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私のテーマソングだった 〜新譜の感想〜

9月22日。「新始動」したポルノグラフィティの51枚目のシングル「テーマソング」がリリースされた。


繰り返すが、「新譜」だ。ポルノにとっては2年2ヶ月ぶりの、そして私にとっては「1年前に再会して以来」の「ちゃんと好きになってから」の初めての新譜だ。しかも、配信限定曲ではなくちゃんと形のあるCDという状態だ。ディスクだ。プラスチックケースを開くにはやや力がいるし、背表紙(?)の繋ぎの部分(?)が欠けたら閉まらなくなるあの四角いケースだ。その中に、丸い形の希望が入っている。

早くこの希望を耳にしなければ。

前日の21日はフラゲ民がすでに手に入れ、TLには語彙を失くした正直な叫びがあふれ、同時に3曲それぞれの感想が(いわゆるネタバレにならないような書き方で)流れてきてもいた。その状況がうらやましくもあり、夜中コンビニへ走りポルノを迎えに行きそうになったが「いや…明日だ…」と拳を握り締め床について迎えた今朝が、もはや正解に思えてきた。


何を隠そうここまでは酸素を取り入れ呼吸を整えるために綴った文だ。うまく息ができているかわからないが、3曲それぞれの感想を、通しで聴いて息も絶え絶えの状態で、かつできるだけ新鮮なまま書き残しておきたい。ちなみに史上最速である。




1. テーマソング

彼らが、REUNIONではなくこのテーマソングを表題曲に持ってきた意味がわかったように思った。

「宇宙イチ早くオンエア」されてからドキュメントムービー、そしてファーストテイクを経て何十回と聴いてきたからか、耳馴染みがあるように感じてきてもしまっていたが、しかしその実そうではなかった。


テーマソングが持つ「共感性」はとても強い。と私は思っている。


決してそんな事はないのに「私のために歌っている」と瞬間的に、無意識に感じる事はみなさんも経験あるはずだ。テーマソングにおいて、この共感性はとても強い。なぜなら、歌詞にある「私」と「私みたいな人」はみなさんの事だからだ。そして、私の事でもある。


個人的な話になるが、前日というか日付を跨いで今日まで、家庭の事情で私は荒れた。どう荒れたかというと、「まあ前に比べりゃマシか」としばらく落ち着きを見せていた(※何も解決していない)「クソみたいな惨状」が何度目かの再発を昨夜みたのだ。どのへんが「クソ」なのかはバッサリ割愛するが、「家族家族って」と片眉を上げて唇の端で笑いたいくらいだ。泣きたければ泣けばいいが涙も出ない。元々Twitterで愚痴や弱気なものを吐く事は、私自身がそれをするという点においてのみ非常に苦しい事だった。つまりやりたくなかった。何となく自分自身との決め事のようになっていたのだが、それが破れてしまった結果が一連のツリーだった。フラゲで沸いているTLへ何してくれてる。空気を読め。

綺麗な状態で迎えたかった22日を、思わず放ってしまったあんなクソみたいなゴミ溜めの中で迎えていいわけがないのに、どうしてうまくいかないのかとうなだれた。というか、この状態でテーマソングのあの歌詞とあの歌声を聴いたら、まさに「私のために歌ってくれている」と勘違いしてしまうじゃないか。顔を上げ呟く。「そうか、そういうことか」…何を「そういうこと」として納得したのか、とにもかくにもその時の私には彼らの歌が必要だった。CDという形として、実際に手元に必要だった。可及的速やかに。

そうして22日、つまり今朝。私はオー!リバルを聴きながらポルノを迎えに行った。帰りに雨に降られ、梱包されたCDを胸に抱えて走った。ちなみにその時点でカップリングの2曲の重要性を地味に忘れかけていた事は否めないのでここで懺悔。



壮大なテーマソング 流れりゃその気にもなるかな

耳に届く音はいつも不安な鼓動のドラムだけ

フレーフレー この私よ そしてフレー 私みたいな人

ともに行こう 拳あげて 誰のためでもない This is all my life.


気が付けば口癖が自分を縛る呪いみたいで 

嘘でもいい I can do it  I can do it 言い切ってしまおう


誰のためでもない This is all my life. This is all my life.



何十回と聴いて耳馴染みがありつつある(どんな日本語だ)とは言いはしたが、だからといって新藤晴一の書いたこの詞がもう刺さらないわけがないし、この詞を歌う岡野昭仁の歌声に涙をこらえるのに必死だった。

岡野昭仁の持つ真っ直ぐな歌声が、しかし緻密な塗り方で曲を縁取り、聴く人にとってのテーマソングになる。形を変え色を変え、共感の度合いもそれぞれに「私のテーマソング」になっていく。それは改めてやはり感じた事だ。

ポルノグラフィティの新曲であり表題曲のテーマソングを、本当にまっさらな状態で聴いた8月23日。あの時の感動は、聴く度にいい意味で上書きされていっているのだが、いよいよ9月22日をもって「私のもの」になったかもしれない。本当の意味で実感するのは、もっと後になると思うが。



2. REUNION

正直に言う。形を変えた状態でしれっと公開されたロングトーン部分を公式から聴かされた時から、「誰だおまえは」と思った人はそれはもう大勢いたと思うし、私も当然そう思ったが、その次に感じた感情は「不安」だった。

「形を変えたREUNIONを、配信ライヴで聴いたあのREUNIONと同じように愛せるだろうか」


2020年12月4日に開催された、ポルノ自身初となるハイブリッド型ライヴ「REUNION」の配信組でライヴ初参戦を飾った私は、あのREUNIONを聴いた時、彼らの気概を感じた。同時にあのREUNIONは、彼らが届けたいファンへの想いと新たな一歩、そして彼らが掲げた「全盛期」のスタートを放った号令だった。岡野昭仁と新藤晴一の共同詞、そして作曲・岡野昭仁という布陣。恐らく「音源化はされない」であろう、あの配信ライヴのためだけに作られ届けられたことで完結を見るであろう曲かもしれないという、「この時限りなのか」もほんのわずかに感じた事も理由かもしれない。とにかくかっこよかったのだ、あのREUNIONは。

それがこんな進化を経てカムバックするとは誰が想像したであろうか。

そう、「進化」なのだ。

あのREUNIONでさえ文句なしにかっこよかったのに、まだ進化させてきやがったのだ。どういう事なのよ。


まず、歌い出しから声が違った。こんな歌い方をする岡野昭仁をおれは知らない。AメロBメロをこんな発音というか舌使いで今まで歌っていただろうか。イントロのピアノはあのREUNIONより澄み切り、しかしどこかやや不安を感じさせる巡り。エコーする岡野昭仁が聴き手に語り掛けるように歌うが、そのままでサビにいくはずもなく、サビに入った途端爆発するように拓ける景色、感じる風圧に思わず目を細める。打ち続けるドラム。本当に安堵した「う‟ちへと」の健在、濁音はないのに濁音がつくような「始まり」。打ち続けるドラム。そしてTLがざわついた「おれの知らないREUNION」の正体を密かに探しながら聴いていると、そこは大サビだった。「お前だったのか……!」と驚く間もなく、ラスサビを過ぎて、アウトロ。


ま さ か の フ ェ イ ク


こんな、さらっと歌っているように聴こえてめちゃくちゃに難しい曲の、最後の最後にフェイクをキメてくる。もう何十回と歌ってきたかのように歌いこなしおる。何者だ。岡野昭仁だ。

12月のあのREUNIONは少し歌詞を変え、大胆に岡野昭仁の歌い方を変えた。大サビに歌詞が追加された。なにこのかっこよさ???「あのREUNIONは愛せたけどこのREUNIONは愛せないかもしれない…」というチャチな「不安」は、彼ら自身の手によって霧散されたのだった。

ただただかっこいい。そう、ただただ岡野昭仁がかっこいい曲であり、新藤晴一のソロギターがバチバチに冴え渡る曲なのだが、どうしてかこのREUNIONに、私は自分の足元に視線を降ろさざるを得なかった。


「REUNION LOVER」が「親密なサイン」がになったのか…?というのは余談。とはいえ「親密」=「LOVE」というのも安直だし、そもそも愛にはいろいろな形があるからなあ。どうだろう。



3. IT'S A NEW ERA

イントロがブレスな曲があるか???いや、今までもあった。あったが、そういう話をしてるんじゃないんだ、わかるか?あんなに美しく、声で一歩踏み出すブレスがイントロになる曲が今までのポルノにあったかと、そういう話をしているのだ。


ずっと目を閉じて聴いていたけどAメロから波打つような歌声、REUNIONとは違う声帯の使い方(どう違うとは言い切れないが何かが違う)、幻想的なスネアとストリングス、反響するクラップ、サビで目の前に浮かぶ輝く大海原。ある夜には、降り注ぐだろうかと思わず手を伸ばしてしまうほど散りばめられた星空、ある夜には降り止む事のない矢のような雨。立ち止まる思考。それでも目指す場所。

岡野昭仁があらゆる自然を司り、この地球上の人間の感情を操る唯一無二の神になったのかと思った。

ファーストテイクのインタビュー記事で、あなたおっしゃってましたよね、「声色は今やっと5本くらいになってきたかなあ(笑)」と。5本ねぇ……この3曲それぞれ全く違う色を使い、まるで舞台俳優のように曲の表情をくるくると変え歌い、さらに細かく色分けしている人が、「やっと5本くらい(笑)」ですかそうですか…………。

昨日の時点で同記事を読んで、晴一の考えをすでに頭に入れてしまっていたからかもしれないけれど。聞き取れた「約束は果たされる」という、何度か使われるこのフレーズ、これにポルノグラフィティから私たちファンへの言葉のようにも感じたし、彼ら自身に向けての新始動と全盛期と銘打ったための覚悟と今なお進む決意表明にも取れた。とてつもないフィクションの歌詞なのに、同時に四方から「今」と「これから」を感じるのだ。


「約束は果たされる」、もしかしたら、いやきっと、晴一にとってはあまり使いたくない言い回しかもしれない。なぜなら、私はそこに不安も疑問も感じられなかったからだ。あるのは、決定的な断定だった。

もちろん、この先どうなるかはわからない。まずツアーも無事完走できるかも危うい。立場は違えど、不安なのは彼らだって同じなのだ。それでも彼らが今届けたいのは、音楽であり、希望だ。「こんな時だからこそ」と言うが、平時であっても彼らは常に届けてきた。それが「こんな時」にいよいよその強さを増して届けられる事は、きっと今までもあった。

まやかしでもいい、嘘でもいい。けれど、岡野昭仁と新藤晴一の言葉は嘘にはならない。


IT'S A NEW ERA、確かに。確かに、そう、今までのポルノになかった曲だった。聞き取れた歌詞といい、メロディーラインや構成といい、これこそポルノグラフィティの「壮大なテーマソング」じゃないかと一目で感じた。夜を超えて昇る朝日のような始まりや大サビの「今聴いてるのは曲だよな?舞台を観劇してるんじゃないよな?」と錯覚するようなメロディーに、ややミュージカルを感じもしたが、しかしこれはカーテンコールではない。

今幕が上がり、新たな物語が始まる。これはポルノグラフィティの「新時代」の幕開けなのだ。



彼方の空 雲を割って光が差した

間違いじゃない そう言ってくれているのか?

くじけそうだよ 笑えないよ 忘れられたいよ

そんな日々はもう 海に返して


まだ声に出来ぬなら聴こえているか?

私のための場所がそこにある



IT'S A NEW ERAで耳が拾ってしまった歌詞(※初聴きなので歌詞カードでの確認はしていない)が上記の大サビと直後のラスサビ入りのフレーズになるが、ここで自分自身とリンクして泣きそうになった。目は閉じていたけど、間違いなく鼻と喉の奥が熱かったし、なんだろうな。胸の奥が震えたかもしれないな。


「海に返して」で上がるんだ………。



―――

REUNIONとIT'S A NEW ERA、初対面の岡野昭仁が二人いてビビった。なにあれ。あの透明感と歌い方、もう一度言うがあんな岡野昭仁を私は聴いた事がない。つい「うわぁ…惚れ直すわぁ……」と思ってしまったが、もはや惚れ直す事すら恐れ多い気がしてきてしまった。畏怖。畏怖の念だ。私はまた改めて、岡野昭仁の凄さを、そして今回は「ポルノグラフィティとしての岡野昭仁」の凄さを、実感する事になった。「少しは上手くなったかもしれません(笑)」じゃないんだよあなた……どこまで進化するんだ…おれ振り落とされないようにしがみつけられるかちょっと不安になってきたよ逆に…。



誰かが言っていた。「トリプルA面じゃないか」と。

また誰かが言っていた。「シングルなのにアルバム並みの濃厚さ」だと。


どれも当てはまっている。確かにその通りだ。

しかし、私はこの3曲をひっくるめて、「私のテーマソング」だと言ってしまいたい。密やかに。雨に濡れないよう胸に抱えたのは確かにポルノグラフィティの新譜だが、実際に手元に届きイヤホンを耳に挿して全身へ流れ込ませて五感で感じていると、新たに胸に抱えたのは「私のテーマソング」だった。「誰のためでもないThis is all my life」と、胸を張って言えるにはまだ幾万もの山を越え谷を超えなくてはならないし、直近の出来事に引きずられてもいるからかもしれないが、だがそれでも、「新始動」を掲げた彼らの満を持しての51枚目の新曲は3曲とも「私のテーマソング」だと、感じてしまったのだ。


彼らが綴って宛名さえ書かずに差し出した手紙は今この手に届いた。もしかしたら手紙じゃなく、もっと儚い、私の肩に止まった花びらかもしれない。






追記。




「このソロ活動で得たもの、やった事は、必ずポルノグラフィティへ還していきますから!」―2021年4月11日 岡野昭仁初の配信ソロライヴDISPATCHERS vol.1 後半MC




この男、有言実行がすぎる。

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