木本大介の二流のプロフェッショナル「弁理士法人iRify国際特許事務所所長弁理士 永沼よう子さん」
サマリ
【媒体】
【トークテーマ】
性格はインドア
「これってパクリ…」から著作権との出会い
教育現場に欠ける著作権教育
弁理士試験合格者に向けたメッセージ
コンテンツルールが伝わりにくいワケ
概要
8人目のゲストは、弁理士法人iRify国際特許事務所の所長弁理士の永沼よう子さん。
知財関係者であれば、永沼さんのことはご存知だろう。
特許事務所の所長弁理士とラジオパーソナリティの二足のわらじで活躍中の女性弁理士。
僕も永沼さんのラジオ番組「イレブンミュージック[弁理士永沼よう子の「知的カフェ」]」に出演させて頂いた。
二流のプロフェッショナルの収録は、実は「知的カフェ」の直前に行ったのだが、改めて2つの番組を聴き比べてみると、パーソナリティのキャリアの違いをあからさまに感じることができるw
二流のプロフェッショナルの後に以下のリンクから「知的カフェ」も視聴して頂ければ、僕の言っていることがわかるはずだ。
そんな永沼さんは、小学生時代のある出来事から、著作権の扉を開ける。
著作権に向き合い続けて今に至る永沼さんのこれまでとこれからを掘り下げていった。
トークテーマ
性格はインドア
永沼さんは、特許事務所の所長を務める傍ら、FMラジオ番組「イレブンミュージック[弁理士永沼よう子の「知的カフェ」]」のパーソナリティを務める多能な方。
ご自身の多能性を「聞こえはいいけど泥臭い」と語る永沼さんの言葉には、プロフェッショナリティを感じる。
永沼さんは自分を称して「性格はインドア」という。
わんぱくだったけど、「性格はインドア」。
「性格はインドア」。
競争心より探究心を表した表現のようだ。
幼少期は、水泳から始まり陸上へ。
水泳ではオリンピックを目指し、転向先の陸上では実業団まで進んだ。
まったくもってインドア性を感じないエピソードだ。
部活の遠征では「100%マネージャか担任に間違われていた」というオチもついた。
「これってパクリ…」から著作権との出会い
そんな永沼さんを語る上で外せないエピソードが「幼少期のトラウマ」である。
小学生のときのこと。
学級新聞の担当になり、創意工夫をこらして製作に励んだ。
しかし、永沼さんの創作物である学級新聞を隣のクラスにパクられ、さらにはその隣のクラスが賞を取った。
疑問を感じた永沼さんは先生に相談したが、納得の行く回答は得られなかった。
ここで止まらないのが永沼さんだ。
先生からの回答で引き下がることとなく、図書館で書物を漁り続けた。
そして、著作権と出会う。
自分の作品を発表したらパクられる。
パクられるくらいなら自分の作品を隠したほうがいいのだろうか?
読書感想文すら隠してしまおうか?
そんな思考に至る程のトラウマを与えた永沼さんの幼少期の経験は、多くのコンテンツクリエイター(創作者)が味わう著作権体験であろう。
それにしても、学級新聞がパクられたところから、著作権の書物にたどり着ける人が世の中にどれほどいることか。
小学生で、いや大人ですら、この道を歩める者はそうはいないだろう。
永沼さんが知財業界において希少な存在であることを物語っている。
教育現場に欠ける著作権教育
教育現場における著作権の問題点は、前回ゲストの我妻潤子さんも語っておられたが、永沼さんからはまた違った話を聞くことができた。
著作権法では、学校(教育期間)におけるコンテンツの利用について、例外措置(著作権者の許諾を得ることなく一定範囲で自由に利用できる措置)を設けている。
永沼さんの思考はここからさらに一歩進む。
知財の実務家で著作権法の話になれば、解釈論や方法論になる。
それは当然だ。
実務家は法解釈を実務(方法)に落とし込むことに提供価値があるからだ。
しかし、永沼さんのアプローチは違う。
学校でフリーユースを体験した子供は、大人になってもフリーユースだと思ってしまう。
この課題を解決するためには、真剣な啓蒙が必要だ。
それも、子供たちに。
自ら味わった著作権体験を子どもたちにも伝えたい。
そして、著作権というエコシステムに良質なコンテンツが正しく流通して欲しい。
永沼さんの著作権教育の語り口からは、そんな想いを感じることができた。
いくら法律でルールを定めても、社会に浸透しなければ意味がない。
社会に浸透させるためには、法律を知った実務家が、実務としてではなく、啓蒙というアプローチで汗をかくしかない。
そして、啓蒙の最重要ターゲットは小学生である。
永沼さんは、「著作権そのもの」というよりも、「著作権に対してどう考えるか?」を伝えたいという。
考える機会を作りたい。
小学生の子供を持つ自分にとってもズシリと刺さる表現だった。
「真似することはよくないこと」ではなく、「話し合いを通して、自分がどういう考え方をしているかを他人に伝えること(つまり、コミュニケーション)」の重要性を強調されていた。
この話をしている永沼さんの声には力が込められていた。
そんな永沼さんのアプローチは、本質をついている。
スマートフォンを持つ子供が増え、タブレットを教育に使うことが当たり前になり、オンラインミーティングで授業を行う塾が増えた。
AIを使った創作活動も当たり前になった。
こんな激動の時代に、永沼さんは小学生時代のスタンスそのままに、自ら学びと発信を繰り返していく意気込みを語ってくれた。
弁理士試験合格者に向けたメッセージ
収録の直前に令和5年度の弁理士試験の合格発表があった。
今年度は188人の新しい弁理士が誕生したようだ。
永沼さんからは、合格者の皆さんに向けたねぎらいの言葉と共に、ご自信が合格したときとは違う時代に弁理士試験という難関試験に挑戦した方々への同業者としてのメッセージを頂いた。
そんな永沼さんに、弁理士試験に合格したことによる変化を聞いた。
すると、「自分が啓蒙したい層に啓蒙し易くなった」という言葉が返ってきた。
そもそも永沼さんが弁理士資格を取得する目的は、学校での著作権教育だった。
永沼さんが教育現場で著作権教育に携わることには大きな意味がある。
コンテンツルールが伝わりにくいワケ
そんな永沼さんに「なぜルールが伝わりにくいのか?」という問いを出してみた。
即答であった。
法の仕組みと業界慣習に隔たりがある。
これが永沼さんの解だ。
著作権は知的財産権の中で個人(自然人)に最も縁のある権利と言える。
小学生が書いた落書きでさえ、著作権の保護対象である著作物になるからだ。
ましてや、近年のクリエイションツールやAI(特に、大規模言語モデル)の進化に伴い、創作活動の敷居は急激に下がり、創作者も創作頻度も創作物の品質も、全てが激増した。
法律は慣習をカバーし切れない仕組みである。
永沼さんは、その仕組を批判するのではなく、法律の限界を見極めた上で、法律と慣習のギャップを埋める役割を自らに課している。
社会に仕組みを実装するためには、こんな泥臭い動きを誰かがやらねばならない。
永沼さんは自らの実体験から、迷わず泥臭く進んでいる。
永沼さんの話からは、その一途な姿勢を終始一貫感じることができた。
むすび
幼少期のトラウマから著作権教育の課題感まで。
永沼さんが持つ著作権教育への熱い想いを感じることができた。
様々なエピソードを語ってくれたが、その全てが「人とのコミュニケーションがキーになっている」点において共通していた。
「性格はインドア」と言いながら、外交意識がこれだけ高い人間的弁理士もなかなかいない。
弊番組はラジオ番組であるが故にリスナーには表情は届かないが、著作権教育にかける想いを語る”永沼先生”は、コンテンツに触れる全ての人の顔を思い浮かべた表情であったことを添えておきたい。
これは余談だが、冒頭で述べたように、僕は、永沼さんがパーソナリティを務めるラジオ番組に出演させて頂いた。
永沼さんのラジオ番組と並べて本番組を聴いて頂いた方はお気づきだろうが、永沼さんはなんと喋らせ上手(いや僕が喋りすぎなのか…)であることか。
こんなにコントラストがはっきりすると、すがすがしさすら感じるw
まだご視聴頂いていない方は、永沼さんのラジオ番組(木本出演回)も聴いて頂きたい。
次回予告
小学生時代の実体験をきっかけに著作権の道を歩み始めた永沼さん。
そんな彼女の著作権への想いを探った前編だった。
後編では、「自分らしさって何だ」をテーマに永沼さんの本質に迫り、2024年の抱負を語って頂く。
著作権法はポエム
永沼さんの自分らしさは?
いろいろやるということ
好きな漫画は?
宇宙兄弟のお気に入りの一コマ
2024年の抱負
永沼さんのファンからのリスナレビュー
今回は、永沼さんのファンからのレビューも頂いたので、永沼さんの許可を得て転載させて頂く。
それにしても、知財業界ですらマイナーな僕の番組宛に声が届くなんて。
永沼さんがファンの心を掴んでいる証拠だ。
ラジオパーソナリティの世界において、永沼さんは一流のプロフェッショナルだということを改めて認知した出来事だった。
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