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早く家に帰りたい (サイモンとガーファンクル) 〜 歌詞和訳

前説

コロナ禍で故郷になかなか帰れない人が多そうな昨今の日本(斯く言う筆者も今年は正月以来帰省できてない)、この歌が沁みるという人はそこそこいると思う。「少なくない」とか「多い」とかではなくて「そこそこ」なのは、そんな心持ちの時にこの歌が浮かぶ人のうちの「多く」は、1960年911生まれの筆者とほぼ同世代か、あるいは更に上の世代で、かつ若い頃、というか少年時代に、「そこそこ」以上にサイモンとガーファンクル(そういう人たちには  Simon & Garfunkel は サイモン・アンド・ガーファンクルではなくて「サイモンとガーファンクル」なのではないかと思う、筆者自身がそうなんだけど)を聴いていた人、という条件を満たす人なのではないかと思うから。

この歌、"Homeward Bound" (邦題「早く家に帰りたい」, 1966年当時の日本盤シングルのタイトルは「早くうちへ帰りたい」だったようで、かつその後もレコード時代は「早く家へ帰りたい」の表記の方が多く使われていた可能性があるが、筆者は子どもの頃から「早く家に帰りたい」で覚えていたと思う, 長い括弧!) は、サイモンとガーファンクルの他の殆どの曲と同様、ポール・サイモンの作詞作曲によるもので、彼らの 2枚目のアルバム "Sounds of Silence" 制作中に録音され、その UK ヴァージョンにだけ収録(アルバムは 1966年1月17日リリース)、その後、3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" (1966年10月10日リリース)に収められた曲。

シングルとしてはアルバム "Sounds of Silence" リリース直後の 1966年1月19日にリリースされており、イギリスのシングル・チャートで最高 9位、アメリカ合州国の Billboard Hot 100 では最高 5位を記録している。

Billboard Hot 100 で 5位というのは大ヒットした曲と形容していいレベルであって、比較的地味な曲調であるこの曲がこれだけのヒットを記録した事実には、子どもの頃から既に半世紀にわたってサイモンとガーファンクル、ポール・サイモンの大ファンである筆者としても、あらためて驚く。

驚くというのは、いい曲が必ずしも売れるとは限らず、通常はヒットしやすい曲がヒットするという当然の理があるからなのだが(要するに地味めの曲はなかなか大ヒットはしない)、彼らのデビュー・アルバム "Wednesday Morning, 3 A.M." (1964年10月19日リリース) に収録されたアコギ版の "The Sounds of Silence" (後に "The Sound of Silence") が当人たちの知らないところでエレキサウンドが付けられてリリースされ、「超」の付く「大ヒット」を記録してまだ間もない頃だったこともあり、その余勢を駆ってヒットしたと言えるような背景があったのかもしれない。

本投稿のタイトルの上に載せた写真は、英語版 Wikipedia によれば、イングランドの(北西イングランドに位置する)Cheshire という名の州にある Widnes という町の Widnes railway station という駅にある飾り版で、ここで "Homeward Bound" が作られたことを記念するものらしい。

サイモンとガーファンクル、ポール・サイモンのファン歴半世紀の筆者だが、この歌については今まで、ポール・サイモンがアート・ガーファンクルと離れてイギリスに渡り、その地で演奏旅行していた時に作ったものという知識ぐらいしか持っておらず、Wikipedia も今日初めて見たので、上記のことは知らなかった。

もっとも、この歌が作られた具体的な場所については、諸説あるらしい。

Wikipedia からそれに関する記述部分を、次の次の段落以下に転載する(本投稿の文脈上、わかり易くなるように改行を増やした)。

なお、Kathy Chitty とは Kathleen Chitty, 当時ポール・サイモンの恋人だった人で、以下の文中にも書かれているように、"Kathy's Song" のタイトル中の Kathy, そして "America" では "Kathy", I said, as we boarded a Greyhound in Pittsburgh, そして "Kathy, I'm lost", I said, though I knew she was sleeping と、2度にわたって歌詞の中に登場する女性、あの Kathy さんのこと。

Background
"Homeward Bound" was written by Paul Simon after returning to England in the spring of 1964. He had previously spent time in Essex, and he became a nightly fixture at the Railway Hotel in Brentwood, beginning that April. He was reeling from his brief period in the Greenwich Village folk scene, as well as the recording of his first album with Art Garfunkel, Wednesday Morning, 3 A.M., which he anticipated would be a failure. 

During this time, he met Kathy Chitty, who was working as a ticket-taker at the club. The two hit it off instantly, but it became clear that Simon desired to perform in London, resulting in an emotional farewell. Following a performance in Liverpool, Simon was waiting for the early morning milk train to London at a railway station. He had been missing Chitty's company and he began to write "Homeward Bound" on a scrap of paper.

The station in question is generally reported as Widnes railway station, which has a plaque commemorating the event, though some consider it more likely to have been Ditton; on other occasions Simon has suggested that the Station in question might have been Warrington, which is most likely to have been Warrington Bank Quay railway station.

Chitty is mentioned in several other Simon & Garfunkel songs, most notably "Kathy's Song" and "America". In their 1969 hit "The Boxer", Simon alludes to a railway station, a possible reference to "Homeward Bound". 

A plaque commemorating this claim to fame is displayed on the Liverpool bound platform of Widnes railway station. Simon is quoted as saying "if you'd ever seen Widnes, then you'd know why I was keen to get back to London as quickly as possible."

Homeward Bound 〜 「早く家に帰りたい」(歌詞和訳)

以下では、この曲のスタジオ録音版の音源、そして歌詞、さらに筆者による和訳歌詞を掲載する。

*この歌の歌詞の掲載に関し, 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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僕は駅舎で座っている
目的地への切符なら買った
一夜限りのライブを転々とする旅さ
スーツケースとギターを手に持ってね
どこに行ってもきれいに揃ってるよ
詩人を兼ねたワン・マン・バンド用にね
家路に・・・
今 家に向かっているのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

毎日が果てしない川の流れのよう
タバコと雑誌でやり過ごす
どの街も僕には同じに見えるよ
映画館や工場
そして見知らぬ人々の顔
何を見ても僕の想いが向かうのは
家路なのさ
今 本当に家路にあるのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

今夜また 僕は自分の歌を歌い
堂々とやって そして取り繕う
だけど僕のどの言葉も自分に帰ってくる
月並みな陰影を帯びながら
ハーモニーが持つ虚しさのように
だから 慰めてくれる誰かが必要なんだ
家路・・・
今 家に向かっているのならいいのに
我が家 そこには僕の想いが宿り
我が家 そこでは愛する音楽が流れ
我が家 そうさ 愛する人が待っている
静かに 僕を
静かに 僕を

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* 上の和訳歌詞は筆者のホームページに掲載してきたもの。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、でも初めて筆者の note 投稿を見る人には「初めて」なわけで、笑)。

「早く家に帰りたい」の歌詞を日本語に訳そうと思って、結局やめた日の日記

"Homeward Bound", 邦題「早く家に帰りたい」の歌の歌詞を日本語に訳したのは、2004年2月29日。

その日にもそのことを日記に書いて、当時、自分のホームページにその日記をアップしたのだが、ウェブ上に掲載という人目に晒すようなことをしたものの、その中身はここで載せると色んな補足説明を付けたくなるようなものなので、今日はそれはやめて、本 note 投稿の中では、この歌の歌詞を日本語に訳そうと一旦は思いながら、結局その「趣味シュミ翻訳作業」をやらかった日の日記の方を、掲載することにした。

まぁ以下の日記も 41歳の時に書いた日記にしては、何というか、いま振り返って、当時「不惑の四十」を過ぎながら青臭い感じがするようなことを書いているし、これも補足説明を書きたくなるような感じの日記なのだが、それについては次章でリンクを貼る筆者の以前の note 投稿で代用してしまう(代用にしては投稿 4点とボリュームが大きい!)。

2001年11月3日(土)  マイ・ホームタウン

生まれ故郷は、今頃秋祭りで賑わっているはず。今日は祭りの最終日。懐かしい同級生達も、久しぶりの顔も含めて、ガキの頃の仲間の時代に戻ったような気持ちで酒を飲み、年に一度の祭りを楽しんでいるに違いない。今年は自分も帰りたい気持ちが強かったが、結局いろいろあって帰れなかった。

小さな田舎町だけど、故郷にはやっぱり格別の想いがある。遠く離れて暮らし、こんな中年オヤジになってしまって、それでも、というか、だからこそというか・・・。

故郷を想い、懐かしいガキの頃の時代を思い出し、SIMON & GARFUNKEL の HOMEWARD BOUND を訳して「う た」のページにアップしようと考えたんだけど、やめた。故郷とか家とかがその場所を指すのではなく、ある時期ある時代を指している時がある。何か、ある種の特別な気持ちが入り過ぎて来る気がする。いや、それはもちろん構わないんだけど。今その歌を訳していたら、本当に自分の(自分自身だけの)言葉で詩にしてしまいそうだ。

故郷と言えば、やはり SIMON & GARFUNKEL の、しかし彼らが解散した後に一度2人が一緒に歌った歌、MY LITTLE TOWN を思い浮かべもする。でもそれはその歌詞がそうさせるのではなく、あのメロディと MY LITTLE TOWN というフレーズのせいなんだけど。

SIMON & GARFUNKEL の数々の曲は、自分にとって、洋楽の入り口で迎えてくれた音楽。特に小学校高学年の頃から中学にかけての自分を思い出す。今思えば常に洋楽の道案内をしてくれていた兄貴、そしてその頃の、つまりガキの頃の友人の懐かしい顔、女の子を好きになった思い出・・・。子供から少年へと成長していく当時の自分を、しかし青春という言葉すら連想しながら思い出す。

40を過ぎて、つまり約30年も経って、結局こんなもんなのかい、俺は。・・・いや、ダメだダメだ、絶対今のままじゃダメだと思う。どうしたらいいって、そんなことサッとここに記せたら苦は無いな・・・。

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* 上記の日記は冒頭で書いた通り、筆者のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている)。

ただし、前章においても書いた通り、同ホームページは 2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、だけど前章で書いたからしつこいね、笑)。

思うところあって、以前の投稿 「人生のポケットから出る方法はどこかにある」 へのリンク

以下は、以前の note 投稿 4点へのリンク。

というのは、前章に載せた日記を久しぶりに見て当時のことを少し振り返っていたら、自分が翌2002年の初夏辺りから「人生のポケット」に嵌り込んでしまった、その予兆みたいなものがその前年2001年の秋、晩秋が近づいた頃の時期にあったんだなとと(だいたい今ぐらいの季節だな)、今日あらためて思い出したから。

次の2つは上にリンクを貼った投稿の関連投稿なので、ついでに。その 1つ目のタイトルでは無神論者の筆者が「神」「神」と連発しているけれど、まぁこれは引用なので。

最後のこれは、本投稿で取り上げた「早く家に帰りたい」同様、サイモンとガーファンクルの歌と筆者による和訳歌詞を掲載しつつ、「人生のポケット」に関わることを書いた投稿だったので。

"Homeward Bound" が作られた背景にも Kathy の存在が

これについては、本投稿の第1章「前説」で紹介した、"Homeward Bound", 「早く家に帰りたい」という歌の背景, Background の箇所をご参照ください。

何度も書いているように、サイモンとガーファンクル、ポール・サイモンのファン歴半世紀にもなる筆者ながら、"Kathy's Song" のタイトルと "America" の歌詞のそれぞれに登場する、ポール・サイモンのイギリス, England 時代の恋人 Kathy Chitty (Kathleen Chitty) の存在が、本投稿で取り上げた歌、"Homeward Bound", 「早く家に帰りたい」が作られた事情にも大きく影響していたという事実を、今日、初めて知った。

というわけで、"Kathy's Song" と "America" の 2曲それぞれについて筆者が以前 note に投稿した、筆者による和訳歌詞を含む投稿テキスト、計4点へのリンクを以下に付しておきたい。

"Kathy's Song" については投稿 1点。投稿タイトルの写真に写っているのは  Kathy ではなくて、筆者の嫁さん!!

"America" については投稿 3点。1つ目の投稿タイトルの写真に写っている女性、その人こそ、Kathy, つまり Kathleen Chitty, 残る2つの投稿は「アメリカ政治」絡み、かつ最後の 1点はサイモンとガーファンクル時代の「アメリカ」, "America" だけでなく、ポール・サイモンがソロになってからの「アメリカの歌」, "American Tune" を併せて取り上げたもの。


Homeward Bound 〜 Paul Simon & George Harrison

最後はボーナス・トラック。

ポール・サイモン (Paul Simon: born October 13, 1941) が、今は亡きジョージ・ハリスン (George Harrison: February 25, 1943 – November 29, 2001) とデュエットした、両者のファンには超絶うれしいライヴ・ヴァージョン。

Homeward Bound 〜 Paul Simon & George Harrison, from Saturday Night Live, on November 20, 1976

*この歌の歌詞の掲載に関し, 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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僕は駅舎で座っている
目的地への切符なら買った
一夜限りのライブを転々とする旅さ
スーツケースとギターを手に持ってね
どこに行ってもきれいに揃ってるよ
詩人を兼ねたワン・マン・バンド用にね
家路に・・・
今 家に向かっているのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

毎日が果てしない川の流れのよう
タバコと雑誌でやり過ごす
どの街も僕には同じに見えるよ
映画館や工場
そして見知らぬ人々の顔
何を見ても僕の想いが向かうのは
家路なのさ
今 本当に家路にあるのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

今夜また 僕は自分の歌を歌い
堂々とやって そして取り繕う
だけど僕のどの言葉も自分に帰ってくる
月並みな陰影を帯びながら
ハーモニーが持つ虚しさのように
だから 慰めてくれる誰かが必要なんだ
家路・・・
今 家に向かっているのならいいのに
我が家 そこには僕の想いが宿り
我が家 そこでは愛する音楽が流れ
我が家 そうさ 愛する人が待っている
静かに 僕を
静かに 僕を

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