日本経済新聞90年代 検証
日本経済新聞90年代
1994年3月19日の社説「防衛問題懇談会に提示したい視点」では、
「周辺諸国に脅威を与えないような自衛隊になるよう議論を深めてほしい」
と
日本の防衛の弱体化を訴えている。
「基盤的防衛力構想は、表現は別としても、堅持されるべきだろう」
と
従来型思考の防衛力整備を主張している。
「憲法の制約がある日本は、いわゆる脅威対応型の防衛力は保持できない」
と、
憲法を盾に日本の防衛力の健全な増強に否定的である。
「日本の非核武装宣言をすべきである」
と、核武装論を全否定している。
戦後日本左翼の視点に立った軍事否定の観点から防衛を論じ、緊迫する東アジア情勢の現実を無視し、日本国民を危険にさらす主張である。
1994年8月13日の社説「防衛問題懇談会を安全保障論議のたたき台に」では、
「数だけでなく、自衛隊の組織、機能が真に今後の国際情勢に即応しているのかどうかが重要になる」
と
自衛隊の現状に不満を訴えている。
「偵察衛星の利用に関しても、宇宙の平和利用を定めた国会決議との関係をめぐる議論をやり直す必要が出てくるだろう」
と、
現状での偵察衛星保有には否定的である。
また、軍事以外での
「もっと包括的な政策をつくる必要がある」
と、
防衛問題懇談会であるにもかかわらず防衛以外の要素を要求している。
具体論に欠け、防衛そのものに否定的な論調である。
1995年8月3の社説「数字先行の『軍縮』誤り」
と、自衛隊削減論だけが先行し、
「防衛費の中身の議論を避けているのもおかしい」
と、
イメージ先行の防衛論議に警鐘を鳴らしている。
1995年9月2日の社説「FSX量産化は防衛産業のためか」では、
「私たちは『冷戦が終わったからFSXは不要』といった単純な見方はとらない」
と冷静に判断し、
「問題は80億円という価格である」
と標準的な価格に疑義を呈しながらも、
「安全保障にはコストがかかる」
と
常識におさまっている。
1995年11月12日の社説「もし、日米同盟がなかったら」において、
「米国が最大のマーケットであり、世界秩序を一国で維持しうるだけの政治力、軍事力を備えていたからだ」
と主張、
日米同盟の有効性を評価している。
そして
「それでは、今後はどうか。米国から離れて生きることが、日本にとって得策だろうか。巨大マーケットを失い、軍事的には孤立し、経済的にも政治的にも、没落の一途をたどる日本の姿しかうかんでこないと」
と、
反米感情に警鐘を鳴らしている。
しかし、
「日本が独自に国家防衛にあたるだけの軍事力を備えるといういわゆる『普通の国』になるには、あまりにもコストがかかりすぎる」
と、
アメリカの軍事力・安全保障政策に甘えた思想を吐露している。
1996年10月16日の社説では、
鳩山由紀夫・民主党代表の「常時駐留無き安保」関係論に対し、
日本の国益ではなく
「日中、日韓関係に思わぬ影響」
が出るとの観点から批判している。
1997年4月10日の社説「沖縄だけでない安全保障関係」では、
「『沖縄だけが安保』では近隣諸国も困る」
と、
沖縄問題に集中する日本とアメリカの安全保障論議を非難しながらも、
その手法が
「近隣諸国も困る」
という、
日本の国益より外国を優先する思想を如実に表している。
1999年5月21日の社説「船舶検査法も急げ」では、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案だけでなく、船舶検査という国際法に定められた実力行使も含むわが国の防衛の論議を勧めている。
1999年7月28日の社説「冷戦後のゆれ映す防衛白書」では、
「最も重要なのは防衛政策におけるコスト感覚である」
と主張、
1995年9月2日の社説の主張と相反する主張を出している。
1999年12月20日の社説では、空中給油機の導入を妥当と主張している。
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