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観相師・景春 第六話

●6.南郭
 景春たちは、城内南郭より、差配の許可なく出ることは許されなかった。
「殿、全くの籠の鳥でございますな」
「考え方によっちゃ、出来たばかりのお城に居られるのだから、贅沢なのかもしれない」
「殿、そういった所が、若く居られ秘訣なのかもしれませんな」
「しかし、御文庫には、書物がいろいろとあって、観相術以外にも見識が広げられる」
「呑気なことを、ここから、いつ出られるとお思いですか」
「西国大名の人相書きによる性分の判断が、終わるまでかな。でもな源兵衛、骨が折れるが、面白くもある」
「殿の、その性分を見抜かれて、利用されているのですぞ」
「そう悪くとらえるな、大御所様も、秀忠様も書物は大事にするお方らしい。これなら、今度は天下泰平が長く続きそうだ」

 景春は、差配付き用人・伊原是近、御文庫用人・佐村喜一郎に挟まれるようにして、城内の廊下を歩き、謁見控の間と隣の小部屋に入った。
「今日は、右の男が丹波八上藩の前田茂之、左が和泉谷川藩の笹本重喜なので、あの両名の性分を見極めてもらいたい」
伊原は、景春と共に部屋の片隅の影格子から、控の間を垣間見ていた。
「わかりました。まずは素描いたします」
景春は、矢立から筆を取り、前田、笹本の顔を素描する。目や口を特徴があった場合、より詳細にその部分を描ていた。
「伊原様、西国大名の人相書きですが、もう少し詳細に描いてもらうわけには、いきませんかね。私のように、丁寧に描かないと、より正確な性分は読み取れないのですが」
景春は、自分の描いた人相書きを伊原に見せる。
「文句を申すな。しかし、間者の絵師には、その旨伝えておこう」
伊原は、景春の素描の正確さに目を丸くしていた。
 「伊原様、控の間をもう少し明るくできませんか」
「なんじゃ、明るくか。佐村、控の間の障子を開けてまいれ」
伊原は、黙って控えている佐村に促す。佐村は、即座に表側に回り、庭をめでるようにと、声を掛けながら障子を開けていた。
 
 「どうじゃ、板倉、両名の性分がわかったか」
「はい。前田様は、気が弱いようでして、いささか、気がふれている相を持っています。当主としての器には、ないようです」
「そうか。前田は改易させるか」
「一方、笹本様ですが、気がかなり荒いはずです。その上、やはり凶相がいたるところに見られます。刃傷沙汰を起こしそうですし、当主としては、下が苦労させられるでしょう」
「そうか。放っておいても、ボロを出すか」
「今日の所は、これだけでございますれば、御文庫に戻って、人相書きをまとめて…」
「板倉、今日はな、もう一人、大物が来る。奥の控の間に行くぞ」
「奥と申しますと、大大名ですか」
「伊達様が登城する」
「それはそれは」
景春が驚いている間もほとんどなく、奥の控の間に隣室に向かった。

 「あのお方が、噂に聞く伊達政宗様ですか。独眼竜という異名通り、顔に迫力がみなぎっております」
景春は影格子から控の間を覗いていた。
「どうだ。我が徳川家に弓を引きそうか」
「そうですね。野心はお持ちのようですし、しっかりと信念があるはずです」
景春は、素早く素描していた。
「早めに叩くべきかのぉ」
「今の所、爪は隠しているようですが、隙あらばという、気迫が感じられます」
「秀忠様の手に余るようではな…」
「ただ、徳川家のために働いてもらえれば、大きな力になるでしょう」
「板倉、良いことを言うな。伊達様の性分を詳しくまとめたら、秀忠様や大御所様にお見せしょう」
「今日は、これで、終わりですか」
「明日もあるが、今日の所は、後は御文庫での作業にとりかかれ、良いな」
「承知いたしました」
景春は、あくびをしかけたが、あわてて手で抑えていた。

 「板倉はおるか。今日はその方の待ち望んでいた南蛮人が登城するぞ」
伊原が佐村を伴って、南郭に来た。
「南蛮人ですか」
「上総の御宿に流れ着いた、ドン・ロドリゴと申すものが、秀忠様に謁見することになったのだ」
「それでは、奥の控の間ですか。急ぎましょう」
景春が、真っ先に歩き出した。

 隣の部屋の影格子から、控の間を覗くと、黒いひげを生やした南蛮人がいた。
「奴が、江戸市中を歩いていると、大変な人だかりになったようだぞ。まるで見世物だな」
「やはり、我々と違って彫りが深く、眉と目の間隔が近いです」
景春は、素描を始める。
「あんたは、相変わらずだな」
「黒い顔の従者はいないのですか」
「黒い顔、そんなものはおらん。それでどうだ、危険そうな人物か」
「粗暴な性分かもしれないが、きわめて、心が落ち着いているようだし、案外、臆病な面もありそうです」
「お主は、南蛮人や紅毛人もわかるのか、何かと重宝するな。ずっーとこのお役目をやってもらいたいものだ」
「ずーっとでございますか」
「不服か、好きなことをやって、そこそこの禄ももらっておろうに」
「は、はい」

 源兵衛は、南郭の屋根裏部屋の小窓を開けて、わずかばかりの外の景色を眺めていた。
「ここに、いつまで閉じ込められているんですかね。奥方や景親様は、どうしているのでしょうか」
「もう4年以上になるか」
景春は、御文庫に降りていく、身支度をしていた。
「暇をもらいたいな。差配様に申し出てみるか」
「そんなに簡単にお許しは出ないのでは」
「そろそろ、本気でここから抜け出る算段でも考えるか」
景春は声を潜めていた。

「伊原様、先日の暇の件ですが、差配様よりご沙汰はございましたか」
「ない。その方には、まだまだ、やってもらいたいことがあると、おっしゃっていた」
「ほんの三日もあれば」
「冗談を申せ、三日だと。それよりも、これを見てくれ」
伊原は、若武者の人相書きを広げた。この他に数枚あり、そこには、目の周りや口の周りの絵図面もあった。
「かなり、詳しく書かれていますね」
「板倉の申す通り、間者に詳しく書かせたのだ」
「それで、こちらはどなたで」
「今は、申さぬが、性分などを読み取ってくれ」
伊原は、景春に数枚の絵図を手渡した。
 景春は、凛々しい眉、目の大きさ、口の締まり具合、法令線を判定してみた。口や目の図面と代わる代わる
見比べ、総合的に判断していた。
「素晴らしいお顔です。立派な武将としての器量を持っています。若干運が弱いようですが、心が安定して、
知力も高いと言えます」
「おい、板倉、そんなに良い顔なのか」
「絵図面で見る限りではです。本人にお会いしたものですが」
「そうか…」
伊原は、少し肩を落としていた。
「それで、こちらは、秀忠様のお子ですか」
「いや、秀頼君だ」
「秀頼様は、もうこんなになられたのですか」
「…、それで人望もありそうか」
「人望の相もあります」
「これは大御所様にも、知らせる必要があるな。さっそく差配様にお伝えせねば」
伊原は、困り顔に見えた。

 「殿、南郭のお女中に聞いたんですけど、淀君と大御所様は、険悪な関係になりつつあるそうです」
「そうか。これは、数年以内に、何か起こりそうだな」
「この分だと、暇の件は、しばらく遠のきそうですぜ」
「あぁ、西国大名の新しい詳しい人相書きが、山のように来てな、性分を今一度、判定しろと言われている」
「この源兵衛も、多少は観相術を覚えましたから、身の回りことだけでなく、何なりとお申し付けください」
「わかった。それでは、御文庫に行ってくる」
景春は、屋根裏部屋の階段を下りて行った。

 「板倉、もし、事あらば、島津と毛利の当主は、豊臣、徳川のどちらにつきそうだ」
伊原は、山のように積まれた人相書きを扇子で書き分けて、話しかける。
「両名とも、日和見というか、勝ち馬に乗る性分でしょう」
「大御所様は、どうするおつもりなのか、不明だが、少しでもお味方になる大名を増やしたいようだ」
「伊原様、淀殿の詳しい人相書きは、ないのでしょうか」
「あぁ、先日渡した中にあるはずだが」
伊原は、扇子の先で、人相書きの山を指す。景春は、山の下の方にある絵図面を数枚取り出し、めくってみる。
「これで、ございますか」
「さよう。あるではないか。どうじゃ」
「何か決意をしている相が見えます。それに、欲の相も見え隠れしています」
景春は、その後は、黙ってしまった。
「どうした。良くない相でも出ていたか」
「いえ、齢の割りには、お美しいので」
景春は、何か大きなことが起きることを確実視していた。

 南郭の屋根裏部屋に冷たい風が入り込むようになってきた。熱い汁ものすすりながらを夕餉を食べている景春と源兵衛。
「殿、お女中の話によると、方広寺の鐘銘の件、わだかまりが広がり、遂に大御所様は、駿府を立たれたとのことです」 
「わしも、伊原様から昼に聞いたばかりだ」
「大御所様は、秀頼様をどうするおつもりなんですかね」
「観相的に見ても、淀殿が鍵だと思う」
「まさか、豊臣家を滅ぼすおつもりなのでしょうか」
「事と次第によっては、そうなるだろう」
「恐ろしい、ことです」
源兵衛は汁をすすっていた。

 「真田信繁が大坂城にいるらしいが、奴の新しい人相書きがないが、性分は変わっていると思うか」
伊原は連日のように大坂のことを話していた。
「忠義に厚い、お方には違いないと思います」
景春が言っていると、佐村が御文庫に駆け込んできた。
「大坂の陣の戦いが始まったとのことです」
「難攻不落の大坂城、大御所様も、苦戦を強いられるのでは」
景春が言うと、伊原はつまらなそうな顔をする。
「紅毛人から買った大筒があるのだぞ」
伊原は、徳川方の勝利を願っていた。

 伊原の言った大筒(大砲)が功を奏して、豊臣方が和睦を申し入れ、大坂の陣は、一応の終結を見た。その後、大坂城は、外堀内堀共に埋められ、大坂城は裸同然になった。さらに翌年の夏に再度、大坂の陣があり、信繁の活躍も虚しく、豊臣家は滅ぼされた。この間、暇の件は申し出てから数年があっという間に過ぎていた。

 「板倉、戦勝改元に免じて、暇の許しが寺沢様から出たぞ」
伊原は、景春が御文庫に出仕するなり、言い放った。
「暇の許しですか。ありがとうございます。して、何日間の暇でございますか」
「喜べ5日だ。5日経ったら、こちらに戻ってこい良いな」
「さっそく、源兵衛に知らせて…、もちろん源兵衛も連れて行って」
景春が言うと、伊原は大きくかぶりを振った。
「良いが、明日からだ。今日は、信繁改め幸村の性分を書きまとめておけ」
伊原は勿体をつけた言いっぷりであった。

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