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ウトロの流氷が教えてくれたこと

本質は本物からしか得られない。

それを私に教えてくれたのは、
2014年、知床・ウトロで初めて見た
「本物の」流氷だ。

流氷、冬の北海道観光の代名詞とも言えるそれは、テレビや観光メディアでこれまで何度も特集されているから、今や日本人のだれもが知っていることだろう。
流氷がいつどこでどのように見ることができるかはもちろん、それがロシアのアムール川河口で生まれ、海流に乗って北海道沿岸まで流れ着いたもの、などといった基本的なことは、今や誰も疑うことなく「知って」いるであろう。

しかし、そんなふうにして本物の対象を見ずに得た情報を「知識」といっていいのだろうか。
それは「知ったかぶり」に過ぎない。
それを私に思い知らせてくれたのが「本物の流氷」だった。

*****

10年前の2月、当時大学2年生だった私は、網走在住の親友の誘いで流氷を見るため、知床の玄関口ウトロ地区を訪れた。
ウトロに来たのはその年の夏に観光でオロンコ岩を登ったとき以来、半年ぶりだ。

夏には、世界自然遺産知床を見て回ろうと意気込む観光客でごったがえしていたウトロだが、
その日は最高気温-5℃に満たない真冬の真っ只中。
辺りには、寒さから逃げるように足早に歩く人影がちらほら。
「観光船」「オロンコ岩」の案内が虚しいほどに、街はひっそりとしていた。

一方で親友は、私にどこへ行くとも告げることなく、海とは反対方向の丘の上へと車を走らせてゆく。

(え、近くで流氷見たいんだけど...)

坂を登りきると、丘の上には観光ホテルや土産物店が軒を並べていたが、その日はオフシーズンもオフシーズン、どこも客入りまばらだった。
そんな侘しさ漂う街並みの中、「知床第一ホテル」「日帰り温泉」の魅惑的な文字列が私には輝いて見えた。もはや流氷より先に温泉でええやん。身体の芯まであったまれば、モチベも上がるというものよ。
しかし親友は一瞥もくれることなく車を飛ばしてゆく。

車の走る先に見えてきたのは「夕陽台展望台」と書かれたちょっと古めの看板だった。

「降りるよ。」と親友。
(やっぱ温泉入りに来たんじゃないのね...)

エアコンヒーターでポカポカ快適になった車の扉を開けると、キリリと凍てついた真冬の空気が吹き込んできた。あっという間に、耳、鼻、指といった末端から熱を奪い、感覚を、寒い、から、痛い、に変えてゆく。

痛いほどの寒さの中を歩く心の準備ができていない私をよそに、車は容赦なくロック。

しかも展望台に来たはずなのに、目の前には枯れ木のように葉を落としたセピア色の木立が広がっていた。その中を、人1人が歩けるような道が続いている。
親友は、ローカットのトレッキングシューズに雪が入らないように、ガニ股大股で歩いてゆく。なんか歩くらしいです。まじか。

薄く降り積もった駐車場の雪を踏むと、ギシギシと軋んだような音が足元から聞こえて来る。そんな日は凍れている。この音を聴くだけで足の裏から身体の芯まで冷えてくる気がする。はやく温泉入りたい。

寒さを堪えながら雪をふみふみ歩いていると、視界に違和感を感じた。林の中を歩いているはずなのに「明るい」。

やがて木立がぽっかり空いた場所に出た。
眼下にはさっき見たオロンコ岩と観光船の波止場が見えた。でもなんかおかしい。海が無い...?

「白っ!!」

夕陽台展望台から見たオホーツク海

果てしなく続くオホーツク海は、見渡す限り全ての海が、白い氷で覆われていた。

水平線は無く、氷の地平線だった。

淡白い空と流氷線の境界が曖昧だった。

波音はしなかった。
海面を覆い尽くす流氷が波を殺してしまうのだそうだ。

「これ全部アムール川からきたんだよ」

「流氷のせいで冬の間漁師は漁に出られないけど、流氷のおかげで海が豊かになって漁ができるんだ」

「網走が冬晴れる日が続くのは、寒気と流氷が海を塞ぐせいなんだって」

「ここでは人は自然の中で生きてくしかないんだよね」

「人は何万年も前からそうしてきたはずなんだよね」

「流氷は、何回見ても、いい」

流氷を毎年何度も見ている親友の言葉の一つ一つが、流氷の、ウトロの、オホーツク海の、地球の物語に聞こえた。

にわかには信じがたい、でも現実に、目の前の底にある、アムール川からやってきた流氷たち。やがて南風が卓越する頃には融けて海となり、あらゆる生き物たちに取り込まれ、その一部を人に分け与えてゆく。

流氷を映した私の目、
痛いような寒さに凍えた指先、
ポツリポツリと言葉を落とす親友の声、

本物の流氷を中心にして、
それをとりまく情報が洪水のように私の体と脳を刺激し、感覚、知覚となって全身を駆け巡ってゆく。

やっと出てきた言葉は、
「ここで流氷を見れてよかった...」

*****

言語化できることが全てではない。
人の手が及ばない世界がこの世にはある。
人は自然の一部であり、自然の中で生かされている。

それらを体感で教えてくれたのがウトロの、本物の流氷だった。

写真や教科書やSNSの画面越し、文章越しでは得られない、

本質ってそういうものではないだろうか。

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