This is startup - 「特許明細書」と「プレスリリース」の一致点と相違点
【要約】
はじめに
PRTIMESのユーザ向けに開催された勉強会に参加した。
勉強会は、2部構成だった。
第1部「座学」では、伊東正樹さん(ソーシャル・エンライトメント(株)代表取締役)から、プレスリリースだけでなく、広報全般のある種の理想形を座学で学んだ。
第2部「ワークショップ」では、取材を受ける側(企業)と取材する側(メディア)に分かれて、受講生同士で、自分の紹介を他人に伝えることの難しさを学んだ。
プレスリリースとは
PR Timesのオウンドメディアには、次のように定義されている。
これにならって、本記事では、「企業からの情報が記載された文書そのものを「プレスリリース(press release)」と置くことにする。
なお、いわゆる広告記事(ペイド記事)は、企業からの情報が記載された文書といえるが、プレスリリースとは異なるものと考えている。
現時点の僕にとって、広告と広報は異なるものにしたい(抽象的には同属性(現時点仮説では「ブランド属性」)を帯びたものと言える気がしているが、その整理は未だできていない)。
特許明細書とプレスリリースの一致点と相違点
特許明細書とプレスリリースの一致点
第1部「座学」では、プレスリリースのストーリーラインのあるべき姿について学んだ。
特に印象的だったのは、プレスリリースの素材の前提となる背景の重要性だ。
ここで言う背景には、次のようなものが挙げられる(講義で説明されたものを筆者が咀嚼した)。
社会が囚われている前提事実
法律
慣習
文化
社会が抱えている課題
人間(個人)の問題
社会システムの問題
社会が注目している対象
トレンド
時事(季節性のある事柄)
これらの点は、特許明細書における【背景技術】や【発明が解決しようとする課題】と同種のものだろう。
発明を発掘するより、課題を発掘する方が何倍も重要であり、且つ、何倍も困難である。
これは、僕が発明者と発明の会話をするときに口うるさく伝えていることだが、このアプローチの正しさがプレスリリースの勉強会で示されたことは、とても興味深かった。
【背景技術】や【発明が解決しようとする課題】の軸がたまにぶれたりするのだが、プレスリリースを書いていくうちに、特許明細書の軸が定まるような気すらしてきた。
それくらい、一致点を感じたのだ。
そして、何より、言葉の選定の重要性については、特許明細書のそれと全く変わらなかった。
言葉から感じる意味や印象(解釈トレンド)は、時代とともに変化する。
プレスリリースでは、解釈トレンドと無縁ではいけないと感じた。
解釈トレンドについて、特許明細書も出願時の技術常識を考慮する、という点においては共通しているとは思うが、テクニカルタームに限れば、あまり大きくぶれてはいけないような気もする。
深い示唆だった。
特許明細書とプレスリリースの相違点
特許明細書とプレスリリースの相違点。
それは、読者の保証の有無だろう。
特許明細書は、審査請求さえすれば(つまり、お金を払いさえすれば)、特許庁の審査官が必ず読んでくれる。
この点において、広告記事の側面がある。
一方、プレスリリースは、必ず読んでくれる保証(つまり、読者の存在の保証)がない。
それが故に、特許明細書は、第三者にアクセスして貰えるように(例えて言えば、クリアランス調査で熟読してもらえるように)書くわけではない。
もちろん、読み手のことを考えて書くことは大事であるが、主要な要件は、企業にとって有利な権利範囲を確保することだ(つまり、第三者がアクセスしなくても、有利な権利範囲が確保されていれば、良い特許出願といえることになる)。
これは、特許制度において、公開が代償として位置付けられていることと無関係ではない。
一方、プレスリリースは、メディアに読んで貰えるように書く必要がある。
読み易い文章はもちろん、上記に挙げた背景なども加味した創作性と、事実を伝える非創作性と、の両方のバランスを取ることが重要だ。
まとめ
以前、弊Blogでは、「特許と広報の一致点と相違点」について語った。
当該記事では、「プレスリリース」という解像度まで落とさなかったが、当時の整理はやはり正しかったと再確認した。
広報の観点だけで見ると、プレスリリースと広告記事(ペイド記事)は異なるものだ。
しかし、知財と広報を俯瞰して見ると、プレスリリースと特許明細書(ペイド記事)には一致点もあった。
これは実に興味深い発見だった。
本記事では、詳細を割愛したが、第2部「ワークショップ」で得た学びもまた良かった。
自社や自分の紹介は、いつも難解になってしまう。
それもそのはず。
「人事や広報や法務をやってる弁理士」をどう説明すれば良いのか(弁理士を取ったら、こぼれ球を拾う人としか形容できなくなるw)。
そんな難解のお題に直面したとき、どうも自分は説明し過ぎる癖があるようだ(難解なお題でなくても話しすぎる癖があるのだが…)。
僕自信は、「説明上手」と評してもらえることもあるのだけど、聞かれ下手であることが分かった。
相手の問いが深まるのを待って、ここぞというときに簡潔且つ端的な説明を繰り出すこと。
これが、僕の課題なのだろう。
これもまた実に興味深い発見であった。
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