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序章

ガラケーからスマートフォンへ、Web 2.0からソーシャルメディアへというインターネットの歴史上、大きな変化があった2010年代。多くのスタートアップがカンブリア爆発のように現れては、儚くも消えていった。このストーリーは、そんな星の数ほどいたスタートアップの中の1社であり、同じように消えていったスタートアップの、事実に基づく物語である。

2010年代はさながら幕末のような時代だった。海外勢のスマートフォン、SNS、巨大ECが黒船のごとく現れ、ガラパゴス的キャリア経済圏に守られてきた日本のモバイルインターネット業界に危機が迫るのを肌で感じていた。ガラケーの過去の成功体験から脱せない企業は、変化に対応できず次々と縮小していった。そんな中、スマートフォン×SNSの熱病に侵されながら彼らとの戦いを決意し起業した有志が、時代の波に飲まれながらもがき、みんなで一緒に答えを探していた感覚があった。ザワットでの数年間は、まるで青春時代のようにワクワクし青臭く、そして毎日が憂鬱だった。

第1章〜起業前夜

起業した2011年の初期、僕は当時会社員としてウォルト・ディズニー・カンパニー・ジャパン社で働いていた。Disney Interactive Media Groupという部署で新規事業開拓チームに所属し、様々な事業を検討していた。すでにスマートフォン×SNSの熱を感じていた私達は、従来のガラケーi-modeビジネスからの脱却を図るために、新しいSNS上のアプリケーション展開を本格化する運びとなった。2011年は足掛け丸2年かけて準備してきた本命のゲームアプリのローンチを控えていた。会社はすでに、いち早くSNSへ接続するAPIのオープン化を行ったmixiプラットフォーム上で、業界で最前線を走ってきたスタートアップのコミュニティファクトリー社や、Rock You Asia社と連携しアプリを展開していた。なお不思議なもので、この2社の経営陣と私は、後に、メルカリ社で合流することとなる。そんな中でも、サンシャイン牧場、まちつく!(ウノウ、後のメルカリ創業者suaddの会社)、、空飛ぶ、コミュニティファクトリーの数々のアプリ等、コミュニケーションを軸にしたアプリが流行った。Disneyは大企業としてはmixiプラットフォームにいち早く参戦したものの、プラッフォーム自体の収益性の低さから苦戦を強いられた。当時、ゲーム好きユーザーが多く、より収益力が高かったモバゲーにて、DeNA社と共同開発によるソーシャルゲームの開発を協議し、僕はDisney側のリードプロデューサーとしてゲームの世界観、ストーリー、ゲーム仕様の策定や、デザイン、プロジェクト進行管理やライセンス管理、デバッグ、監修を行っていた。心には一つの野望があった。「やっている仕事は超楽しいけれど、このまま一生キャラクターを売り続ける仕事で人生が終わるのはまっぴらだ、自分で世界の役に立つ事業を作るために、20代のうちに、起業する」。

しかし会社員時代が長かった自分は当時すでに年齢29歳。会社が終わるとすぐにカフェに直行し、深夜まで創業資金創出のためのお小遣い稼ぎとして個人でWEBやアプリのサービスを開発する生活を送っていた。小遣い管理アプリ「こづかいdeクエスト」(一緒に開発したサイバード同期のnapoliとはその後メルカリで合流)、ebay仕入れからのヤフオク転売、高級ギター一括査定サイト等、いろいろ開発しては小銭を稼いでいた。コンテストで優勝して数百万円の賞金なども得たが、そんな小規模なサービスを作ったところで心は満たされなかった。むしろこのまま、自分は何者にもなれないのではないかという焦燥感があった

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そんな鬱蒼とした毎日の中で、以前から声をかけてくれていたベンチャーキャピタリストのW氏から、Incubate Campというイベントの誘いがあった。起業したい20代を集めて著名VC陣と合宿し、その起業アイデアを実現可能なものに1晩で磨き上げるというイベントだった。外部のコンテストで受賞した個人プロジェクトに注目してくれていたようだった。ギリギリ20代だった自分は、そのキャンプに参加した。そこには後に大成功を収める起業家たちが、20代の起業家として集結していた。ラクスル松本さん、メルカリ富島さん、ユビレジの木戸さん、voyagin高橋さん、暗号屋の紫竹さん、等だ。そこで自分は当時、破竹の勢いで起業家予備軍にシード出資をしまくり、まさに時代の台風の目となっていたサムライインキュベートの榊原氏とペアとなり、事業プランを磨いた。なお今となってはこんなに大きなイベントになっているが、当時は投資家も起業家も、とりあえず呼ばれたから来た的なアットホームさがあった。当時このイベントの立ち上げを仕切っていたのが現Skyland Venturesの木下さんだと記憶している。

スマホとソーシャルで人々の細かいニーズ(欲求)を可視化し自動的にマッチさせまくるそのサービスの名前は「欲望〜Desire」と名付けられた。今考えても酷いネーミングだが、わかりやすくてよかった。榊原さんからは、プレゼンはわかりやすさ、頭に残るかが大事であるということを学んだ気がする。これが後に最初のクラシファイド広告のC2Cアプリ、WishScopeとなる。

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次回、第2章、創業メンバー集め
君は、小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか?

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