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目指せ!サステナブルな教師#9|自分の考え・モデルを図にする効果


1 モデルを図にすると何がいい?

今回のテーマは、自分なりの考え・モデルを、図にして描いてみることの意義についてです。

どういうことかと言うと、例えば、自分が普段、実践している授業スタイルを逆三角形で表現してみる、とか、自分の生徒指導に対する考えを、フィードバックループ図あるいは円環図で表現してみる、といったことです。

もう少しイメージできるように説明します。科学者たちは、自分のアイデアを表現する時に、大きく3つの方法を使っていると思います。一つは、言葉による論理的説明、もう一つは、数学を使った説明、そして3つ目は図です。

図を使った説明は、考えてみれば至るところに見られ、例えば私たち教師に馴染み深いものの一つは、マズローの欲求五段階説でしょうか。ピラミッド型の図で、より低次の欲求から高次の欲求を表現しています。あるいは、ジマーマンらの自己調整学習モデルは、予見、遂行、省察という3つの認知過程を矢印で繋いだ円環図として表現されています。

なぜアイデアを図で表現するといいのでしょうか。いくつかの利点があると考えられます。

単純な意見としては、直感的に理解できること、ゆえに多くの人と共有しやすいことがあるでしょう。図には、そうした効果があるからこそ、私たちはプレゼンの際には盛んに図表をスライドに盛り込むわけですね。

しかし、僕が強調したい利点は、別にあります。それは図を描くことで、①自分の考えがクリアになり、②それに基づいた教育実践が行い易くなり、③さらには自分の考えを修正・発展しやすくなるという点です。これについて、説明を加えていきます。

まず、図を描くことで自分の考えがクリアになると言うのは、言葉によってでも数式によってでも、同様でしょう。しかし、図による表現は言葉や数式による表現よりも遥かに気軽にできます。言葉で自分の教育観を表現しようとすれば、随分とエネルギーが必要となりそうです。これでは億劫になってしまって、自分の考えをアウトプットし、明確化する機会を失ってしまいそうです。図であれば、そうした難点をクリアできます。

そして、自分の考えを明確化することの重要性は計り知れません。いわゆる「システム思考」では、自分が心の中に持つ世界観を「メンタルモデル」というのですが、メンタルモデルは、意識する・しないによらず、私たちの行動を根本的に規定しています。教師と生徒の位置関係を、上下の図として心に抱いている教師と、水平的な関係で心に描いている教師では、言動は大きく違ったものになるでしょう。

ここで言いたいことは、そうした自分の行動に決定的に影響を与えている心のモデルを、明確に自覚しておくことの重要性です。そうすることによって、私たちはメンタルモデルをメタ認知し、不足している点に気づく準備が整います。ここまでが、図によって自分の考えがクリアになる意義です。

次に、一度自分の考えを図で表出し、見える形にすると、いつでもそこに立ち返って考え、行動することが可能になります。要するにブレることが少なくなるのです。この点は、文章表現の型を例にすると分かりやすいと思います。書く対象が複雑になっても、文章表現には一定の型があり(例えば、序論・本論・結論)それに沿って書けば、大きく乱れることがなくなりますよね。これと同様に、例えば授業スタイルに関する自分の考えも、図としてモデル化しておいて、いつでもそこを起点に考えを組み立てていけば、大きく乱れることが無くなるはずです。

そして、ここが一番重要だと思うのですが、図にして表現し、それに基づいた一貫した教育行動をとっていると、自分のモデルが現実に合わないことがあることに気づき、モデルの修正を迫られ、結果的に自分の考えを発展させる機会が得られることです。逆に言うと、モデルが曖昧なままだと、修正・発展の機会を逃してしまうということです。

以上が、自分の考え・モデルを図にして表現することの価値です。さらに踏み込んだ話に進む前に、なぜ、このような着想を得たかについて、あるいはこのような考えは、何も特別なものではないことについて説明します。2つのきっかけがありました。

一つは、イギリスの経済学者、ケイト・ラワースさんの『ドーナツ経済学』を読んだことでした。この本は、伝統的な経済学のモデルに変わる、現代にふさわしい経済学モデルを提示したものです。そのコンセプトが、ドーナツ型、すなわち大小の二重円で表現される経済活動の目標なのですが、その内容はさておき(いや、これがとっても興味深い内容なのですが・・・)、ラワースさんは、本書の序論部分で、「図の力」という小見出しをつけて、かなりのページを割いて説明しています。少し引用します。

「ただし忘れてはいけないことが一つある。それはいつの時代でももっとも力強い物語には、絵が添えられていることだ。経済学を書き直そうとするなら、絵つまり図も描き直さなくてはいけない。」

「しかし図の力を侮ってはいけない。どういう図を描くかで、何が見え、何が見えないかや、何に注目し、何を無視するかが決まり、ひいてはそのあとのすべてがその影響を被る。」

こうしてラワースさんは、歴史事象を引き合いに出しながら図が持つ影響力を説得的に述べています。そして彼女が描いた図がまさにドーナツ型だったということなのですが、僕は、経済学の本を手にとって、まさか、こんなに力強く図が持つ影響力について書かれているとは思わず、非常に印象に残りました。そして科学者が語る「図の効用」に、強く納得したのでした。

もう一つのきっかけは、発達心理学者のシーモア・パパートの考え方です。パパートは、ピアジェと共同研究をしており、ピアジェの構成主義の考えを継承・発展させたと評されることがあります。

パターンランゲージの研究で知られる慶應義塾大学総合政策学部教授 井庭崇さんの『クリエイティブ・ラーニング』では、パパートの著書を引用しながら、その考えが紹介されています。次の引用に、僕はハッとしました。

「どんなことでも学ぶのは易しい。自分の手元にあるモデルに同化することさえできれば。同化できなければ、どんなことでも実に困難になる。」

「同化」という言い方は、ピアジェの構成主義らしい、生物学的な表現になっていますが、要するに新しい知識が既に脳内にある知識のネットワークに結びついていく、といった意味合いです。そして、パパートは、自分がモデルを持っていれば、新しい知識は、それに同化させることで習得が容易である、と言っています。

これは僕なりに解釈すると、自分の中に明確なモデルが構築されていれば、新しい状況のもとでも、モデルに依拠しながら対処したり、モデルをアップデートしやすくなる、ということだと考えます。だとすると、学習するときには道具として、自分の中に荒削りであってもモデルとなるものを用意しておくことが大事になります。

料理で喩えて言えば、アジアンテイストの料理を作ろうとなったときに、自分に料理の経験値がある程度あって、和風の味付けや中華風の味付けについて、自分なりのモデルがあれば、そこに引きつけながら、そこまで苦戦することなく「アジアンテイスト」のレシピを再現できるはずです。しかし、料理の経験がない人には「モデルに引きつけて行動する」ということが難しいわけです。

以上のように僕は2つのきっかけで、自分の考え、特に教育実践のコア領域に関する考えを図にする意義を意識するようになりました。

2 教師にとって「図」の重要性

このことについて、「私という教師」から「私たち教師」の文脈に広げて、考えてみます。

恐らく、私たち教師は、日々の実践の中を通して、着実に教育者としての信念を形成しています。初任の先生と、30代の教師とでは、教育に対する見方・考え方が大きく変わっているでしょう。もちろん初任の先生でも自分なりのモデルを持っているはず。しかし、それが経験の中でどんどん磨かれていく。

ところが、いざ「あなたの大事にする教育観は何ですか?」と聞かれたらどうでしょうか?説明に窮する人も多いのではないでしょうか?そして、ここがポイントだと思うのですが、自分の大切にする教育観を表現しないが故に、心の中にあるモデルに自覚的になれず、結果的に自らの教育観を修正したり磨きこむ機会を失ってしまう、という可能性があると思うのです。経験とともに磨かれる側面はあっても、ある程度のところで頭打ちとなってプラトーを迎えてしまう。

単に現場で教師としての経験をするだけで人が教育者として成長していけるなら、それほど苦労しないでしょう。50代のベテラン教師があらゆる学校で、すべからく大活躍しているはずです。しかし、成長曲線は、普通、放っておけばなだらかになっていきます。そして、キャリアの成長が止まると、この仕事を楽しめなくなってしまうかも知れません。

また、別の角度からになりますが、もし私たち教師が、自分の教育観を図にして明確にしておけば、それをもとに仲間の教師と積極的に交流することも容易になるでしょう。「私の授業モデルの核にあるのは、こういう視点です」とか「生徒指導で私が大事にしているのは、図にするとこういう感じになります」とか、そういう対話が活発になって、教育観を鍛え合うことができるかも知れません。

しかし私たち教師には、そういう青臭い議論をする機会が不足しているように感じます。僕の経験上、教育に関する議論や対話で、うまく話せないのは、自分の信念が曖昧であって、曖昧なまま話すことを躊躇ってしまうからです。結果的に、議論が不活性なままで、アイデアを提供し合ったり鍛え合ったりすることができなくなります。これは勿体無いと感じます。

3 どうすればいい?

それでは、どこから始めたらいいでしょうか。

まずは、図に表現しようと思える対象を決めるところからスタートです。それは学級経営のモデルかも知れませんし、授業でのインストラクションや単元デザインのモデルかも知れませんし、あるいは校務分掌に関するものかも知れません。これらのことに、先生方は既に一定の心のモデルを構成しているはずです。その中で、「特にこれについては図にしてみたい」と感じるものを選びます。

次に、描いてみます。僕のケースで紹介します。地理の授業モデルを図にしようとした例です。地理の授業では、3つの主要な問いがあります。「そこには何が観察されるのか」「なぜ、そこにそれが観察されるのか」「そこから、その地域について何が言えるのか」です。この3つの問いは、単元の流れに沿ったものです。そして、最初の問い「そこには何が観察されるのか」は、対象地域について、幅広く情報を集める活動が想定され、二つ目の問い、「なぜ、そこにそれが観察されるのか」は地域に観察される地理的現象や特色の原因を深掘りする活動が想定されます。さらに3つ目の問い「そこから、その地域について何が言えるのか」は、具体的な情報を抽象化し、まとめる活動が想定されます。

これを図にしようとすると、逆三角形のような形となり、さらに、上側にある辺から、下にある頂点に向かって、下向きの矢印を描くことで表現できそうです。

この「逆三角形+下向き矢印」の図は、地理の学習でどんな地域を扱っても概ね通用するものです。ヨーロッパや北アメリカなど世界の地理でも、関東地方や九州地方など日本の諸地域でも、同じモデルを用いて授業を展開することができるわけです。

僕は、他にも、自分の教育観を表現するモデルとして、自律性のトライアングルと名付けた三角形を描いています。

教育の目的を僕は「自律性と協力」という2つの概念で捉えているのですが、このうち自律性については3つの要素で構成されていると考察しています。一つは自己決定、二つ目は意志、三つ目はメタ認知です。おそらく、この3つの要素が揃った時に人は自律性を発揮して生きることができます。それらをトライアングルの3つの頂点に位置付けて、相互に影響し合うことを含意した図で描いたのです。

この具体的な中身については、今回は深入りしません。とにかく、自分が考えていることを上手に図にするならどう描けるかと考えて、感覚的にやってみるといいと思います。結果が、円形になるか、三角形になるか、縦軸と横軸のマトリクスになるか、あるいはベン図になるか。いろいろなパターンがあるはずです。

さて、図が描けたら、日常の教育実践の中で、それを念頭に置きながら使ってみましょう。おすすめなのは、生徒と共有してしまうことです。「授業の展開をこんな図で捉えてみよう」とか、「僕が大事にしていることを図にすると、こういうことなんだ」という風に黒板などに実際に描いてシェアしてしまう。そうすれば、否応なく自分のメンタルモデルを意識することができます。生徒に教師の大切にしたい考えが伝わることも意味があるでしょう。非言語情報である図は、言語情報よりも他者に伝わりやすいことを思い出してください。

そして最後のステップは、修正です。モデルを使っていくと、現実に合わないシーンに出会います。その際は、モデルを柔軟に再構成して、図を描き直します。例えば、地理の授業展開を、逆三角形+下矢印で行っていくと、3つ目の問い「そこから、その地域について何が言えるのか」というまとめから、さらに学習を展開して広げていきたい時に、不都合であることに気づきました。逆三角形では学習活動は収斂していくことは表現できるのですが、収斂した後の次なる広がりを表現しきれない。

例えば、ヨーロッパの地域的な特色として、「ヨーロッパはEUとして地域の結びつきを強めてきたが、イギリスの離脱に見られるように分断の可能性を孕んでいる。」とまとめた後、「じゃあ、今後ヨーロッパはどうなっていくのかな?」という問いを立てて、新たな情報収集をするとなれば、今度はその問いを頂点にして末広がりの三角形を描いた方がいいでしょう。これを逆三角形と合体させれば、砂時計型になります。一度収斂させて、また拡張させる学習モデルです。このようにして、僕は逆三角形の学習モデルを砂時計型の表現し直したのです。

そういえば、最近、『GIVE&TAKEー「与える人」こそ成功する時代』の著者、アダム・グラントさんの『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』(三笠書房)が刊行されましたが、まさに自分のモデルを柔軟に修正していくことの重要性が語られています。図を描くことで、THINK AGAINつまり再考も行いやすくなると思います。ということで、最後のステップは、図を修正する、ということになります。

以上、今回は、自分なりの考え・モデルを、図にして描いてみることの意義についてでした。力まず、気軽に、トライしてみてはいかがでしょうか。修正は後からいくらでもできるので、おすすめします!

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