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なぜ勝つ必要があったり成功する必要があるのか

なぜだろう。世界中でもそうであるが、日本においてもなぜ勝つ必要、成功する必要があるのだろう。勝つという人がいるならば負ける人もいるわけで…成功する人がいるならば失敗する人もいるわけで、0か100か、できるだけ100の方がいいよね、という社会。これって無責任じゃないですか…?

就活がもうすぐ終わる時にそういったことを考える。成功って人それぞれだよねとか、競争して負ける人が出てくるのが嫌なんだよなとか、そういっている暇がないくらい余裕がない日々を過ごしています。間間に休みがあるとはいえ数社続けて受け続けるのは自分の心が消えていく何かがあります。前日も御祈りメールをされました。一番悲しいのが最終面接で落とされるというところ。

私自身の性格として「余裕そう」とか舐められるみたいな性格で、本当は精神的に強いわけでもないしなんなら弱いくらいだけど、苦手な大学などでの発表の時間の時友達からは「そんなに緊張してるように見えなかったよ?うちの方が緊張してた」って言われるくらい。うちは今すぐバンジージャンプしたいくらい緊張してるんだけどな?

そんな感じで自分の気持ちが相手にあまり伝わらないということがありまして、就活でもアピールしているつもりがあっても気持ちが伝わりにくいのではと…

もう一つ、ぼーっとしているというのがあります。幼少期の頃、滑り台から落ちて頭を縫ったことがありその際に医師から「この子、ぼーっとしてますけど大丈夫ですか?」という質問に対して母親は「前からぼーっとしてましたよ笑」と答えるくらいぼーっとしていたそう。今では少しマシになって大人っぽくなったと言われるが、友達からも「話聞いてる?」とか聞かれる始末笑。不注意面で言えば人一倍でADHD気質あるのかなぁと思ったり。

勝つ、成功する必要性

正社員で40歳までに老後の資金貯めてセミリタイアとか、ただ単に正社員至上主義社会であったりだとか生半可な弱者を傷つける言葉を平気で就活サイトとか就活ブログは言っています。

僕は正直そこまでそれを正義に仕立て上げる目的はなんだろう?
それってできる可能性がない人とか、今はできる余裕がない人
もうちょっと経験積んでからしてみたい人
とかとかを否定していない?

今すぐなれ、今すぐしろ、成功しないとだめ、失敗は恥。
そんな強い言葉は僕にはいえない。

大丈夫だよ、一緒に頑張ろう、ゆっくりしよう。
そんな感じていいんだって。

今すぐ成功する必要はない。自分に合わなかったら成功思考をやめてもいい。
勝つ必要はない。そもそも勝負なんて持ちかける必要はない。

進む人、戻る人人それぞれなのに加速していく社会。時間の軸、社会が進む軸は変えられないのだから必死についていく必要はないんだ。

自分が大切だ、大事だって思う道を進みたい。だから僕は"一旦"やめる。自分のスピードを知ってみる。どんなに遅いだろうと悲観的にはならない。みんなが早すぎるなんて妬んだりしない。自分は自分、他人は他人なんだから。

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