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ポルノグラフィティが目指す未来 〜続・ポルノグラフィティというツアーのセトリを振り返る記録〜 後編

「セトリがヤバイ」

これは、ポルノグラフィティが17回目の全国ツアーに挑んだ結果、そのセットリストに次々ところされていったファン(私)の記録である――前編はこちら

ミステーロ、サウダージときてアレンジも相まってポルノはファンを美しい異国へと誘ってくれた。彼らが手を取りこの次に誘ってくれる世界はどこだろう。高鳴る胸と少しの緊張で、暗転したステージからまた音が聴こえるのを私は静かに待っていた。

そう、油断していたのである。


10. 鉄槌

ダンッ!ダンッ…キィンッ、ダンッ…

はっ……?

ダダンッ!キィン…ダンッ…キィンッ、ダンッ!

うぇへっwwwちょっとまってwwwwwww

ダダンッ!ダンッ!!キィンッ……ダンッ

は????????


客席を照らす青と赤のいくつものサーチライト。赤のみが左右から中央へ動き、バイオハザードの某シーンだろうか???ミラ・ジョヴォヴィッチは犠牲にならずに済んだあのレーザートラップで、ファンはサイコロステーキにされるというのか。

この金属音と打撃音に、ファンは細胞から震え上がるしかないのだ。配信当日、私は座っていながら腰を抜かした。もう逃げられない。

聴けるとは思わない。そんな時が来たとしたらそれはもう、何かの間違いだ。その間違いが起こってしまった。


「裁判が僕の知らない深い夜のうちに〜明日を奪う」、この1番Aメロからもう絞首台への階段を一歩ずつ昇らされている。「明日を奪う」、このフレーズと「奪う」の音の残し方に背筋が凍りかけた。本当に凍ったのは、そこで映る昭仁の表情だ。


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目が怖すぎるだろ。

全てを諦め死刑執行を受ける罪人の顔をしているわけではない。彼が審判を下す顔をしているではないか。

寄りのショットはANGRY BIRDより多く、スモークは多めに焚かれ、ホラーテイストな照明が昭仁と晴一を映す。怖い。ライヴ会場でありながらお化け屋敷にいる。いわれのない罪で生き埋めにされ、その地の底から「開けてくれ!」と拳で叩くような、這うようなサビ。天井から、スポットライトが舐めるように昭仁を照らしてはまた影を作る。容易に見せてくれない顔と、ライトが当たりまた遠ざかりを繰り返す度、冤罪と免罪と交互に翻す陪審員の嘲笑が聴こえる。

そのまま通常の間奏に入ると思いきや、CD音源より明らかに増えた不穏な軋み。皆川真人のキーボードが場違いに美しい音色を奏で、tasukuのギターに山口寛雄のベースがそれを彩る。

暗闇に映える赤のライトは唐突に消え、一条の光が差し込んだ。浮かび上がるのは新藤晴一のシルエット。彼が弾き始め、徐々に動き出していく照明、音、そして強く加わる玉田豊夢のドラム。赦されたかのように感じた静けさは仮初めだったと気付く。さらにシーンが進むと、一歩一歩近づく足音のようにライトが晴一に寄って行き、次第に全てのサーチライトが晴一を囲むようにトルネードしていく。腰を深く落とし上半身を大きく揺らしながら、サポートミュージシャンたちと新藤晴一は音を激しく重ねていき、クライマックスに達し晴一のギターが高く軋んだかと思うと、マイクを通して岡野昭仁が吼えた。


声を打ち消す鉄槌の音が ああ…
あいついつまで僕を押しとどめ 罰を負わせるんだろう
それは夜ごとに僕にくだされて
身に覚えのない罪が暴かれる裁判


ここまで聴いて、私はよだれが出た。

晴一のソロに眼球運動を固定され、意識も一点に絞られた結果、その間奏中に岡野昭仁がステージにはいない事実に気付かないというバグが起こる。そうして昭仁の歌声に、顔を片手で掴まれ否応にも向かされるのだ。

CDでは約30秒の間奏を、さらに音を加えて延ばして恐らく2分は続くであろうこの間奏部分は、鉄槌の世界をさらに魅力的にしてくれ、私をゾクゾクさせてくれた。もうここでいい。ここでいいから、この曲に最優秀賞をあげたい。もういいから、もうこれ以上進まなくていいから。神だか何だかわからないものに私は必死に祈っていた。この鉄槌からきっと、時間の体感がおかしくなっていったのだと思う。

ライヴにおけるポルノチームの照明班やステージ演出の手腕を私は初めてライヴを観た時から称賛を送っているのだが、今回ばかりは誉める余裕を与えてくれない。アウトロで再びライトがレーザーに変わり、イントロと同じ打撃音と金属音が鳴り響く。足を止めたくても昇り続ける死への階段、酸素の薄れていく土中で血の滲むほど叩き続けた拳はだんだんと弱まっていくだろう。最後の1音で赤と青の色が入れ替わり、品定めのように照らされていた客席全てが青のライトに貫かれた。

身に覚えのない罪が暴かれた瞬間に立ち会った私も、画面越しに断罪されてしまった。こんな鉄槌を打たれてきて、過去公演に参加した現地組はよく会場から出てこられたものだと思う。私が現地組だったら座席シートに張り付いて動けなくなってる。なんで立ち上がって帰れる?

ライヴでの鉄槌は、2011年に開催されたワンマンライヴ「幕張ロマンスポルノ」以来だったはずで、実に10年は経っている。その鉄槌も「あれはヤバかった」という言葉を書き残して以来この日記を書いた者の姿を見た者はいなかった……というくらいのヤバさだったらしいというのは、当時のライヴレポ等をググって見た事がある。その時も間奏が長くアレンジされていたそうだが、ポルノは暗い曲ほどライヴで長く暗闇に引きずり込ませようとする。やめてほしい、そういうの。好きなんだから私は。

ダークなポルノグラフィティを堪能するには十分な1曲となっている鉄槌は、2007年リリースの7thアルバム「PORNOGRAFFITTI」に収録されている。個人的な事を言うと、このアルバムのジャケ写はとても記憶に残っており、彼らのビジュアルイメージも大体このあたりで止まっているのだが、だからといって「気のいい広島のにいちゃん」でいさせてくれないのがポルノだ。

鉄槌は、このアルバムの中で異質な存在だ。当時の癖のある歌声の岡野昭仁の中では、恐らく最も強く絶望を感じる声をしている。もちろん音源も十分に怖い。だがライヴの音はこんなもんじゃない。こんな曲があるのに、どうもこのアルバムの全体の印象は薄い。もしかしたら2007年頃のポルノグラフィティは、少し伸び悩んでいたのかもしれない。

それにしても鉄槌の間奏ソロを弾く晴一、好きすぎて狂うかと思った。


11. Fade away

鉄槌のイントロが打撃音と金属音から成る判決を待つ合図なのだとしたら、Fade awayのそれは………それは…何なんだ………。


サビ前のBメロ、順々に点灯し映していく照明が、深海を泳ぐ生命のようだった。とても綺麗で美しいものなのに、こんなにも胸をかきむしるほどの哀しみが襲う。

Fade awayはアルバムで聴いて以来、私の大好きな曲だ。収録されている「BUTTERFLY EFFECT」は、「ポルノって最近どんな曲出してるの?」と聴いてきた人に無言で送り付けたいアルバムの1枚なのだが、岡野昭仁の一段も二段も底上げした表現力と新藤晴一の今まで以上に美しく技巧の利いた詞、これまでにないポルノグラフィティを見せてくれる曲が勢ぞろいした、五大栄養素全揃いのハイカロリーな1枚になっている。ほら見ろ、好きすぎて早口になる。

その中のこのFade awayという曲、なんとびっくり詞曲は岡野昭仁である。

アウトロの救いようのない軋み方や、Bメロの段階的な音の上がりは音程が複雑すぎて、素人には歌えっこない。私がはじめてライヴver.のFade awayを聴いたのはこのアルバムタイトルを冠したツアーのライヴ映像でだったのだが、その時が最高だと思っていた。それはそうだ、その時でしかこの曲は歌っていないのだから。だが、それから4年後、私の中のFade awayの最高を軽々と超えられてしまった。

前編の記事「今宵、月が見えずとも」の中で「昭仁の低音が非常に武器になっている」という事に触れたが、ここでも遺憾なく発揮されていた。Aメロの詞「それが今レクイエム」は音源でも暗い低音であるのに、このライヴでは、文字通り鎮魂されているような心地になるほどの低音だったのだが、しかし同時に「あなたはそれでいいの?」と問われているようにも感じた。慈愛と絶望を絶妙に織り交ぜた問いかけに、私は頷く事ができない。


昭仁が書いたこの曲はなぜか妙な説得力がある。これは全く個人の感想だが、どこか神話めいた印象を受ける詞であるのに、もしも昭仁が、自分のその時の心情や環境とリンクさせて書いていたとしたら?

「足元からぐらつく痛み」「悪夢を見なくていいのならわたしも一緒がいい」「何が正しい?」「咽び泣いてるのに誰にも気づいて貰えない」……ただ、このあたりの詞を見ると、昭仁が自分の心情とリンクさせて書いたイメージがあまり湧かなくなる。それにしては、彼の手掛ける暗い曲(「音のない森」「小説のように」「Swing」「クリスマスのHide and Seek」など)を聴くと「昭仁の暗さはバラエティーに富んでるな」と思い、明るい曲(「グッドニュース」「前夜」「君は100%」「スパイス」等)に対しては昭仁自身の物事の捉え方を感じもする。かと思えば激ヤバ曲(「Mr.ジェロニモ」「ホール」「見つめている」等)を世に生み出してきてもいる………この掴めなさ。永遠に彼の気持ちはわからないまま、私は一生を終えるのだと思う。いっそそうであるべきだ。

これが晴一の場合、「ノンフィクション(自分の心情)も入れてます」と明言した曲からはそれを感じられるというのに、基本的にはフィクションで歌詞を書いてるために内面が覆われてる印象を非常に受けるのだ。つまり実態を綺麗に隠してくれている。晴一の詞を徹底的に美しいひとつの物語として、究極の第三者的視線で曲のストーリーを純粋に楽しめるのだが、昭仁がこういう詞を書くと、彼の持つ闇と私たちの心の奥に持つ闇が共鳴するような事が時たま起こってしまう。これは本当に昭仁にしか出せない色で、このある種の生々しさがファンを掴んで離さない。

作詞において名手とは、聴き手に対して「そんな経験はしてきていないのに過去に確かにあったはずだと同一化してしまう」ような詞を書くのだと思うが、ポルノにおいて昭仁と晴一はそれぞれ際立ってそこが上手い。「夜間飛行」など聴いた日には、涙ながらに夜の月を探したくなるぞ。


そして特筆すべきは新藤晴一のコーラスがこの曲に入った事。予想外にも程があって顎が攣った。入らないんだよこの曲は。当時のツアーでも入らなかったしアルバムにも入ってないんだよオンリー昭仁なんだよ。その代わりギターで咽び泣いている、それがFade awayの晴一だったはずなんだ。ここで晴一のコーラスが加わる事で、先述した感情を二重に見せる。この曲の真の暗さ、その暗さゆえが持つ力で訴えかけてきたのだ。

塞ぎたくなる耳、もがき苦しみながら正しい光を探そうと凝らす目。鬱屈し、怒りを抱え救いを求めて、それでもこんな自分が嫌いで沈むほうを選んでしまう。だが本当は抗いたい、自分を見失いたくない。誰かの手によって本当の自分が消え去るのなら、いっそ「欺瞞と虚言」にまみれまがい物のまま消費されればいい。けれど、この体と心を引きちぎるような痛みは私を忘れさせてはくれない。絶望と疑念と後悔と怒りと悲しみの歌――それがFade awayである。


私はこういう真っ暗な曲が、苦しいけれど好きでたまらない。しかも、怒りや苦しみの濃度が異なる鉄槌からFade awayと続くこの繋がりには腰を抜かしたまま浅い呼吸を繰り返していた。字面だけで見ると119番しなければならないような事態だが、精神世界の話だ。その同じ精神世界の中で、私は土を掘り自分の墓を建てようとしていた。この日この瞬間が私の命日だ。

もういい、もうここでいいからこれ以上はやめてくれ――。



12. 元素L

闇が終わり嵐が止んだようにステージに陽が差し、照らした。ギターを手にした岡野昭仁が、客席を見渡して語り掛ける。

「みなさん大丈夫ですか?」

大丈夫だと思ったならあなたは今日からドMを自称するのをやめるべきだ。

配信組の私でさえ息も絶え絶え。これがツアー初日でなくてよかったと心底思うのだが、私のようにオーラスまで一切セトリのネタバレを踏まないよう修行僧のように耐えてきた人にとっては、この日が初日のようなものである。ノールックで急所を撃たれ「まさか…この曲が……」と言ったところでガクリと事切れる――洋画のワンシーンじゃないかよ。


「救いのない曲が続いたので、ここらでみなさんに、愛の歌でも届けようかなと思います」

そう、ここからはまたさらに世界が角度を変える。


愛用のギターを爪弾き、昭仁が奏でるメロディーのこの時点では何の曲を歌うのかはわからない。だが、「愛の歌」とそう昭仁が言ったのであれば、「これはなるほど、ファンの間で国歌と謳われる名曲・愛が呼ぶほうへだな?」と少なくとも私は検討をつけた。昭仁がマイクに近づき、ブレスをするまでの間だけは。

元素Lだと?????????まさか生で聴けると以下略。


元素Lは4thアルバム「WORLDILLIA」に収録されており、ファンの間でも根強い人気を誇るバラード曲だ。もちろん私も大好きだ。タイトルを「エレメントL」と読む。間違っても「げんそ」と読んではならない。そして「L」とは何を指し、「元素L」とは何を表しているのか。

歌い出し、昭仁からマイクまでの距離が遠すぎた。だというのに、声をしっかり拾っている事が最初のポイントなのだが、どれくらい遠いかというと。


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遠すぎ。しかし、サウダージでマイクを通さず頭サビを聴かせた後にされても全く驚かない。もはやこの距離の遠さでバラードを歌い始める事さえ、こちらが気を取られる事はない。どんな元素Lをこれから聴かせてくれるのか。

弾き語りから始まり、Bメロ「白い冬 交差点 君もまだ他人」(※画像参照)でバックミュージックが小さく入り始めた。まるで夜が明け、見えなかった景色が朝の始まりと共に少しずつ鮮やかに彩られていくようだ。この音の広がりが美しい。

そしてこの元素Lにおいての、照明の色と昭仁の顔の相性がとにかく良すぎる。そう、昭仁には青の照明が似合うのだ。寒色系でまとまった全体の照明は、しかし寒々しくない。元素Lの持つ静かで切ない色によく合っていると感じた。


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そしてこれも、晴一のコーラスが加わる(少なくとも私にとっては)サプライズアレンジ。それだけで元素Lをもっと好きになってしまったし、自分の書いた詞を歌う晴一に、不覚にもキュンときてしまった。晴一をはじめ、サポートミュージシャンらのコーラスも加わって、メインの昭仁含め全ての声が元素Lを作っていた。この続ポルだけの元素Lだ。

ファンは好きだろうサビの詞「好きな人に好きと言うだけで なぜこんなにも大変なのだろう」、一生かかっても解けない疑問に忘れられない色をつけてくれたのが、新藤晴一なのだ。


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そんな優しい顔と目で見つめて、はにかみながら歌わないでくれ……好きな人に好きというだけでこんなにも大変なんだから…………。


そんな元素L、冒頭で提示した「何が元素でLか?」という答えだが、歌詞にもあるように「伝える事の難しい愛の言葉は、自分の舌先から離れて初めて言葉になる。その言葉が君へと届き、心に強い力で反応したら、それはまるで化学反応のようだ」と私は考える。そう、「L」とは「LOVE」、「元素L」は「愛の化学反応」なのだ…ロマンチスト・ギタリストだなあ晴一よ……


13. Winding Road

ドラムスティックの音を合図に、ハーモニカの音色が響く。このメロディーは、そう、ポルノのもうひとつのバラード曲「Winding Road」。昭仁詞の中ではやはり上位にくるほどとても好きとしか言えない。


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この曲は2006年リリースのアルバム「m-CABI」に収録されているが、その前に表題曲でシングルとしても出ている。MVもカップリングも、15年経っても物議を醸し続ける、しかし美しい名曲である。作曲・岡野昭仁。ハーモニカ奏者・岡野昭仁。

2Daysライヴ「横浜ロマンスポルノ'06〜キャッチザハネウマ〜」でこの曲を歌った事は知ってはいるが、私はCD音源しか聴いてきていない。さらに言うと、彼らのステージ上のビジュアルイメージは(強烈に)この時で止まったままだったのだ。いわゆる「見知った顔」である。2020年に再会するまで空白期間は実に14年。そこから1年後、47歳になった昭仁が、ソロ活動を経て変化と進化を重ねた喉と表現力で、当時よりもっと好きな曲にしてくれ、さらに色を重ねてくれた。


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この1番Aメロ「最後に見せた強がり 本当は離したくない」やBメロ「君が恋しても 僕が恋しても」には、昭仁がとても感情を乗せて歌っているように聴こえた。声に色をつけたかのように、主人公の気持ちに重ねたかのように、恋を失って微笑む哀しい男の声をしていた。それが本当に好きだと感じた。

とても悲しいけれど綺麗な曲だ。「愛の歌」として元素Lを歌い、次に別れのこのWinding Roadを持ってこられたら、「さっきと言ってる事違うじゃん?」と思う人もいただろうが、私はこう思う。

Winding Roadの主人公は、「確かに感じた永遠」を拠り所にしているのだ。あんな事がなければ、あんな事を言わなければ、ボタンを掛け違えなければ――そして別れを選んだ(彼女に選ばせてしまった)事も、永く続いていくと信じていた二人の旅路に自分ひとりで歩く事になっても、雨に濡らして隠した「僕」の涙も、微笑みも全て「君」を愛した時間だけは確かな永遠だったのだと。その残ったぬくもりも紛れもない愛……なのだからこれは「愛の歌」です。

まあ…2曲でひとつのストーリーとされたらそれはそうだなと頷くしかできないんだが……。


10月4日のカフェイレにて、晴一はこの曲について「デビューして7年目くらいに作ったけど、曲としては地味なほうの曲」と発言していた。私の好きな曲を地味呼ばわりかおまえと憤慨しかけたものの、作り手としてはあまりハネた印象がなかった曲なのかもしれない。MVはあんな作り方したくせに……。

ちなみにこのWinding Road、当時のオリコンチャートで1位を獲得していたという事も、ここで語られている。偉業じゃん。称えろよ。


14. THE DAY

一気に空気が変わり、世界の色が変わった。

シングル化されているこのTHE DAYは、アニメのOP曲としてタイアップされている。スガシカオをして「怪獣みたいな声だね」と言わしめた、2016年当時の岡野昭仁の爆発力が耳から味わえる豪快な曲だ。アニメの影響もあり、海外でも人気が高い。

昭仁も晴一も、この曲では渾身の音を聴かせようとしてくれる。圧倒的覇者。新藤晴一節炸裂のライヴアゲ曲を、岡野昭仁の過去最高に強靭な喉が歌い上げる。

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とはいえこの時、昭仁の喉はやや荷重オーバーしていた。1サビを終え2サビを終える頃頃、「ちょっと喉がきつそうだ……」と思わず心配してしまったくらいには。それだから間奏中、いつもの給水を終えてラスサビを歌い始めようとする瞬間まで私は少し心配していた。喉、大丈夫だろうか……。


結果から言うとそれは全くの杞憂だった。給水タイムで喉を戻していくボーカルがいるか。中に入っているのは水で間違いないよな?喉に注射でも打ったのか????

ステージを縦横無尽に歌とギターで煽る二人。頭を振り、振り絞るように歌う昭仁と、歯を食いしばってギターを弾き全身でリズムを取る晴一。なお、照明も今まで以上の本気を出してきた。点滅が尋常でなく目に痛い。


リリース当時のインタビューにおいて、昭仁はこの曲について「壁があったり、足を引っ張るものもあるけど、それでも前に行くんだっていう前向きな気持ちを感じた」と語っていたのだが、当時の昭仁のこの言葉と、曲振りの昭仁の言葉が図らずもリンクする。


「この2年を振り返ってみると、このコロナというものがみなさんにも暗い影を落としたんじゃないかなと。まだどうなるかわからないけれど、でも、その暗闇ばかりに目を凝らしてはいけないと思う。その暗闇にはきっと出口があって、その先には新しい世界が待ってるんだと」

「今日、わしらと君らが出会ったという事が、その新しい世界へ行くいいきっかけになればいいなと思ってる。NEW ERAへの出発。

今日がその日だ、THE DAY!


THE DAYの主人公は曲の始めと終わりで2回、同じような仕草をしている。「非常階段で爪を噛む 明日はどっちだ?」と焦燥と不安に押し潰されそうになりながらも来るかどうかもわからないその日を待つ。噛み続けた爪は減り、未来は見えないし夜は明けない。そして曲終わり「非常階段で爪を研ぐ 明日はどっちだ?」と噛んでいた爪を研ぎ始める。降りられなかった階段を踏み出し地上に降りるために。

思いもしなかった脅威により、私たちの心はこれ以上できないところまですり減ってしまった。息も詰まり喘ぎながら、大切な人との別れに涙も流せないまま、それでも日々を生きていかなければならない。コロナでなくたって、全てを諦めて綺麗に終わらせたいと願う瞬間が人には何度訪れるだろうか。今以上に濃くなる闇夜に、光を一筋でも見出せる事ができるのだろうか。

過ぎ去ったものが、確かにあったと感じられた時のように、先の未来もこの目に映り手に触れられればいいのに。その不確かな空を照らすのが、この日のポルノグラフィティの音楽だった。未来がどうなるかわからないけれど、命ある限り人は生きて歩いていく。



15. REUNION

この曲は、私も配信組で参加した昨年12月の単発ライヴ「CYBERロマンスポルノ’20〜REUNION〜」において、当時の新曲として初披露された。私を含め同ライヴに参加したファン全ての度肝を抜かせた。この時昭仁は「リリースは決まっていませんが、みなさんに届けたかった」と話しており、この言葉からおよそ半年後、新譜の発売と「新始動」と称してポルノグラフィティの今回の全国ツアーの開催が発表されたのだが、その新譜の表題曲にならなかったのがこのREUNIONだ。しかも歌詞とメロディーを微妙に変えて再登場してきたという裏話が存在する。

昭仁と晴一共作の歌詞は非常に難解ながらも、メロディーはこれまでになかったポルノの音、その上岡野昭仁の歌声は収録音源といえどかなりの威力と層の厚みを増しており、いろいろと受け取る情報量が多すぎて多くのファンを混乱に陥れた。ファンの誰もが、「出るなら表題曲としてだろ」と疑ってもいなかったこのREUNION、しかしそのメッセージは1年前も、そして1年後の今も変わらず強く胸に響かせた。そう、この曲も続いてきているのだ。


天才だと思ったのは、1番2番共にAメロから始まるこのカメラアングルだ。


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続ポルにおいて、照明とカメラが作る光と影の演出はここまでの曲で本当にいい仕事をしてきてくれているのだが、REUNIONにおいてはいい仕事をしすぎである。これはもう、この世を作り給うた天地創造主を映しているのではないか。岡野昭仁という現人神であり、絶対神であり唯一神である。

ANGRY BIRDでもLove,too Death,tooでも鉄槌でも「もうこれ以上はないだろう」と思っていたステージ演出が、ここにきてピークを迎えたかのような技量を見せてきた。カメラと照明の位置、そしてボーカルの立ち位置のトライアングルが、REUNIONでは本当に緻密に計算されている。1㎜でもズレたらこの美しさは表せなかったかもしれない。わからないけれど。

アウトロでは本人が「ジョン・ボン・ジョヴィみたいになった」と照れ笑いしたフェイクという名の叫びがあるが、これはリリースの際に付け加えられたとんでもないサプライズである。


16. メリッサ

ドラムの音がするなり、またも秒でクラップを揃えてきたラバッパーたちであるが、私だってこのリズムならメリッサだとわかる。当日はそんな余裕がなかっただけだ。

いわずと知れた少年ガンガンの大作漫画のアニメ一期主題歌。疾走感あふれるメロディーと昭仁の闇を切り裂くような歌声は、いつ歌われてもリリース当時から色褪せない曲だ。アニメ主題歌という事もあり国内のみならず海外からのファンも多い。逆に言うと、あまりにもメジャーで色の強い曲でもあるため「ポルノといえばメリッサが至高」「この時代の3人がよかった」と言う人も少なくない。

そんなメリッサ、私は当時も確かに聴いていた。聴いてはいたが、カップリングの2曲のほうに心を奪われていて、A面のメリッサに対しては「主題歌ね」という印象しか受けずに来ていた。今宵〜のように「友達止まり」以前の問題だ。もはや「名前は知っている同じクラスの人」状態。ごめんよメリッサ。ただ、このライヴにおいてのメリッサの2番Bメロからサビまでの一連で、岡野昭仁のステージパフォーマンスがかっこよすぎてならなかった。メリッサもライヴで化ける曲なんだと知りたくなかったんだ。

メリッサといえば、もうひとつ語っておかなくてはならない事がある。それは、岡野昭仁の脅威のロングトーン。最初のロングトーンは、頭サビ「貫け」にあるのだが、昭仁は拳を作り己に力を注入させてこれを11秒も続けた。


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グングン伸びていく声はまるで漆黒の闇を裂く剣だ。さほど息継ぎをした形跡もなくAメロに入っていった事にはもはや変な笑いしか出なかった。「昭仁ならやるよね」とわかってはいたのに、見る度に驚いてしまう。

そして2回目のロングトーンはラスサビ「生み出すのさ」にあり、これはおよそ10秒続いた。ついに「昭仁ならやるよね」と私に言わせてくれなくなった。昭仁はもう一度肺活量を測り直したほうがいいんじゃないのか。


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間奏ソロは晴一のギターと、晴一そのものが痺れるほどかっこいい。ライヴも終盤になっても、そうやって何度も惚れ直させてくるから困るのだが、それだけでなくメリッサ限定のかっこよさを見せてくる。いい加減にしてほしい。


そしてこの曲になると昭仁と晴一の位置が入れ替わり、客席の隅々まで届けるようにステージを端から端まで煽り続ける。拳を突き上げるしか応えられないが、声が出せるならどんなに出したかったか!そうして映ったステージからのショットは、神がかり的な美しさと圧倒的な光を放った。決して物理の話をしているのではない。

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ポルノグラフィティとは希望の光の事だと、私はその眩しさに目を細めた。



17. ハネウマライダー

ライヴの盛り上がりは右肩上がりで、いよいよ来るだろうかと思っていた曲がついに来た。ハネウマライダー。間違いなく彼らに再会したおかげなのだが、この曲をライヴで聴く時、私は特別な感情で以て聴くようになってしまった。

「男前ギター」と称する、ライヴ限定のイントロからハネウマライダーは始まる。ここで突如、演奏を止め晴一は「みなさんの心の中にもし万が一エネルギーの欠片みたいなんが残ってるとしたら、今ここで、使い切ってみてはいかがでしょうか」「タオルを持って回し、そのエネルギーを使い切る事によって、我々が目指すSDGsな未来が訪れるのではないでしょうか」と時折はにかみながら話してくれた。SDGsは正直私はよく知らないのでウケなかったが、晴一もまた、このライヴ定番曲に想いを乗せて今から弾くのだ。

イントロが再開するまでの間、相方の演説とギタープレイを目にして、袖の暗闇から「かっこいいー!はじめて見た…!」と笑顔を見せる岡野昭仁がいたのだが、まさにプライスレスなやり取りだった。ファンはこういう二人も見たくてライヴに来ている。

客席が一斉にタオルを掲げた姿は圧巻だった。今回のツアータオルの他に、ちらほらと見えるのは過去のツアータオル。その枚数と種類に、ファンにも確かに存在し続けたポルノとの歴史と絆を感じて、胸を熱くさせた。


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ハネウマは、昭仁からも晴一からも「絶対に、絶対にあんたが何を言うても降ろしてやる気は更々ないからな!」と言われている気持ちになる。私にとってハネウマはとっくに、某大手製薬会社の清涼飲料水のCMソングではない。今や私とポルノを繋ぐ、大切な曲なのだ。汚すなよ。


ライヴのハネウマの特筆すべきところは、晴一がどれだけライヴで歌うハネウマを特別に思っているかという点にあるだろう。彼が客席に向かって、あるいは見渡して歌詞を口ずさむシーンでどれだけステージとファンを大切に思ってるかがわかるような気がするのだ。ライヴのハネウマに関しては、私はいつも晴一の姿を探してしまう。

僕たちは自分の時間を動かす歯車を持っていて
それは一人でいるなら勝手な速度で廻る。
他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、歯車が
噛み合って時間を刻む

大サビのこの歌詞はライヴで最も盛り上がるシーンだが、ここでフゥウ〜!だとかイェーーイ!だとか歓声を上げて応えられないのがまことにつらかった。きっとポルノもそうだったはずだ。


そして、ここまで進んだセトリを振り返ってみると、ハネウマのこの歌詞にも彼らが今回伝えたいメッセージが含まれている。例えばFree and Freedomのように、例えば元素Lのように、REUNIONのようにTHE DAYのように。望まない孤独を強いられ、私たちはミシン目のような場所に立たされ続けた。一人きりでは生きていけないのに、この息苦しさに自由を求めてしまう。しかし足元は揺らぎ、見上げれば暗闇が未だ覆う。どうしようもなく惹かれる時があっても、その闇と孤独に焦がれ続けてはいけない。探そうとしても見当たらないものは、もう一度作っていけばいい。そのためには、一人より二人で、二人より大勢でいる事から始められないだろうか。



18. テーマソング

ドラムがリズムを刻み、キーボードがメロディーを奏で始めると、昭仁は客席に向けて語り掛けた。


「最高の時間をありがとう、あんたらはほんまにすごいわ!」
「ここからは渾身のクラップを、生涯で一番のクラップをください!掌が痛くなって、しびれるくらいのそんなクラップをちょうだい」
「そして次にわしらに会う日まで、その手のしびれを覚えておいて」
「そしてここでまたみんなと会った時にこの次の曲を一緒に歌おうよ。一緒に今度こそ声を出して、ひとつになれるように歌おう!それまでの約束」
「生涯最高のクラップをよろしく!」


イントロが始まり、クラップは大きく、そして強くなっていく。私はというと、胸が詰まってクラップすらままならなかった。曲振りで号泣すると誰が予想できたんだ……………。

テーマソング。この曲は、9月にリリースしたばかりの彼らの新曲だ。REUNIONの項で「REUNIONは新譜の表題曲にならなかった」としたが、その表題曲がこの「テーマソング」だ。ライヴの1曲目を飾った「IT'S A NEW ERA」も同シングルのカップリング曲になっている。

テーマソングを初めて聴いた時の感想はすでに書いたが、作詞した晴一は、この曲についてはリリース時のインタビューから一貫したテーマを貫いている。そして、オーラスを終え27日の放送で改めて晴一が語ってくれた以下の事が、今また胸に染みてくる。

晴一「何を以てポップソングと言うか、その時代に沿ってるかどうかってことだと思うのよ。その時代を表した歌詞や曲調になってたりする。だから2021年のポップソングたる曲にしようとすると、やっぱりこういう…明日はいい日なんじゃない?って今の時代必要じゃないかなって僕が思ったので」


ポルノグラフィティの新曲「テーマソング」は、不安を吹き飛ばすというよりは、「希望はあると信じていたほうがいい」という押し付けがましくない、けれど確かに力強い「応援歌」だ。今この時代にこそ「書くべき」と晴一が意を決して届けたものなのなら、それの正否のひとつはまさにこのオーラスで出たように思う。ありがとう、この曲を作ってくれて。


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「諦め 苛立ち 限界 現実 飲み込み過ぎて喉が渇く」で頷き、「そしてフレー! 私みたいな人」の「フレー!」に合わせて晴一が大きく口を開けて声援を送ってくれた事を、その表情を、私はきっとずっと忘れないだろう。



19. ジレンマ

やっぱりシメはジレンマだよね!とポルノのライヴに一度も行った事のない私が納得してしまう曲が、ライヴのシメを飾るこの曲だ。ラストにふさわしい華とこの盛り上がりの中に、一抹の寂しさ。楽しいけど、終わってほしくない。けれどその想いがあるから、「次」があると思える。やはりポルノのライヴはジレンマでアホになって終わるべきなのだ。

間奏でサポートミュージシャンがフレーズを弾いたりと紹介されていく中、満を持して昭仁の呼び声と共に暗闇から悠々と歩いてくる影が見えたかと思うと、照明が再びついて明るくなったステージ中央には、新藤晴一がいる。


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この流れはジレンマでお決まりとなっているのだが、ジレンマのみならずオーラス全編において、高らかに艶やかにギターを鳴らすこの新藤晴一という男に、私はこの日何度痺れてしまっただろうか。こんなの予定外だ。でもきっと必然だった。私はなんだかんだ言っても、ギターを持ったこの男が好きなんだと気付かされるのだ。

そして昭仁が恒例の言葉を叫ぶ。


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「あんたらは最高じゃ!あんたらは最高なんじゃ!
だからこそ、だからこそ!胸張っていけ!!
だからこそ!自信持っていけ!!」


彼らはいつも、ファンに勇気をくれる。かけてもらった言葉を胸に、ファンはどんなに辛い道でも歩いてきた。



おわりに

新曲を発表するMCで、昭仁が話した言葉が強く印象に残っている。

ポルノグラフィティと自身のソロ活動をそれぞれ「母屋」と「離れ」と呼び、恐らく最も独特でわかりやすく最も愛情のある例え方で始まった昭仁の言葉は、不安を感じつつもライヴの灯を消すまいと会場に足を運んできてくれたファンと配信で参加してくれたファンへの感謝だった。そして、ポルノという母屋が素晴らしいと改めて感じられたのは、離れの活動があったからであり、さらに「母屋が頑丈な骨組みや柱でできているのは私たちファンのおかげ」だと続けた。これが涙なしに聴けるだろうか?

昭仁は続けて「ポルノが続いていくためには、ファン一人ひとりがその母屋の様子見に、つまりポルノのライヴに来てほしい」という事を改めて語り掛けた。例えが独特だと思ったのは最初だけで、今や昭仁のその例えに誇らしさを感じもする。

おれたちはその母屋を建てた昭仁と晴一の笑顔を全力で守っていくとここに誓おう。


1曲目のIT'S A NEW ERAから「ポルノが好きだ…」と確かに強く思っていたのに、後半に近づくにつれてさらに想いを強くしていく現象に名前は付けられないのだろうか。好きでしょうがなくなっていくのも、ライヴ効果だからそう思うのだろうか?知っている言葉はほんのちょっとで、感じられる言葉はそれより多いから、無理やり窮屈な服を着せているみたいだ。晴一のコーラスが多くあった事も、クラップで一体感を覚えられる曲が多かった事も、あのロゴでアポロがセトリに入っていなかった事にも全て意味があったのだ。このツアーが完走できたのは、ミュージシャンやスタッフ、音楽に携わる全ての人々、そしてファンひとりひとり、その全員の熱意と愛情の方向が乱れなかったからだろう。私たちはみんな、「続・ポルノグラフィティ」の完走を願い、祈り続けてオーラスを迎えたはずだ。

「もう二度と、少なくともあと何年かはやらない曲」を含め、「あたまがおかしいのはおれかポルノか」と自問したくなるようなセトリだったが、彼らは止まる気などさらさらない。留まる事など許してはくれはくれない。「何をもってして“続”であるのか」として彼らがその意志を示してくれたひとつに、ついこの間新譜を出したばかりのバンドが、2曲も新曲を作ってきたその想いには平伏すしかなかった。もはや何を返せばいいのだろう。

始まれば終わる。それは森羅万象全てに通ずる。彼らも年を取っていく。私たちも年を重ねる。順風満帆のように見えたデビューから、20年以上に渡る活動の中、彼らもバンド活動を終わらせようかと葛藤した時もあった。しかし、ポルノはここまで続いてきた。そしてこれからも、いくつも続けてきたライヴやツアーのうちのひとつが終わったのではなく、その先の未来を、これからもポルノグラフィティが続けていくための特別なツアーとして、彼らは「続・ポルノグラフィティ」を掲げてくれたのだと思う。


そして改めて、全編歌詞表示のある配信ライヴの新鮮さを感じる。だからこそ晴一の書いた詞がダイレクトに響いてくるし、「一緒に歌う」ことが叶う。I'TS A NEW ERAに始まりジレンマで終わったツアーだったが、声を出せずとも熱と一体感を感じられる工夫が随所にちりばめられていた。

デビュー23年目を迎え「新始動」と銘打ち動き出したポルノは、「続・ポルノグラフィティ」と冠した17回目の全国ツアーをスタートさせ、そして大成功を収め全28公演を完走した。そのオーラス生配信を観て、ツアータイトルにふさわしく、ポルノグラフィティは、そして彼らの音楽はこれからも続いていくんだという事を私は強く実感した。

彼らの未来には、何が待っているだろうか。

夢を描くペンでもあるギターを相変わらず離さずにい続ける晴一と、憑りつかれたように真っ白な恋をし続けているボーカルが、夢か現か確かめるまで終わらない旅路をこの先も続けてくれるのなら。こんな時代でも、彼らの未来はきっと明るい。ないと思うよりはそう信じられるものが今の彼らにはあるはずだ。

REUNIONで歌ったアゲハ蝶の曲振りで「我々は拍手にも魂を込められる」と言った晴一の言葉を思い出す。そう、拍手にも魂は込められる。声は出せなくても、拳を突き上げれば熱は届く。けれど、やっぱり声を上げて名前を呼んで、直接届けたいと思うライヴだった。それは1年前より強く。コロナが明けた時、少しでも今までと違う世界が見えた時、私たちがまたポルノに会えた時。そして私が、もしも次に彼らに会えた時。それが全部叶っていてほしい。

メタルブルーのbig machineの、その後ろにただしがみつくことしかできないが、飛ばせと煽り続けてもいいだろうか?給油はファンに任せてほしい。


だから、途中で降ろすなよ!降りるつもりも今のところないけどな!




ここからは個人的な話になるのだが、noteの最終更新がちょうど3ヶ月前で止まっていたのは、個人的かつ今後の彼らへの想いを揺るがす事態に直面したためであった。もしかしたらライヴも観たくないと思うかもしれない。彼らの曲が一切聴けなくなった期間は今思えば短かったが、出口の見えない不安に押し潰されそうになっていったのは事実だ。それがここまで彼らに対しての気持ちが持ち上がったのは、大袈裟でなく奇跡かもしれなかった。そしてチケットを買い、オーラスを見届けるまでの時間。

何も不安はよぎらなかった。陰る瞬間は一瞬も訪れなかった。

ステージ上の二人が何よりも好きだと強く思えた。本当に安堵した。腰を抜かしたり笑ったり泣きそうになったり、とんでもなく感情の忙しい2時間半だったが、彼らの熱に、想いに、確かに呼応した証なのだろう。


会いに行けなくてごめん、次こそ会いたいよ。



さいごに





愛するポルノグラフィティ!ツアー完走、本当におめでとうございました!そして今年もありがとうございました!

これからの二人の未来に期待しています!

よいお年を!!





ここまで読んでくれた方も本当にありがとう。以上で続ポル感想記事を終わります。なお、新曲である「メビウス」と「ナンバー」の2曲は、書き終えたら出します。そう、続いていくのです……。読者の皆さんも、よいお年を。



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