我慢の先にあるもの
私は就労移行支援先の一部のスタッフさんに腫れ物に触るように接されていると感じています。
原因は私自身にあるんです。
ある訓練中に、本当に出来るかどうか確認するためにということで、私が苦手な作業をひたすら取り組んでいました。
毎日毎日、心が悲鳴をあげていました。
「なぜ、私が出来ないことを、再確認しないといけないのだろうと」
「もう本当に辛くて、やめたいと」
こぼしました。
その状況に対応するために、リフレーミング・ストレスコーピング・問題解決をするんですと言われました。
その時の私には、そんな心の余裕はありませんでした。
忙しいのはみんな一緒。やっていることもみんな一緒。今までと同じで時間はあるでしょうと言われても、出来る状況じゃないときはどうしたら良いんだろうと思ってました。
そして私の心は爆発しました。
ある日私は、半日事業所で何を言われても動かずに立ったままでいました。
「このまま倒れたら楽になれるんじゃないのか」
と思いながら
でも意外と身体は丈夫なのか半日くらいはずっと立ったままでいられるんですね。
結局その日は午前中で帰され、そのまま帰宅。
翌日、急遽病院で相談しました。
「この状態が続くと、あなたがもたないから、支援方法を変えてもらうように伝えましょう。」
「きれいな言葉でなくてもいいから伝えよう!」
その言葉に救われた気がしました。
今は別のスタッフさんと相談しながら、別の支援を行ってもらっています。
本当に出来るか出来ないか
確かめる必要はあるかもしれません。
でも私はこんな辛い状況で出来て、その先に何があるんだろうって思いました。
私は逃げ出しました。
ダメな人なのかもしれません。
でもやっぱり思います。
「我慢の先にあるもの」って何だろうと。
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