m→t→□→h→r day47
4/29 (Mon.)
#66日ライラン day47
四角に入るアルファベットは何でしょう?
時々、職場で子どもたちに聞かれる質問がある。
「ねぇねぇ、何歳?」
「えーっとね、◯◯年生まれだよ。」
私の場合、西暦で答えると比較的計算しやすいので、大抵はそちらで教えてあげる。
ちょっと悩ませようと思う時は、元号で。しかしこれは反則的な技。
こないだは、聞いた子どもたちがしばらくフリーズしていた。私より少し年上の同僚がその反応を見て笑っていた。ところできみたちは何年生まれ?と聞いても、自分でも答えられない小学一年生の子どもたち。しょーわ、なんて響き、聞いたことなかったのかも知れない。
元号が、昭和から平成に変わった時、私は小学三年生だった。今の次男の年だ。だから、子ども時代の遊びや文化、風習?なんかはまだまだ昭和が残っていたものの、しっかり物心がついて覚えているのは平成以降になってからの空気。
でも私は、年上の人の話を聞くのが好きだった。
母が、台所仕事しながら歌う、歌謡曲。
親戚のおじやおばたちが、お正月に集まって、酔っ払ってする懐かしい話。
一回り上の従兄弟が、私の弟にくれた、ウルトラマン大怪獣の塩ビのフィギュア。
劇団に入ってからは、昭和初期、あるいは戦時中の芝居をするために、稽古場に置いてあったその時代の家電や家具、衣装。
多分私は、同世代の友人や夫が知るよりも、少し多くの「昭和」を味わっていたんだろうな、と思う。
昔がいいとか、あの時の方が良かったとか、そんな話をするつもりはなくて、実際そう思ってる訳でもない。話題のドラマを見て、面白がって笑える程度には昭和のことを知っているし、今の時代にも適応している、いや、何とか合わせている、そんな世代だと思う。
母が、いろんな報道や時代の変化を目にするたびに、「自分はいい時に子育てさせてもらった、もう今は全然ついていけない」と言う。本音なんだろうなと思う。
でも、じゃあ私は、その時代に子育てできただろうか?想像できない。
人は生まれる時代を選べない。
どんな時代でも、その都度大人は、まず自分自身がこの時代を生きていく中で迷ったり試行錯誤しながら、さらに子どもたちが、生きて、そして学ぶための環境を整えてあげないといけない。と思う。
その中で、「しょーわって、こんな時代だったんだよ」「へーせいって、こんなことがあったんだよ」って、令和を生きていく小学生に、自分のことばでちょっぴりでも伝えられたら、彼らが大きくなってまた新たな時代に突入した時、そう言えば‥って思い出してくれるんじゃないのかなぁ、とふんわりと考えている、祝日の朝。
あ、タイトルのなぞなぞの答えを書いてませんでした。ここまで読んでくれた方はもうお分かりかと思いますが、問題を忘れた方のためにもう一度載せますね。
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