ルフトハンザ航空ハイジャック モガディシオ事件

1977年10月13日に発生したルフトハンザ航空ハイジャック事件。

ルフトハンザ航空のボーイング737機がPFLP(パレスチナ解放人民戦線)にハイジャックされた。

PFLPと西ドイツ赤軍派の共闘だった。

ソマリア・モガディシオ空港に着陸するルフトハンザ航空のボーイング737。

犯人のPFLPは収監されている西ドイツ赤軍派とPFLPのメンバーの釈放、身代金900万ドル(約24億円)を要求した。

PFLPテロリストの要求に対し、西ドイツ政府は拒否を決断した。

パイロットを殺害したPFLPテロリスト。

ソマリアのモガディシオに指揮を執る総務長官と、対テロ特殊部隊である内務省国境警備隊第9部隊(GSG-9)が派遣される。

イギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)の支援のもと、GSG-9は特殊音響閃光弾スタン・グレネードを使用、H&K MP5機関拳銃でPFLPテロリストの無力化に成功する。

3人を射殺、1人を逮捕した。

日本赤軍テロは大成功だったが、PFLPと西ドイツ赤軍派は大失敗となった。

西ドイツ赤軍派は大きな打撃を受けた。

日本の警察庁首脳は事態を重視、西ドイツに幹部を派遣、GSG-9設立の経緯と運用を調査した。

GSG-9は1972年のミュンヘン・オリンピックでイラク・バグダッドを拠点とするパレスチナ・ゲリラ「黒い9月」によるイスラエル選手団人質、殺害事件の反省から発足した。

当時の西ドイツでは、基本法(憲法)により北大西洋条約機構域外に連邦軍を派遣できなかったことから、全世界に隊員を派遣できる国境警備隊に対テロ特殊部隊を設立することになった。

GSG-9は、第二次世界大戦からコマンド部隊を運用し、マラヤ、ギリシアでの共産主義ゲリラ掃討、北アイルランドでの暴徒鎮圧とIRA(アイルランド共和軍)への対テロ戦、を経験しているイギリスSAS(特殊空挺部隊)に国境警備隊のヴェーゲナー中佐を派遣、対テロ戦を学んだ。

このことは憲法などの政治的制約により、自衛隊の運用が厳しく制限されている日本において非常に参考になった。

1977年10月末、警察庁は警視庁警備部第6機動隊に極秘裏に「第7中隊」(「特科中隊」)を編成した。機動隊員を中心に60人を選抜、対テロ特殊部隊が日本にも設置された。

また、1977年12月には大阪府警察警備部第2機動隊に「零中隊」を編成した。機動隊員を中心に40人が選抜された。

これら対テロ特殊部隊は、GSG-9、SASなどから対テロ作戦を学び、徐々に実力をつけていった。

福田赳夫首相はヘルムート・シュミット首相と仲が良かったが、ずいぶんと差をつけられた。

日本赤軍、JRAは世界的テロリストとして恐れられ80年代は日本、アメリカ、イギリスをターゲットとした爆弾テロを敢行する。

しかし90年代から「日本赤軍を支援するPFLP-GCとシリア軍特殊部隊」を支援するソ連がダメになったので日本赤軍もおとなしくなった。

2000年には日本赤軍リーダー重信房子が高槻市で逮捕される。

日本赤軍リーダー重信房子は高槻市の病院に潜伏していた。

日本赤軍リーダー重信房子は社民党関係者名義の偽装パスポートを持っていた。


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