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アウラはどこにある?

◆ご挨拶

こんにちわ、だいなしキツネです。
今日から、だいなしキツネの日常を紹介していくよ!
なぜこんなことを思いついたかというと、YouTubeの「だいなしキツネ」の更新頻度は多くて週1回程度になりそうなので、ぼんやりする期間が長くなるなぁと予感したからだよ。気が向いたときにだいなしキツネの生態を観察してくれると嬉しいよ!

といってもだいなしキツネの本業は守秘義務がきつめで全然エピソードトークにならないから、概ね読書録になると思うんだ。本好きホイホイだね?(?)

◆三月の読書

早速三月後半の読書録を眺めてみよう。

ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』
W.ベンヤミン『ベンヤミン・メディア・芸術論集』
ベンヤミン著作集『文学の危機』
竹峰義和『〈救済〉のメーディウム』
ミリアム・ブラトゥ・ハンセン『映画と経験』
遠藤薫『廃墟で歌う天使』
多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』
三島憲一『ベンヤミン 破壊・収集・記憶』
柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン』

……見事にベンヤミンまみれだね。
実はもともとベンヤミンの『暴力批判論』や『ドイツ悲劇の根源』を読んだときには「なんか食い足りないなぁ。もっと踏み込んで議論すればいいのに…」等と思っていたのだけど、ハーバーマスの原稿を書くにあたって細見和之『フランクフルト学派』を読んでいたところで「ベンヤミンは自分の手法を「静止状態にある弁証法」と呼んでいる」という指摘を見つけて、ちょっと興味が再燃したんだ。弁証法というのは、対象や命題の矛盾対立を媒介として、これを綜合・止揚することによって新しい見解に至ろうとするものだね。ベンヤミンはこのうちの「止揚」の作用を放棄して、矛盾対立を陳列するところまでで止めるというんだ。なぜそんな中途半端なことをするのか?  ベンヤミンの盟友であったアドルノは、ベンヤミンのこの傾向を「シュールレアリスムの悪しき影響だ」と非難していた。キツネも批判的な立場だったのだけど、この機会に一度ベンヤミンの側に立って検討し直してみようと思った次第だよ。意図してやってるなら、意味もあるかなと思ったんだ。

◆複製技術時代の芸術

キツネがキツネ系YouTuberになったということもあって、分析の対象としたのは「複製技術時代の芸術」だ。これは映画というものが世に出回り始めたまさにその時代に、映画が人に与える文化的、政治的影響の可能性を論じたものだね。あまりにも先駆的な業績なので、ポストモダン思想の先駆けなどと呼ばれているよ。
ベンヤミンはアクチュアリティを重視する思想家だから、その流儀に則って捉えるのであれば、今となってはこれは「映画の」というより「映像技術の」可能性を探究したものと考えるべきだろう。芸術作品から唯一性・一回性というアウラが剥奪され、儀式的・礼拝的に作品を受容する時代から、ゆったりと、気晴らし的に鑑賞する時代になった。それは技術的に人の世界が編集可能であることを体感させるとともに、政治的権威を相対化する機縁ともなる。
「複製技術によって芸術からアウラが失われた」という一般的な理解について、実はキツネは全然納得していないので、この議論も前提が要検討と思えるのだけど、目指すべき方向性は理解できる。ファシズムの道具とならない芸術、民衆の遊戯空間としての芸術を高く評価したいんだね。議論の過程で、映像の触覚性を論じているのも興味深い。伊藤亜紗『手の倫理』について原稿を書く際にも参照してみようかな。

◆〈救済〉のメーディウム

副読本の中では、竹峰義和『〈救済〉のメーディウム』が白眉だったよ。「フランクフルト学派の「アクチュアリティ」を明らかにすることが本書の最終的な目標であるが、それは彼らのテクストやそこでの主張のうちに、現代社会における諸問題を考察する上で直接的に有益な示唆や指針が含まれていることを明らかにするというものではない。むしろ、……われわれの議論もまた、ひとまず過去へと遡行し、それぞれの思想家が執筆したテクストを内在的に精読することからはじめていきたい。」
そして、フランクフルト学派における救済の概念が、過去というカテゴリーのもとで棄て去られたさまざまなものが孕みもつ潜勢力を、〈いま、ここ〉において、未来に向けて再生させることだと示してくれる。
専門の研究者が丁寧にこうした作業をしてくれるおかげで、キツネのようなけもの(なまけもの)が勝手気ままに文学哲学と戯れられるんだよね。

◆アウラはどこにある?

キツネ自身はボルヘスの徒でもあるから、当時の作家が作家自身で読み得なかった読みをする、そこにこそ芸術があり娯楽があり、一回性のアウラがその都度立ち現れるものだろうと考えているよ。それを支えてくれる学者さんたちに多大なる感謝を捧げて、このお喋りをしめくくるとしよう。

それでは今日のところはご機嫌よう。
また会いにきてね!

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