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ワークショップデザイナー育成プログラムが純粋に面白すぎた

どうも、大幸です。

先日、4月から受講していた青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)を無事修了しました。学んだことを挙げるとキリがないですが、ひとまず、今感じていること、印象に残っている学びだけでも綴っておこうと思い、この文章を書いてます。
※また長文になってしまった。。。

①ワークショップにおける「仲間づくり」とは

「肩書き」や「役職」「立場」などによらない“今ココ”における「個」と「個」の協働。そこには多様性があるがゆえに誰もが、ある意味では異質な存在となる。だから、必然的に違和感が生まれる。自分にはない発想に驚かされたり、相手の言っていることの訳が分からなかったりする。チームの中に「ゆらぎ」が起こる。その「ゆらぎ」に対してどう向き合うのか?

「ゆらぎ」を乗り越えることができれば、チームとしての理想的な協働の在り方が自然と生まれていく。「ゆらぎ」を乗り越える過程で、一人ひとりが人として成長し、それがチームとしての成長にもなる。その結果、気づいたら仲間になっている。

そこに生まれているのはお互いへの行動承認(◯◯したから認められる、評価される)を超えた、存在承認(存在自体の受容)だと思う。お互いへの存在承認が仲間づくりになる。それこそがワークショップの本質的な価値なんじゃないか。そんなことを感じた。

ここで改めて学んだのは、人と人との間に起こる「ゆらぎ」は決して忌避すべきものではないということ。表面的な心地よさを保つために(自分から逃げるために)伝えるべきことを伝えなかったり、心の中の違和感を無視してしまうと、人としての成長もなく、それ以上の関係性の成熟も見込めない。これは、普段から自分自身に問い続けなければいけないことだと思った。

②場の創り手としての「在り方」

その場を創る人がどんな思いでその場に臨んでいるのか?相手に何を感じて欲しいのか?決して可視化することのできない創り手の「存在(being)」が、外側(表情、言葉、声、仕草、etc…..)に全部現れている。

これは、実践2オンラインのワークショップ企画にて、最初から最後まで画面OFFの、声だけで行う奇想天外な(我ながら力作だった笑)ワークショップを作った時の気付き。

手がかりになる情報は「音」だけ。でも「音」だけだからこそ伝わってくるもの(相手に伝わるもの)があって。だから、チームで場を創っていくにあたり、一人ひとりが、「音(声)」にどんな「思い」を乗せるのか?を共通のイメージとして持っておく必要があった。多分、これは話し方や聞き方のテクニックでどうこうできるものじゃない。

ふと街中のカフェに入った時「お、ここなんかええやん」と感じることがある。それは店内の雰囲気だったり、メニューだったり、照明だったり、色んな要素があるんやけど、一番は人なんちゃうかな。創り手の思いを無意識に受け取っているようなあの感じ。

どんな思いでその場に臨むのか?自分はなぜそこにいるのか?それは直接目には見えないが、場に大きな影響を与える。

③面白いからやる、ただそれだけ

この数ヶ月、ふと我に返った時に「なんでそんなに頑張ってるんや?もうちょっと気楽にやったらええやん笑」と自分にツッコミそうになった。笑

そのツッコミに対する答えとしては、シンプルに「面白いから」それ以上の言葉も、それ以下の言葉も出てこんな。

こんなに面白いこと(学び合いの場づくり)を
心から学びたいと思っている人たちと学び合える
それ以上に面白いことがあるだろうか。いやない。(断言)

同じ言葉反復しすぎて意味分からん文章になってきた笑。そろそろ終わろう笑。

改めまして。今回ご一緒させていただいたみなさん
ホンマにありがとうございました!
そしてこれからもよろしくお願いします!!!


実践1 まさかの「ヤバイ班」認定をされる


実践2 オール画面OFFの「声」だけWSに挑戦


関東で仲間がいっぱいできて嬉しいです

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