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とげとげ

「まるちゃんは、お友達と仲良くできません」

保育園の時に、先生がお便りに書いた言葉。
たまに振り返ってみたときに、そりゃそうかもね。と納得する。

園から脱走(本人的には、外が楽しそうだから)、園の屋根に登る、木に登る、大きな桜の木から枝を伝って登り棒に移動して、藤棚に登り真下の砂場へ垂直落下。無傷。ただのサル。

なんせ、体を動かすことが好きだったから、他の子供が何を考えてるかなんて想像もしてなかったんだと想う。みんなで工作、と言われても、「一人で作るけど、別に”どんな船がつくりたい”」とかもなく、なんだか訳の分からない作品が出来あがっていた。「なんだこれ?」と幼心にも感じていた。本は、家に沢山あったから小さい頃から読んでたし、お母さんが読み聞かせも沢山してくれた。機関車ちゅうちゅうが大好きで、本物のSLを見てサルのようにはしゃいだ様な記憶がある。

当時、両親は共働きで、母は2人の子供を育てながら看護学校に再入学し自分のやりたいこともやっていて、父は、まあ、ものすごく唯我独尊なので、正直記憶は薄い。ハッキリ記憶しているのは、悪さをして玄関まで逃げ切れる手前で捕まった。こと。なんの悪さかは全く覚えていないが、恐怖・終わった!ということなら覚えている。

これは、あくまでも私側の記憶なんで、事実はまた違うのかもしれないけど。私にとって、父は畏怖すべき存在で、恐怖の大王だった。

件の先生が書いた、「仲良くできない」っていうのは、同じことができない。ってことだったのかな。。と。しかし、「お友達」と同じことができない反面「私と同じように運動が好きな子」もいなかったわけで。もし仮に、レベル感は違っても同じように体を動かすおサルさんがもう一人いれば、そういう遊びになってた可能性もあるわけで。

忙しく活動する両親で、今と違ってイロイロ習い事の種類もないし、家はどちらかというと裕福ではなかったので、自分にあった成長や子供にあった子育てなんかしてる余裕もなかった。なんてったって、両親自体が成長過程にいたのだから、しかたない。姉も生まれつき体が強くなく、母はとっても心を痛めていたかもしれないし。今なら想像できるけれど、あんぽんたんの私には「お姉ちゃんより体が強いんだから十分幸せ」と言われる以外には、自分を認知する情報がなかった。

「お友達となかよくできない」という評価。「体が元気なだけマシ」という言葉。しかも、その体の強さの比較対象が「体が弱かったり、障害をもって生まれた方々」だったから、正直、ぐうの音もでない。

そりゃそうだ。ありがたい。幸せのレベル感が段違い。

でもさ、それじゃ、あんまりじゃん?私、なんなん?って。個性強めで生まれちゃったし、ダメっぽくない?って。案の定、引っ越しを機に別の学区の小学校に入学したら、入学式初日から、めんどくさい男子に目を付けられてイジメスタートしてるし。手をつないでくれない、机を合わせることをしない、とかからスタート。

なんだろうね?あれ。小学校中学年からは、別の男子に、髪の毛掴まれて教室中引き回されて。女子のリーダーみたいな子も、容姿やなんかで、しょっちゅう絡んでくる。自分なりに抗ったり、道化てみたり沢山しけどなんだかなあ。時がたち、当該のいじめっ子達ほど、家庭内で問題を抱えていたことがわかった。理解はした。けれど、私はイジメる側にはならなかったし、闘った。自分はちょっと壊れちゃったけど。

そんな6年間。

ある面から見れば、サッカーチームに入ってみたりピアノやったり、絵を描いたりイロイロ充実してた気もするけど。どうもやっぱり馴染まない。サッカーなんか、みんなと一緒にやりたかったのに、なぜかゴールキーパーになり、別メニューで真冬に男子の先輩のボールバシバシ蹴られて。「おい。なんでやねん」と感じていて。嫌だから逃げたのに、コーチは自宅まで迎えにくる。読売杯だと?やだよ、興味ないよー勝手に決めないでよーって。仲良くみんなでやりたいと思ってたのに、全然そうならない。一人別ポジ。

たぶんね、本人の意思と周りの評価が全然違ったのよね。でも、「仲良くできない」っていう現実で、もがいてたのよ。私なりに。一人じゃ、世の中生きていけないでしょう?怒られてばっかりじゃ嫌じゃない?だからどんどん必要以上に他人に合わせる癖付けすぎちゃった。

母からしたら、育てにくい面倒な子だったと想う。ごめんよ。父自体も個性かなり強い人間だから、母も苦労しながら精一杯自分のできる範囲で頑張ってただけなんだよね。体の弱い姉が無自覚にストレスをため、「ご飯だよ」と声を掛けたら何故かビンタされることもあったりさ。冷静に理由を聞いても「わからん」とか返事がくるし。もちろん母はそんなこと知らなかったらしく。そりゃそうだね。言ったのは最近だ。

これだけ書くと、暗い生活のようだけど。そうでもない。山や海にも行き、料理も小学生からやってきたので、イロイロ行動はしている。

ただ、残念なことに「心」「言葉」を置き忘れてきた。私はこう思う。私はこうしたい。本当は。。。っていう、気持ちに鈍感。

自分の中で「認められないとダメなんだ」という気持ちと「でも、それじゃ嫌だ」って気持ちがケンカしてるから、しんどくてしかたなかった。

なんでこんなに面倒な人生になっちゃったんだろう?って思うけど、それでもまあ、同じように生きづらい人のことを遠くから見れるようになってきたし、自分事と他人事の線引きが少しできるようになってきた。

30年来の親友が、「他人なんてそんなに考えてないし、もっと自分勝手だよ。表面的。」と。そうか、なるほど。そういうもんか。と。いろんな意見に感心しながら、よさそうなことはマネをする。


話はそれるが、幼いころから言われてきた教育を披露。

「人の目を見て話しなさい」「話を聴くときは、(興味関心がありますよ。聞いてますよ。)という心をもって向き合いなさい」「最後まで聞きなさい」「話を遮らない」「話す順番がある」「汚い言葉を使わない」

これ。
小学生に求めるっってキツくない?笑
父が当時、家族に求めた自分への対応なんですよね。笑

現在、ご本人は全く覚えておりません。
言葉って、本当に大切なんだけど、意外と適当なんだな。




「お友達と仲良くできない」


うっさいわい。笑
















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