新千夜一夜物語 第28話:大量殺人事件と不動明王(後編)

青年は思議していた。

相模原施設殺傷事件の加害者である植松聖の、“意思疎通が十分にできない障碍者には人権がない”という主張についてである。
事故などで後天的に障碍者となってしまう人物もいるが、生まれながらの障碍者がいる。
障碍者と健常者とで、命の重さや今生の課題は異なるのだろうか?
なぜ大量殺人事件が、起きるのだろうか?

一人で考えても埒が開かないと思い、再び青年は陰陽師の元を訪れた。

『先生、こんばんは。本日も大量殺人事件について教えていただけませんか?』

「もちろんかまわんが、今日は具体的にはどういった話かな?」

青年は、相模原施設殺傷事件の内容と植松被告の主張を陰陽師に伝える。

「なるほど。で、そなたは植松被告の“意思疎通が十分にできない障碍者には人権がない”という主張に対して、どう思う?」

陰陽師にそう問われ、青年は腕を組んで黙考する。
湯呑みに注がれた茶を飲む陰陽師に見守られ、やがて青年は口を開いた。

『難しいテーマですが、もちろん、彼の主張に全面的に賛成することはできません。我々は魂磨きのために400回の輪廻転生を繰り返しているわけですから、障碍者であっても1回の人生には変わりはないと考えますので』

「うむ。今生の魂磨きのために彼らが障碍のある体を選んであえて転生してきている以上、障碍者の命の重みと健常者のそれが等しいことは自明の理なわけじゃから、そなたの見解は基本的に間違っておらぬと思うぞ」

『とすれば、まだまだ天命が残っていたのでしょうから、植松被告の手にかけられた方々には同情してしまいます』

そう言って顔を伏せる青年に対し、陰陽師は諭すように言う。

「そなたの気持ちはわからんでもないが、その点に関しては、かならずしもそなたに同意できん。と言うのも、以前も話したように、3.11の被災者の大多数があのような大災害で命を落としたにもかかわらず、あらかじめそれを納得した上でこの世に転生してきておることは、地縛霊化した人物がまったくと言っていいほどいないことからも明らかなんじゃが、今回の事件でも地縛霊化した人物は誰一人おらんところをみると、事情は同じなのじゃろう」

陰陽師の言葉に対し、青年は腕を組み、眉間にシワを寄せながら口を開く。

『つまり、あの大量殺人事件が起こるべくして起きたと?』

「うむ、様々な状況証拠からみて、そういうことになるじゃろうな」

『ということは、植松被告のように、加害者役を担うことが今世の役目となる人物もいるということなのですね?』

「その通りじゃ」

『 “この世”は魂磨きのための修行の場ですから、“地上天国”が実現しない、実現することに意味はないとわかっていても、凶悪犯罪が減ってくれたらと願わずにはいられません』

苦渋の表情で言う青年に対し、陰陽師は微笑みながら口を開く。

「以前(※第10話参照)、400回の輪廻転生が終わった後の世界について説明したが、この世での魂磨きの修行を終えた魂には、観音のように他者を助け、導く役割を持つ存在がいる一方、不動明王のように他者を懲らしめる役割を持つ存在もいる。それ故、たとえこの世の物差しでは悪と判断される事件を起こしたとしても、永遠の世では必要な役割というのが、我々人間の“思議”で考えうる最良の答えかもしれん」

陰陽師は湯呑みの茶を一口飲むと、言葉を続けた。

「“罪を憎んで人を憎まず”という言葉があるが、あれなどはこのあたりの事情を実にうまく表現していると思う。もし我々が彼と同じ魂を持ってこの世に転生したとして、他人には理解できない“使命感”みたいなものが我々を包み込み、あのような犯罪に走らせる可能性は決して否定できぬからな」

『ということは、彼が受けた教育や、これまでの体験からの学びだけであのような行動を取ったわけではないと』

「それだけではない。もし我々の意思や行動が自分自身の意志だけではなく、この世の目に見えぬ力に触発される性質のものであるとすれば、あのような行動をとった本人自身も、なぜあのような行動に及んだのか、本当の理由は理解していないのかしれんからな」

『なるほど』

禅問答の様な陰陽師の言葉をしばし自分の中で咀嚼するように口をつぐんでいた青年。やがて、顔を上げると、口を開いた。

『仮に、今回の事件が、植松被告本人の側から考えてそうだとして、このような悲惨な事件が、周りの人々に何らかの学びを与えるきっかけにもなる可能性もあるのでしょうか?』

「もちろんじゃとも」

青年の質問に、一つ頷いた後で、陰陽師が言葉を続けた。

「まず、彼の家族じゃが、彼がこのような事件を犯したことで、大きな変化を余儀なくされる。そのあたりが彼を中心とした一連の人々が共通の舞台俳優であるという根拠ともなっているわけじゃが」

『なるほど』

「逆に被害にあった人々を中心に考えると、輪廻転生が“双六(すごろく)”のようなものであることと、また被害者の方々が地縛霊化していないことも考え合わせると、今世での宿題を終えた人間はいち早くあの世に戻り、次の一コマに進むための準備を始めるという“あの世とこの世の仕組み”に類する問題が介在していたことも疑う余地はないと思う」

『つまり、殺された方々は、すでに今世の宿題を終え、適正な期間にあの世に帰るために、あの事件に遭遇したと』

「そこまではっきりと断定できないとしても、処々の状況を考え合わせるかぎり、その可能性は極めて高いじゃろうな」

『なるほど。捉え方によっては、植松被告のおかげで次のステップに進めた、と言うこともできるのですね。そのあたりの話になると、正に“不可思議”の世界の話です』

青年の言葉に大きく頷きながら、陰陽師が続けた。

「さらに言えば、犠牲者になった家族も今回の“悲劇”に登場する舞台俳優たちで、彼らは彼らで、この悲惨な事件を通して間違いなく何かを学んでいるはずじゃ」

『そう言われてみれば、たしかに』

青年は小さく唸りながら、首を縦に振った。そして、物思いにふけるように、青年はしばらく黙ったままでいた。
やがて、青年は感慨深げに言った。

『いずれにしても、あの悲惨な事件には、これほど多くの人たちが関わっているわけですね』

「さよう。さらに、この事件に遭遇した我々のような傍観者の存在まで当事者に含めるのであれば、加害者の行動に感情的な判断を下すだけではなく、今回の事件から自分は何を感じたのか、何を学ぶのか、それらを糧としてどう生きていくのかといったことを考えてみることが肝要だとワシは思う」

『おっしゃる通りだと思います。僕などはまだまだ世間の倫理規範に基づいて物事を判断し、物事を善悪で判断してしまいがちですが、そうではなく、もう少し大きな視野で物事の本質を見極め、それを自分の人生に活かすことが大事なのですね』

「我々は、聖人君主ではない。じゃから、時には過ちを犯すこともあるじゃろう。そんなとき、一つの指針となると思われるのが“脱社会”的な生き方なのじゃ」

『“脱社会”的な生き方、それはどのような生き方なのでしょう?』

そう訊ねる青年に、陰陽師は説明を続ける。

「前にも説明したと思うが、社会的責任、愛する家族までを捨てて世捨人となることを勧めたブッダの教えは、決して“社会の規範”に則ったものではなかった。しかし、彼は決して、“反社会”的になることを説いたのではなく、“社会の規範”を超越した“脱社会”的存在になることを目指せと説いたわけじゃが、この“脱社会”的な生き方こそが、時には偏狭となる“社会の規範”を超越し、常に第三者的なものの見方、大局的なものの見方を持って生きる指針、つまり“如実知見”になるわけじゃ。そして、そのような生き方こそが、結果として、“修行の場”であるこの世での正しい生き方となることじゃろう」

『自らの宿題を果たすためにも、“反社会”的になるのではなく“脱社会”的になることを目指せ、ということですね、よくわかりました』

そう言う青年に対し、陰陽師は満足そうに微笑みながらうなずく。
ふと、青年はスマートフォンで現在時刻を確認する。

『今日も遅くまでありがとうございます』

そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。

「気をつけて帰るのじゃぞ」

陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送る。


帰路の途中、青年は過去の人生を振り返っていた。ふと蘇る思い出に対し、善悪の判断や感情的な反応をするのではなく、なぜあの出来事が起きたのか、あの出来事が自分の人生にどのような影響を及ぼしたのかといった、大局的見地でもって振り返ることができた。
そして、これから起こる日々の出来事に対し、冷静に観察して不動心で対応しようと決意を新たにするのだった。



帰宅後、青年の電話に陰陽師からの着信があった。

「まだ起きておったか?」

『はい。何かありましたか?』

「こんな時間に電話をかけて悪いとは思ったが、植松被告の主張に対して、どうしても補足をしておきたいことがあって連絡をさせてもらった」

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