本赤軍はハイジャックしたうえに身代金16億円をPFLP-GCを中心とした在レバノンのテロ組織に配り、長崎でバスジャック事件を誘発するなど世の中に迷惑をかけまくる。


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